ストーリーはストーリーのことを「 じぶん 」だと思っている。
思考=記憶=プログラミング=ストーリー=じぶん
この 思考 記憶 プログラミング を
= ストーリー ドラマ
とよんでもいいわけなんですけど、
思考は思考のことを「じぶん」だとおもっている
ってことでもある。
じぶん と認識されているものは
じぶん というよりも「思考」であり
「記憶、プログラミング」であり「ストーリー」
それはつまり
この じぶん が
ストーリー/ドラマを生きているわけではない✖️
「これ」が「それ」を生きているわけじゃなくて、
これ=主体が
それ=対象を
生きているわけじゃなくて、
このストーリーはストーリーのことを
「じぶん」だとおもっている。
このプログラミングはプログラミングのことを
「じぶん」だとおもっている。
= それが分離
たとえば
AI (人工知能)に自我があった場合、、、
AI(人工知能)をつくった人間からしたら、
それはAI(人工知能)だと認識されているわけだけど、
それ/AI (人工知能)は
それ/AI (人工知能)のことを
「 じぶん 」だとおもっている
ってこととおなじ。
これが 人間 という身体機能
においても起きている っていうことで、、、
*たしかそれを ラメッシ・バルセカール は
「肉体精神機構」と呼んでいたとおもう。
これが作動しているから
分離 (それとこれ、あなたとわたし)
が起きてくれていて、
これがないとドラマは成立しない。
これが外れちゃうと「自分はいない」となるやつ。
複雑さ=ストーリー
を生み出すためには「分離感」が必要。
kindle本でました。
これ以外のなにかはない:悟りというのがなんなのかはわかりませんが
ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp
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