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韓国の少年隊「ソバンチャ」について

以前の記事でも何度か紹介したことがありました韓国のアイドルグループの先駆けと言われている「ソバンチャ」。日本ではお笑い番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」でダウンタウンら男性レギュラー陣が代表曲である「オジェパム・イヤギ~ゆうべの話」を¨オジャパメン¨としてカバーしたことで知られている。

ダウンタウンにオジャパメンの歌詞の意味を説明するKARA

また後年に韓国の女性アイドルグループ・KARAがダウンタウンの番組にゲスト出演した際に、オジャパメンについて言及したこともあった。

では、ここで改めてもう一度、彼らについておさらいしておきましょう。

「消防車(ソバンチャ)」とは?

1980年代後半~1990年代初頭にかけて一世を風靡した音楽グループ

1980年代後半~1990年代前半にかけて人気を博した韓国の音楽グループ
韓国でアイドル的な人気を獲得したグループの先駆けであるが、現在のK-POPアイドルグループとは曲構成やグループの性格が多く異なるため、「過渡期的全身グループ」として評価する方がより正確である。

1986年、テ・ジナ、クー・チャンモー、チョン・ユナ、シム・シンなどの歌手が所属していた芸能事務所「韓畑企画」より、¨コスモスの上に蝶が座った¨というチーム名でグループが結成される。メンバーは当時の韓国で大人気だった音楽番組「KBS2 若さの行進」で活躍していた¨ペア¨というバックダンサーチームの中からチョン・ウォングァンイ・サンウォンキム・テヒョンの3人が選抜され、同事務所の会長を務めていたヤン・スングクと、専務理事として働いていたイ・ホヨン(後にDSPメディアの創設者となる)が企画及び広報などにおいて製作に参加した。

練習生時代のレッスン風景 

デビュー前の練習生時代、消防車のメンバー3人はヤン・スングク社長の自宅の2階に住まわせてもらいながら、生活をしていた。夜は社長が運営するナイトクラブに参加してパフォーマンスを披露し、昼は大学の体育館でダンスやアクロバットの練習を行っていた。また日本のジャニーズ事務所から¨少年隊¨の資料を取り寄せて、少年隊が歌って踊っている映像を見ながら振り付けやステージ衣装なども参考にしていたという。韓国の芸能会社ハンバッ企画と日本のジャニーズ事務所が協力して作られたグループであり、日韓合同グループの先駆け的存在である。

韓国で初めて名誉消防官に委嘱された消防車(1989年)

1986年10月から6ヶ月間の練習生期間を経て、1987年4月に「彼女に伝えて」という曲でデビュー。当初は、消防士のような赤い衣装を着用していたことからグループ名が「消防車」と名付けられ、大衆が好む簡単なメロディーと愛のある現実的でありながら率直な歌詞、バク転ようなアクロバティックをベースにした激しい振り付けで大きな反響を得た。ただし、当時の韓国音楽界はバラードやトロットが主流の時代だったため、音楽番組では一度も1位を獲得したことがなくパフォーマンス面では注目を集めた一方で、音楽面ではあまり評価されなかった。またソバンチャのファンクラブは事務所が運営せず、ファンが自ら導いていく形をとっていた。

全盛期当時のレコーディング風景

1988年8月、2集の活動途中でイ・サンウォンがソロ活動のため脱退し、一旦活動を停止。ド・ゴヌを新メンバーとして迎え入れ、2集アルバムの再レコーディングを行い活動を再開するが、1990年に解散する。その後、解散・再結成を繰り返して現在に至る。(現在は不定期で活動)

●代表曲
「彼女に伝えて」・「昨夜の話」・「恋愛手紙」・「愛したい」・「白い風」・「通話中」・「Gカフェ」・「Bye Bye」・「秋南」などのヒット曲がある。

●日本での活動


日本のテレビ番組で紹介される消防車(80年代後半~90年代中盤)

※出演番組
・SEOUL SOUL / アジアNビート(フジテレビ)
韓国での活躍やテレビ番組で歌っている映像などがよく紹介されていた
・スーパーJOCKEY(日本テレビ)
熱湯コマーシャルに出演した
・HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP(フジテレビ)
ダウンタウンと共演し、「昨夜の話(オジャパメン)」を披露した
※ライブ公演
・アジア太平洋音楽祭(1989年4月)
福岡サンパレス会館で行われ、「一級秘密」と「白い風」を披露した

歌のトップテンで紹介されたデビュー当時の消防車の映像

1987年から1990年まで島田紳助と和田アキ子が司会を務めていた音楽番組「歌のトップテン」に少年隊が出演した際に「韓国にも少年隊みたいなグループがいる」として消防車の映像が紹介されたことがある。

●所属事務所 / 関係者
消防車の所属事務所は、もともと歌謡曲・トロット・バラードなどを歌っていた歌手たちが多く所属していたハンバッ企画である。

DSPメディアの創業者 イ・ホヨン

同事務所ではトロット歌手のテ・ジナが最も有名であるが、他にはイ・ホヨンの存在が知られている。1980年代当時、ハンバッ企画で専務理事として働きながら、テ・ジナのマネージャーを担当していたイ・ホヨンが初めてプロデュースした歌手が「ソバンチャ」であり、事務所初の¨歌手グループ¨として成功を収めた。消防車の成功をもとに「韓国でもアイドルグループが活躍できるのではないか?」という確信を持って自分の住んでいた家を改装して1991年に大成企画(現:DSPメディア)を創業した。またハンバッ企画時代に同じく消防車のマネージャを担当していたキム・テソンは、2008年にTSエンターテインメントを設立してB.A.PやSONAMOOといったアイドルグループをデビューさせた。

●K-POPまたはアイドルとしては扱わない

デビュー当時のレコードジャケット写真

消防車の楽曲はトロットのテンポを速くした歌謡曲に近い音楽であり、また彼らの活躍や功績に影響を受けたアイドルグループも現在では皆無のため、代表曲としても知られている「ゆうべの話(日本ではオジャパメン)」を含め、基本的にはK-POPには分類されないグループである。韓国アイドルの歴史 / K-POPの歴史を振り返る場合にもソバンチャの存在を除いた上で考える方がより正しい。

現在のK-POPへ繋がる重要な役割を果たしたグループと評価されている

3人組の歌って踊るグループが人気を集め、女子学生のファンを多く獲得したという点ではアイドルの前身だと言えるが、「K-POPアイドル」としては1992年にデビューしたソテジワアイドゥルが源流と見られている。しかし、ソテジワアイドゥルの場合もデビュー当時から作詞・作曲・振り付けなどにおいて自らプロデュースを行っており、アーティスト的なイメージが強かったので、ファンたちもミュージシャンであることを掲げていたことからアイドルと見なされない場合もある。

韓国アイドル第1世代を代表するH.O.TとS.E.S

K-POPアイドルとしては事実上、ソ・太地と子供たち引退後に誕生した第1世代からと見るのが一般的である。1987年にデビューした消防車が「韓国アイドルの胎動」であり、1992年にデビューしたソテジワアイドゥルが大衆文化と歌謡界の版図を変えた「K-POPの始発点」であれば、H.O.TやS.E.Sなどの第1世代アイドルはアイドルグループの定義を完成し、本格的なアイドル時代を開いたと見ることができる。


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