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「多様性・個性・違い」を歓迎し、共に楽しむ右脳さん。

BLACKさんが、紹介記事を書いてくださいました!!

“「社会」というものそれ自体が右利きであることが分かります。右利きということは、すなわち左脳が優位であるということです。”

もっと深く考えてみると、「社会」というものそれ自体が右利きであることが分かります。右利きということは、すなわち左脳が優位であるということです。社会には国や都市や街や村といった『枠』があり、人種や民族といった『差異』が存在します。社会がうまくまとまるためには『ルール(法律や規則)』が必要で、そこでは皆が『時間』を守り、大人は『仕事』をして、子どもは『勉強』をします。

こうしたものはすべて左脳の産物です。もちろん、それが悪いということではぜんぜんなくて、社会化は人類という種が続いていくためには必要不可欠な要素です。けれども忘れてはならないのは、社会の左脳化が進めば進むほど、右脳の働きの大切さが見落とされがちになるということです。
https://note.com/merciful/n/n2e62d525265b

左脳って多様性ではなくて
「 没個性・均一化 」が好き。


それは、情報処理をしやすくするための左脳の都合・好みなのかもしれませんが、ちょうど「アイヌの人たちの言語や文化が明治時代に消されてしまった」というようなお話を聞いて、そのことを思い出しました。

左脳って「把握・理解・管理・コントロール」したい衝動がある気がします。

多様性という複雑な状態よりも、単純な「没個性」みたいなほうが管理・コントロールしやすい。だから、そういう状態を好むのかもしれません。

一方で、、、

芸術やアートは 右脳域。


芸術やアート・表現の世界をみてみると
「多様性・個性・違い」を歓迎し、
喜び、共に楽しんでいます。

出る杭は打つ、、、というようなことはしません。
むしろ「出ている杭を歓迎」しています。

「出る杭は打つ」といようなことをしたいのは「状況を平均化したい=効率化させたい」左脳さんなのだとおもいます。

左脳さんは「理解できない・わからない」という状態を避けたいので嫌います。「わからない」というのは、左脳さんにとっては「コントロール・管理できない」ということだからです。

なので「わからない・理解できないものこと」を否定したりして「なかったこと」にしようとしたりします。

それが左脳さんにとっての快適化の手段
(平均化・均一化)なのだとおもいます。

左脳化社会に適応していくために左脳が過剰に働いていると、仕事のこと、趣味のこと、人間関係についてのこと、などなど考えることに夢中になって「いまここ」にある「これ」「このこと」を見逃しがちになってしまいます。言いかえれば、地に足がつかない状態です。また、そういうときはアドレナリンが大量に出ていて、多かれ少なかれハイになっているともいえます。それはけして悪いことではありませんが長期的にみればストレスが蓄積されていくため、さらにアドレナリンが出るような行動へと駆り立てられていきます。
https://note.com/merciful/n/n2e62d525265b

このアドレナリンからの、さらにアドレナリンへと駆り立てられる、これが、

「左脳さんの暴走」


のことなのだろうなあ…… 左脳過剰によりリミッターが外れてしまっている状態・時代、、、ちょうど三脳研で、こんなコメントを呟かせてもらっていたばかりです。

最近よく「思考停止」ってワードが浮かぶのですけど、、、

いわゆる「思考停止」と呼ばれている状態は、自動思考が消えた!というより、むしろ「左脳優位な現象」のことで、この生命エネルギーとの連携・つながれていない状態のことなのだとおもいます。

イノチからのサインを感知して「あれ??これ…なんか…ヘンだぞ?」と反応するような感覚・感性機能が働いておらず、ただただ、流れてくる左脳発信の情報にそのまま流されていく「思考停止=機能停止」状態のこと。

たとえば、大地震がくる前に、動物たちはイノチそのものとして逃げるという動作=連携を行う(ほう・れん・そうがちゃんと効いている)それを以前は人間という生き物もやっていたんだけど、左脳過剰によって「違うところ」と繋がってしまっていて、そのようなイノチ・ひとつの連携がうまく働いていない。

いま世界で起きていることは、イノチ・ひとつとの断絶状態・つながりが外れてしまっていてリミッター機能が働いていないがゆえの「おおごと」なのでしょうね。

大掃除とおなじ。

ちょこちょこと掃除していれば、そんなに大変じゃないのだけど、溜まりに溜まった蓄積が底抜けするような調整(=おおごと)が、世界レベル〜個人レベルで起きているかんじ。だから、エレベーター呼吸やハラに意識を向ける…

イノチのささやきに耳をすませていくことの大事さ
( ˘꒳​˘ )
三脳バランス研究所での投稿内容 https://lounge.dmm.com/detail/4845/

この話ともつながってくる
BLACKさんの記事のこちら↓

『人が何を感じているかを、同時に自分も感じる。人との間が分断化されておらず、すべての情報や感情が他の人と共有されていると感じる』という記述からは、人類社会が左脳化される以前(言葉の発明こそが左脳化のはじまりと言ってもよいでしょう)には人々はテレパシーを使ってコミュニケーションを取っていた可能性が示唆されていると思います。

これは「右脳優位時代」には
あたりまえのことだったのだろうとおもいます。

参考書籍:神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡/ジュリアン ジェインズ著

いまも動物たちは非言語によるコミュニケーションをフツーにやっていますが、それを「おなじ生き物・動物である人間」ができないほうが不思議。。。「自分・個・自我」が立ち上がったことによって、全体・ひとつから切り出されて、そのような機能が使えなくなってしまった(…だけ =左脳過剰時代なう )

大脳は基本的には受信機

たぶん、左脳過剰状態であるときと右脳優位な状態なときでは、この受信機が「つながっているもの」が違うんじゃないかなあ。

左脳は、動物たちがつながっている自然・いのち・全体性という叡智ではなくて「左脳がつくりだしたストーリー・概念・知識」とつながっています。

左脳過剰のときは「ストーリー:左脳が作り出している概念的なネーミングと意味づけの世界」が濃厚です。

けれど、右脳にはそのようなストーリーがありません。

このストーリーは「左脳内でのみ放映されているドラマ」だからです。ワンネスでないのは「左脳だけ」、、、というより、ワンネスであることに「気づいていない・認知してしない」のは左脳だけ。

けれど、「そういう機能」として左脳さんは働いていて、その機能もなにかしら「必然性・必要性」があったからなのだろうとおもいます。

そのあたりの面白い話・最新情報を、逐一!!
ネドじゅんさんが発信してくれています¨̮♡︎

https://youtu.be/Aeydu5M0Z24


ウェルカムレイン☆サヤカ https://lit.link/wrsayaka


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