「何時に行く」のではなく、「ごはん食べたら行く」という地元農家さんの言葉が、なんだかいい感じ。
新潟県の十日町市(とおかまちし)という人口5万4,000人ほどの中山間地域に移住して、なんだかんだと2年あまりが経ちました。
ただいま田植えのシーズンで、田んぼの景色がとても美しいです。
もともとじぶんは埼玉県生まれで、川一本を渡ればすぐ東京というちょっとした都会で育ちました。大学を卒業したあとに就職し、とにかく忙しい会社員時代を過ごしたものです。
そして40歳になったのを契機にいろいろ見つめなおし、いろいろあって3年以上も全国の交流の場を旅することになりました。そこでいろんなひと、さまざまな場と出会いました。
そうした旅の果てに、たまたまたどりついた十日町市。この地で旅の集大成として立ち上げたのが《住み開きの古民家「ギルドハウス十日町」》。44歳にしてセミリタイアし、ソーシャルな隠居生活に入ったわけです。
そんななか、この記事を書く直前に、地元の農家さんがやってきました。
そして、なんと30キロ以上もあるお米をゆずってくれたんです。
その農家さんがうちに来たのは3回目くらいでしょうか。たしか前回もお米をゆずってくれました。
もともとの知人関係であったご近所さんが紹介してくれたのですが、今回もそのご近所さんから事前に電話があったんです。
「ああハルさん、こんにちは。このあいだはどうも。これから〇〇さんがお米を持っていくそうですよ。『ごはん食べたら行く』そうなのでよろしくね」
で、その農家さんがやってきました。
お礼に、事前に用意しておいたビールをおすそ分け。
「あれま、わざわざビールを用意しとったんか、ありがとうね」
いえいえ、こちらこそです。いつもおいしいお米を持ってきてくれてありがとうございます。なにせうちは16人もいるので、30キロのお米が2週間も経たずになくなっちゃう。だからお米をいただくというのはとても助かります。
さて、さきほどの言葉。
「何時に行く」のではなく、「ごはん食べたら行く」という地元農家さんの言葉が、なんだかとても自然体でいい感じに聞こえました。
ほかにも、うちに滞在しているオーストラリア人が放った言葉。ある日から、ものすごく早い時間に「おやすみ」なんて言うようになったものだから、どうしたの?と聞いたら
「おひさまといっしょに寝て、起きる」
と彼は答えました。
たしか全国の旅の途中、ふらっと見かけたお店の看板にも
「営業時間は日没まで」
なんて書いてあったっけ。
そういえば沖縄を旅したときにも似たような印象を受けました。
じぶんだけでしょうか。
なんだか「いいな」と思いました。
ソーシャルな隠居となったいま、毎日が休日みたいなものだから、時間にしばられることが少なくなりました。
だいたい朝の8時から9時のあいだに起きます。
だいたい夜の11時過ぎに寝ます。
正午くらいにごはんを食べます。
たいてい夜7時過ぎに夕飯をとります。
気がついたら畑の野菜に水をやったり、気が向いたら掃除したり旅することがたまにあります。
日課みたいなものがあるけれど、しなければいけないことはありません。
そんな生活。
そして、じぶんの日常がだれかの価値にもなっている(だそうです)。
という感じで、こんな生活をしていると。
もともと「しなければいけないこと」なんてないかもしれないな。
だなんて極端なことを考えたりもします。
と、ここまで書いていたら、おもむろに大家さんがやってきて
「今日は風が強いから野菜が倒れてしまうよ」
と言うので支柱にひもでしばる農作業をしました。
その途中に雨が降ってきて
「ちょっと休もうか、すぐやむだろうから」
だなんて言われてひとやすみ。
じぶんは執筆の途中だったので気持ちがはやり、雨合羽を着てすぐにでも終わらせる気でいたけど、大家さんのおだやかさに合わせてみたら、自然とのんびり空の雲を見上げながらおしゃべり。
するとそのおしゃべりから「じゃあこうしようか」とか「ああしよう」となるわけです。
予定も時間もきっちりとは決めない、余白のある生活。
いままでに足りなかったもの。
その余白にどんどんいろんな豊かさが入りこんできている気がします。
いろんな生き方や働き方があっていいですよね。じぶんはたまたま自然にソーシャルな隠居だなんて道に入りましたけど、そういうのもアリな気がします。
みなさんもちょっと余白を持たせて、ふらっとうちの茶の間に来てみませんか。いまの生活でもとくに不満はないのでしょうけど、別の意味で違う豊かさに気づくかもしれませんよ。
よかったらサポートをお願いします。もしくはギルドハウス十日町へ遊びにいらしていただければうれしいです。