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80年代~90年代に活躍した韓国の男性アイドルグループ

韓国のアイドル文化は、1980年代後半からと言われているのですが、実際はSMエンターテインメント、JYPエンターテインメント、YGエンターテインメントなどの芸能事務所が台頭してきた1990年代後半からである。今回は、80年代後半から90年代後半までに活躍した韓国の男性アイドルグループたちをご紹介したいと思います。

●消防車

                 1987年にハンバッ企画からデビューした音楽グループ
DSPメディアの社長だったイ・ホヨンが大成企画(DSPメディア)を設立する前に手掛けた歌手である。結成当初は「コスモスの上に蝶が座った」というグループ名だった。しかし、名前が長すぎる・コスモス(花の名前)では女の子みたいな名前だという理由でデビューしたときに消防士のような赤い衣装を着用していたことから「消防車」と名付けられた。

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日本のジャニーズグループ・少年隊をベンチマークしたことで有名だがレコードジャケットは少女隊のバランスシートを模倣したものでした。「韓国アイドルの始まり」と呼ばれることが多いが、彼らが活動していた頃は¨アイドル¨と¨アーティスト¨の境界線が曖昧だったため、アイドルというよりかは「歌謡グループ」・「人気グループ」といった感覚に近かった。ソバンチャに影響を受けたアイドルグループとしては、トロットとダンスを組み合わせた「Young Turks Club」と「SechsKies」、そしてアクロバティックダンスが特徴的だった「NRG」など一部を除いた場合、現在ではほとんどいないため、¨K-POPアイドル¨という意味では彼らの存在は除外されることが多い。

●第3世代

1988年にデビューした歌手グループ
CMモデルとして活躍していたメンバー3人で構成され、先にデビューしていた消防車(ソバンチャ)に対抗するために結成された。アイドルグループ自体がまだ少なかった韓国歌謡界で活躍したが、あまり人気を得られずアルバムを1枚出した後、解散してしまった。音楽番組では実際にソバンチャと共演したことがある。

●夜叉

1990年にデビューした音楽グループ
ローラースケートを履いて歌って踊るパフォーマンスが特徴的で日本のジャニーズグループ・光GENJIをベンチマークした。

1980年代から1990年代初頭まで放送されていた音楽番組「若さの行進」に出演して人気を集めたが、メンバーが兵役期間に入るなどの理由でグループは解散した。また当時は期間限定の企画ユニット的な印象が強かった。

ヒョン・ジニョンとワワ

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1990年にSMエンターテイメントからデビューした男性ソロ歌手。韓国で初めてヒップ・ホップを取り入れたグループで当時、アメリカで大人気だったボビー・ブラウンをベンチマークした。またSMとしては現在では当たり前となっているトレーニングシステム(練習生)を取り入れた最初の歌手でもある。

ボーカル1人+ダンサー2人という構成でパフォーマンスを披露していたが、このスタイルは後に登場するソテジワアイドゥルにも受け継がれた。日本では田原俊彦(抱きしめてTONIGHT)やw-inds.がこのスタイルを取り入れていたことで有名。

●ソテジワアイドゥル

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1992年デビュー、それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった当時の韓国音楽界の流れを変え、現在のK-POPへ繋がる重要な役割を果たしたグループだと言われている。

3人組ボーカル1人&ダンサー2人ヒップホップ・アイドルといった構成はソテジワアイドゥルよりも2、3年ほど早くデビューしたヒョン・ジニョンとワワに影響を受けたもので、またK-POPアイドルとして初めて日本デビューしたグループでもある。彼らの成功によって韓国のアイドルはヒップホップ・ラップ・ダンスを頻繁に取り入れるようになっていく。

