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今でも放送できるお色気番組

近年、コンプライアンスなどの言葉を用いて「今ではコンプラで放送できない」や「今ではあり得ない」などと言われることが多いが、それはあくまで視聴者側の推測に過ぎません。地上波放送において「お色気番組の放送」・「女性のヌード」は原則的に禁止されていません。またBPO(放送倫理・番組向上機構)は1969年に「放送番組向上委員会」という名前で存在し、批判を受けた番組の審議を行っていました。そしてBPOの委員たちは「バラエティは報道番組やニュースとは異なり、比較的、今も昔も自由なジャンルだから裸を映したからダメという基準はありません」としている。

2020年代現在でもお色気番組の放送は可能であり、時代に合わせた演出や表現で継続しています。

●ギルガメッシュNIGHT

ギルガメッシュNIGHTのオープニング

放送当時の1990年代は、男女雇用機会均等法や女性の社会進出などの影響により、深夜番組のチャンネル権は主に10代後半から30代の女性層が握るようになった時代。それまでのテレビのチャンネル権と言えば戦後の日本が男性優位の社会だったこともあり、主に父親などの成人男性が握っていました。
このため民放各局の制作陣やマスコミたちも女性が強くなった世相にマッチした、成人女性をターゲットとした深夜番組を制作するようになったのです。

ギルガメッシュNIGHT / 最終回での一部シーン

ギルガメッシュNIGHTは、一般的には男性向けの番組と誤解されているが、番組のプロデューサー曰く本来は「女の子のためのエッチな情報番組」として製作されたものである。視聴者のターゲットは主に20代~30代の成人女性であり、番組視聴者の約半数も女性が占めていた。男女比率でも6:4(女 = 6、男 = 4)くらいの割合だったとされ、一方の男性視聴者は30代~50代くらいの独身男性の割合が多かった。番組開始当初は、映画紹介やオススメのデートスポット情報といった真面目な内容で現在で例えると同じテレビ東京で放送されている「ワールドビジネスサテライト(WBS)」にお色気要素を足したような感じの番組でした。「ギルガメ治療院」や「ランジェリー歌謡祭」といったコーナーはツボの療法・流行のランジェリーなどが役に立つなどの理由で女性人気が高く、下着ファッションショーや店紹介などの実用ネタも貴重な情報源として女性層に好評だった。

女性視聴者も多かったギルガメッシュNIGHT

しかし、1995年以降になると司会者や出演者の交代、人気コーナーの廃止などにより、次第に番組人気は低迷。番組終了間際にはテレビ東京の放送番組審議会宛に「内容がお色気番組として笑って見過ごせる範囲を超えているのでは?」という苦情が多く寄せられた。これは女性視聴者がもともと多かったことや、内容がマンネリ化しててつまらないといった意味の苦情でした。また当時、審議に参加していた放送番組審議会の委員たちも「裸が出ていることに関しては何の問題もない」と判断していた。番組の内容について審議された結果、1998年3月で番組は終了する結果となった。ギルガメッシュNIGHTが終了したのは自主規制ではなく、視聴者の減少と内容のマンネリ化が原因でした。

●EXテレビ

EXテレビ 低俗の限界(初回放送)のオープニング

火曜日の実験企画「低俗の限界」が有名になった影響で一般的にはエッチな深夜番組と誤った認識が広まっているが、本来はワイドショー的な要素とバラエティの要素を混ぜた硬派な深夜番組である。放送当時の1990年代前半と言えば、70年代の深夜のポルノ番組・低俗番組追放運動や80年代半ばの中曽根政権の煽りを受けて、民放各局は深夜のお色気番組が放送できない状況となっていた時代。

EXテレビの前番組である「11PM」 / 温泉リポート

現在のコンプラや規制と言われる流れはこの時代から始まっていました。そのため、EXテレビもエロ要素を払拭した路線で製作され、国外情勢やトレンドなどの情報番組色が強い企画と実験的要素の強いバラエティ企画が主軸としたコアな深夜番組としてスタートした。

自主規制の厳しかった当時の地上波において「テレビの猥褻」について考える内容を放送

低俗の限界に関しても単なる「視聴率が取れるかどうか」を試みた実験企画に過ぎず、女性の裸を放送したからではなく、単なる視聴率低迷 = 終了という流れでした。実際に上岡龍太郎や島田紳助も放送中に「(女性の裸出しても)視聴率が悪かったら、もうこの企画は二度とやりませんから。」と発言していた。この発言が影響したためか、ゲストに竹中 労さんを迎えた2回目の放送は初回放送とは異なり、不評に終わった。つまり女性の裸を放送しても必ずしも「批判される」・「規制される」・「視聴率が取れる」とは限らないということですね。

●11PM / トゥナイト

(左)日本テレビの「11PM」 / テレビ朝日のトゥナイト(右)

一般的にはお色気番組と誤解されているが、本来はワイドショー(現在で言う情報番組)である。放送当時は深夜番組 = 低俗という風潮が今よりも強く、視聴者や政治家はもちろんのこと、PTA・日本共産党中央委員会・放送番組向上委員会(BPOの前身)といった団体から長い間ずっと批判、議論が行われていました。主に視聴者は成人男性をターゲットにしており、インターネットやSNSが無かった時代において貴重な情報源として人気を得ていた部分も大きかった。「11PM(日本テレビ)」は、番組開始当初は白黒放送であり、まだテレビも普及する前後の時代。そして1980年代からは「トゥナイト(テレビ朝日)」が台頭し、11PMと入れ代わるように人気を博す。11PMの全盛期 = 1970年代、トゥナイトの全盛期が1980年代と言えるだろう。

トゥナイトの後番組としてスタートした「トゥナイト2」

ちなみに1994年からの「トゥナイト2」は前時代とは異なり、主に若い女性をターゲットにしていた。女性リポーターを交代させながら出演させ、インタビューの際も若い女性に尋ねたり、70年代や80年代とは違い全体的に20代~30代くらいの若者向けのワイドショーとなっていた。これは同時期に放送していたテレビ東京の「ギルガメッシュNIGHT」が若い女性から人気を得ていたため、お手本にしたものである。しかし、パソコンやインターネットが登場すると徐々に番組の人気は下降線を辿るようになる。理由としては情報源がテレビからネットへ移行したことにより、11PMやトゥナイトで紹介されていた情報はすべてネットで調べられるようになったのです。わざわざテレビの情報番組を見なくても個人がネットを利用すれば様々な情報を手にすることができます。また番組の取材や企画などに参加していた企業・出演者・お店などもネットで自ら宣伝するようになり、番組に出てくれる人の数も減少していきました。そのため、このような深夜のワイドショーは需要がなくなり、時代に合わなくなったと見るのがより正しい。

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