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K-POPはジャニーズではなく、海外アイドルから影響を受けた。

2000年代後半以降、日本でも大人気のK-POPアイドル。韓国のアイドルたちは優れた歌唱力・高難度のダンス、メンバーたちが作詞作曲するなど、アイドルとアーティストどちらの能力も兼ね揃えたアーティスト型アイドルが主流となっている。よくK-POPは日本のジャニーズや沖縄アクターズスクールから影響を受けたという意見が挙がるが、これは間違いである。

●ジャニーズの影響

韓国アイドルにも影響を与えたジャニーズ事務所のアイドル / 少年隊とSMAP

確かに韓国のアイドルは1980年代~1990年代までは日本のアイドルをベンチマークしていたのは事実だが、それはほんの一部の歌手やグループに限定された話である。80年代後半にデビューした「ソバンチャ」と「セトレ」、1993年デビューのS.O.S、1997年デビューのSechsKiesとNRG、女性グループではFIN.K.L.、T.T.MA、PAPAYAなどが代表的に挙げられる。

(左)V6 / 日本のV6をベンチマークした第1世代の韓国アイドルグループ NRG(右)

芸能事務所ではDSPメディアが有名であり、創設者のイ・ホヨンがジャニーズや日本のアイドル文化に興味を示していた。しかし、こういった日本のアイドルを模倣するやり方は韓国では短命であり、活動を長く維持できなかったのである。また1990年代後半の日本はジャニーズ全盛期だったので当時、韓国で活躍していた第1世代のボーイズグループはジャニーズの二番煎じというイメージを持たれる可能性があるため、日本進出しなかった。実際にSMエンターテインメントは当初、男性グループのH.O.Tを日本で活動させる予定だったが、同じ5人組という点でジャニーズのSMAPと比較されること避けるため、あえて女性グループのS.E.Sを日本デビューさせていた。

●沖縄アクターズスクールの影響

沖縄アクターズスクール 宜野湾市大山にあった自社ビル

1990年代に歌やダンスなど本格レッスンに力を入れることで多くのアイドルを輩出していたという点では現在のK-POPと似ているが、沖縄アクターズスクール・ライジングプロダクション所属のアーティストたちは韓国ではジャニーズと比べて認知度が低かったため、K-POPアイドルへの影響はほとんど与えていない。唯一、韓国でも有名だったのは安室奈美恵とSPEEDくらいでした。

台湾で人気を得ていたライジングプロダクション所属の男性アイドルグループ3組 

また男性グループに関しては韓国よりも台湾での評判が良かった。特にw-inds.、FLAME、Leadの3組は台湾での人気が高く、DA PUMPの人気を超えていました。DA PUMPが日本のみでブレイクしたグループであれば、後輩グループの3組は台湾でブレイクしたグループと見ることができる(ただし、w-inds.はデビュー後の数年間のみ日本で人気を得た)。その一方でK-POPのボーイズグループがDA PUMPやw-inds.をお手本にした例は皆無であるため、韓国では沖縄アクターズスクールとライジングプロダクションの影響力は比較的低い方だったと見る方が正しい。

●K-POPアイドルが参考にしたのは海外のアイドルである

(左)海外のアイドル / 韓国のアイドル(右)

K-POPアイドルの始まりは、1990年代後半に誕生した第1世代と呼ばれるアイドルたちである。この時代に活躍したグループは海外のアイドルグループをお手本にしており、一例としてアメリカのNew Kids On The BlockとTLCをベンチマークしたH.O.TやS.E.Sが有名である。NKOTBが5人なのでH.O.Tも5人、TLCが3人組なのでS.E.Sも3人というように人数、グループ名、音楽なども含めアメリカのボーイ・バンド、ガール・グループを模倣している。SMエンターテインメントがこの2組をヒットさせたことにより、他の芸能会社も海外のアイドルをベンチマークして海外進出を目指すようになったのです。

別の記事でも紹介していますので、詳しくはそちらを参照。

Backstreet Boys / 東方神起

そして第2世代以降のアイドルからは、練習生制度が普遍化し、積極的な海外進出により、現在のK-POPの礎を築いた。この世代の代表的なグループである東方神起は、アメリカのBackstreet Boysをお手本にしたもので最初はコーラスグループ・アカペラグループ的なイメージが強かったが、徐々にダンスも上手いアイドルグループとしても評価されるようになった。