●DJ DOC

1994年にショーグローブエンターテインメントからデビューした男性アイドルグループ。ヒップホップグループというイメージが強いが、デビュー当時はアイドル(ダンスグループ)として活動した。グループ名は「Dreams of Children」を略したもので当初は「DOC(ドック)」だったが、2集以降からは「DOC(ディー・オー・シー)」という読み方に変えた。彼らはもともと米国式(洋楽テイスト)音楽での活動を求めていたが、所属事務所の指示でポップス・ダンス曲で活動することになった。しかし、4集以降は実際にアメリカでアルバム作業をするなど次第に自分たちが追求する音楽を発表するようになり、アイドルからミュージシャン&アーティストに成長した。

●H.O.T 

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1996年にSMエンターテインメントからデビューした最初のアイドルグループ。ソテジワアイドゥルが解散した後、不在していた「10代のアイドル」のポジションを埋めたのが彼らである。もともとは後にデビューするSHIHWAの試作品グループとして作られたチームで5人組から始まり、徐々にメンバーを入れ代えるなどの試みも考えられていたが、最初の設定人数だった5人でデビューすると予想以上に人気が出てしまったため、卒業システムを廃止して5人組での活動が継続された。音楽・ダンス・メンバー・ファッション・活動方式・ファンクラブなど様々な面で爆発的な人気を獲得。消防車とソテジワアイドゥルがアイドルの母体を作った存在であればH.O.Tはアイドルグループの定義を完成させたグループだと言えるだろう。日本で例えればSMAPのようなグループだとされている。しかし、活動当時の人気ぶりは光GENJI並みであった。

●SechsKies 

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1997年にDSPメディアからデビュー。SMエンターテインメントのH.O.Tに対抗して結成されたグループであり、ライバル構図となった。しかし、両グループの人気にはかなりの差があり、H.O.TがA級アイドルだとすれば、ジェックスキスはB級アイドルのポジションに近く、実際にはライバルとは言えないほどであったが、それでも当時の韓国のマスコミは彼らをライバルだと煽っていた。

H.O.Tがヒップホップを中心に、ギャングスタラップ・クラシック・ユーロビート・ポップス・バラードと様々なジャンルの音楽を発表していたのに対してSechsKiesは、大衆に分かりやすい歌謡曲・演歌調の楽曲を発表した。代表曲「Road Fighter」・「Com'Back」・「恋情」・「男の生きる道(ポムセンポムサ)」などはメロディーが完全にトロット(演歌)&ポンチャックである。 

●Taesaja(太四子)

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1997年デビュー。当時、男性グループの主流であったヒップホップ調ファッションではなく、ダンディーな王子様コンセプトでスーツを着用しており、他の男性アイドルと差別化していた。元々は、男女混成グループでデビューする予定だったが、所属事務所がH.O.Tの人気ぶりを見て男性のみのグループに変更された。

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そのとき一緒にデビューする予定だった女性メンバーが、日本でもウッチャンナンチャンの番組にも出演していたチェヨンだった(日本ではジニーちゃんという名前で活動)。太四子のメンバー4人は当時、チェヨンに対して「自分たちだけがデビューすることになって本当に申し訳ない」と思ったという。

●NRG 

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消防車のメンバーだったキム・テヒョンとチョン・ウォングヮンがプロデュースしたアイドルグループ。他の男性グループと違ってかわいい&美少年的なイメージで人気を集めた。現在で言えばSMエンターテインメントのSHINeeのような感覚に近いグループと言えるだろう。元々はH.O.Tに対抗するために結成されたグループだったが、彼らはデビュー時期(8日差)が近かった太四子とライバル構図となった。活動当時、H.O.TやSechsKiesに比べるとやや人気は劣っておりB級アイドル的なポジションだったが、中国ではその2グループを超えるほどの爆発的な人気を得ており、VIP級の待遇を受けていた。中国で韓流ブームを最初に起こしたK-POPアイドルと評価されることもある。