●韓国のトレーニングシステムは1980年代から始まった

1980年代を代表する韓国のアイドル歌手 / キム・ワンソン

今では当たり前となっているK-POPアイドルたちのトレーニングシステムだが、韓国で最初にトレーニングシステムを導入したのは80年代を代表するアイドル歌手のキム・ワンソンである。1983年に叔母のハン・ベクフィがマネージャを務めていた女性歌手イン・スンイのバックダンサーとして芸能界に入り、3年間のトレーニング期間を得て1986年に歌手デビューし、人気アイドルとなった。SMエンターテインメントのイ・スマンは、キム・ワンソンの叔母であるハン・ベクフィと知り合いだったことから「あなたの事務所に所属している子たちもトレーニングをさせた方が良い」とアドバイスを受け、SM第1号歌手であるヒョン・ジニョンを2年間トレーニングさせてからデビューさせたという。

デビュー前、練習室でレッスンをしているキム・ワンソン

また、1980年代~1990年代までは現在のように「合宿生活」・「海外進出」・「トレーニング」といったシステムがまだ無く、振付師もいなかったため、ダンススクールや他の芸能事務所からダンス経験者をスカウトしてきてグループのメンバーに選抜していた。そしてそのダンスが得意なメンバーが振り付けを考案して他のメンバーに伝授するというやり方でした。またトレーニング期間も半年~1年程と今の世代のアイドルたちと比較すると短く、中にはほとんどレッスンをしない状態でデビューするアイドルもいたので、キム・ワンソンの売り出し方は当時としては異例なことであった。

1980年代後半から1990年代前半にかけて大人気だったNKOTB 

1980年代後半から1990年代初頭にかけて大人気だったアメリカのアイドルグループ・New Kids On The Blockは、アメリカのレコードプロデューサーであるモーリス・スターが1980年代初めに黒人のアイドルグループ・New Editionの白人版を計画し、歌って踊れる白人の少年たち5人をスカウトして結成された。その後、練習生として2年間のトレーニング期間を設けた後にデビューした。

デビュー前のH.O.T 練習生時代(1995年8月)

このNew Kids On The Blockの売り出し方をお手本にしたのがSMエンターテインメントのH.O.Tである。90年代初頭にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックが韓国でコンサート(来韓公演)を行ったことがあり、韓国でも絶大な人気があった。これに影響を受けたSMの創設者であるイ・スマンは、「New Kids On The Blockの韓国版が必要だ」と考え、5人組のアイドルグループを計画する。そこでイ・スマンが歌って踊れる少年を探し、そして彼にスカウトされた5人の少年たちによってH.O.Tが結成された。その後、約1~2年程の練習生期間を得て、デビューする。

ボビー・ブラウン / ヒョン・ジニョンとワワ

H.O.Tがニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックをお手本にしたのは同事務所の先輩歌手であるヒョン・ジニョンとワワの時に、New Edition出身のボビー・ブラウンをベンチマークしたからだ。
■モーリス・スター → イ・スマン(プロデューサー)
■Bobby Brown → ヒョン・ジニョンとワワ(3人組)
■New Kids On The Block → H.O.T(5人組)
■TLC → S.E.S(3人組)
■Backstreet Boys → SHINHWA(男性美、男性らしさ)
■Backstreet Boys → 東方神起(5人組)
■Madonna → キム・ワンソン → BoA(女性ソロ)
オーディションまたはオーディション番組でメンバーを選抜し、練習生を数年間トレーニングさせた後に歌手デビューする育成方法は、アメリカのアイドル(ボーイ・バンド)のやり方をお手本にしたものである。

●まとめ

海外のボーイ・バンド / ガール・グループ

K-POPアイドルは、SMエンターテインメントが1986年にデビューしたアメリカのNew Kids On The Blockと1992年に同じくアメリカでデビューしたTLCに影響を受けたのが始まりであり、アメリカのアイドルを参考にした売り出し方(マーケティング)が成功を収めたため、他の韓国の芸能会社もこのやり方を応用して現在のK-POPジャンルが確立したのである。オーディションでメンバーを選抜、数年間の練習生期間を得て歌手デビューさせる、海外で売り出す、音楽(YGとJYPが黒人系アメリカンポップス、SMがユーロポップ系)なども含めすべて海外のボーイ・バンド、ガール・グループに沿って作り上げられたものである。創成記は日本のアイドルを模倣したやり方で人気を繋げていたが、韓国では短命に終わることが多かった。業界が発展し、ビッグビジネスとして成功するには韓国内の市場は狭く、韓国のアイドルたちが長く活動できるようにするため、もっと売れるためには、日本のアイドルと差別化させなければいけなかったのである。そこで考えられたのが2000年以降・第2世代以降のアイドルたちの主流となった北米をターゲットとした事業展開。世界的な展開をするには、幅広い音楽性やアイドルのスタイル、容姿、歌唱力、ダンスなど海外のように「完成型アイドル」を売り出さなければならなかったというわけです。

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