●O.P.P.A

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1997年デビュー。当時、韓国では珍しかった8人組のアイドルグループでアイドルの最多人数を記録し、韓国アイドル史上初めてユニット活動を試みたグループである。彼らが登場する以前にもSechsKiesがブラックキス・ホワイトキスの2つのユニットに分かれていたが、実際にユニットとしての活動はなかった。OPPA007とOPPA180°といった2グループ制で活動しながらも、元の8人組でも活動するといった異例のグループだった。

●1TYM

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                         1998年にYGエンターテインメントからデビュー             ヒップホップミュージシャン+アイドルというイメージを掲げたコンセプトで活躍した。所属事務所の第1号アイドルグループ・KEEP SIXが不振に終わったため事実上、1TYMがYGエンターテインメントで初めて商業的に大きく成功したアイドルグループだと言える。日本で例えればDA PUMPのようなグループだとされている。 

●SHINHWA 

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                        1998年にSMエンターテインメントからデビュー。            韓国では珍しく現在までに一度もグループの活動休止・解散やメンバーの脱退・交代がなかった最長寿アイドルグループと呼ばれている。強い男性美と華やかなダンスや音楽などで同世代のアイドルとの差別化に成功した。またグループ活動と個人活動を並行した最初のアイドルグループであり、個人活動でも人気を獲得した数少ないグループでもある。アメリカのBackstreet Boysをお手本にしたグループであり、初期の頃の楽曲もBSBに似たような歌が多い。日本ではSMAPに例えられることがあるが、彼らがSMAPと比較されるようになったのは個人活動など多方面での活躍が目立つようになった2000年代以降からである。

●FanClub 

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1998年デビュー。現在、ソロで活動しているRain(ピ)が在籍していたアイドルグループ。コンセプト・容姿・楽曲など日本のジャニーズに影響を受けた。また同じ6人組だったSHINHWAを意識している点も見られる。彼らがデビューした頃は、H.O.TやSechsKiesなどが活躍していたので大きな人気は得られなかった。

●Click-B

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1999年にDSPメディアからデビュー。1998年デビューのSMエンターテイメント所属の3人組Bad Boys Circle(B-BOYS`C)に対抗して結成されたグループであり、この系統のアイドルバンドはMoonchild、TRAX、FTISLAND、CNBLUEなどに繋がる。日本のジャニーズとヴィジュアル系バンドの影響も受けている。もともとは4人組のダンスグループでデビューする予定だったが、所属事務所の社長が「日本でヴィジュアル系バンドが人気を得ている、そしてヴィジュアル系バンドは若い女性ファンが多くてアイドルに近い」と判断して急遽、ダンスグループからバンドグループへ変更「楽器を演奏しながら歌って踊れるグループ」として売り出された。初期にはギター、ドラム、ベースギター、キーボードがすべて揃った構成やロックとダンスが組み合わせられた音楽を中心に活動した。またメンバー全員のヴィジュアルが良かったため、当時多くの所属事務所の警戒対象であり、同じ第1世代のトップアイドルだったH.O.Tのトニー・アンは彼らを初めて見たとき、「どうやってあれだけのハンサムな美少年たちを7人も揃えられたのか?」と感心したとインタビューで明らかにした。

●god

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1999年サイダスHQからデビュー。パク・ジニョンが初めてプロデュースしたアイドルグループであり、韓国初のバラエティから人気を集めたアイドルである。バラエティに挑戦したのは日本のSMAPに影響を受けたとされている。

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                       ※(キム・テウが加入する前、6人時代のgodの写真)            元々は、god6という男女混成グループであったが、プロデューサーを務めていたパク・ジニョン(J.Y. Park)がH.O.Tの人気を見て「混成グループではなく男性グループにした方が良い」と判断したため、男性メンバーのみに再編成された。当時、神秘主義のコンセプトが乱舞していた時代に、平凡な青年・少年的なコンセプトで親しみやすいイメージを打ち出し、アイドルファンの10代だけでなく全年齢層に支持され、国民的グループと呼ばれている。

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