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左脳化社会という檻から抜け出そう

先日、ウェルカムレイン☆サヤカさんが書かれた記事

を読ませていただきました。

左脳と右脳のそれぞれの働きの違いについては以前からわたしもよく考えてはいたものの、気づきや非二元といった観点からそれを考察してみたことはなかったので、なるほどと思いました。ちなみに、わたしは生まれつき左利きなのですが、左半身の運動を司っているのは右脳であり、それゆえ左利きの人は右利きの人に比べて右脳優位であると言われています。

世の中のほとんど(日本では約90%)の人が右利きです。そのため、手を用いて使う道具はほとんどが右手で使うことを前提にした形になっています。たとえばハサミなんかは、左手ではとても使いにくいです。字を書く筆記用具は右手左手どちらでも同じように使えますが、文字はやはり右手で書くように成り立っています。お箸は左手でももちろん使えますが、テーブルやカウンターで左隣に座っている人と腕がぶつかることがあって不便というか迷惑だったりします。駅の改札は右側に切符を通す穴やICカードの読み取りセンサーがあるため、左手で切符や交通カードを持っていると具合が悪いです。

こういうことは、わたしが左利きに生まれついたために否応なく気づかされたことですが、右利きの方はあまり意識されることはないかと思います。しかしこれは、道具や機械といった社会の中のある側面が右利き用に最適化されているということに過ぎません。

けれども、ここでもっと深く考えてみると、「社会」というものそれ自体が右利きであることが分かってきます。右利きということは、すなわち左脳が優位であるということです。社会には国や都市や街や村といった『枠』があり、人種や民族といった『差異』が存在します。社会がうまくまとまるためには『ルール(法律や規則)』が必要で、そこでは皆が『時間』を守り、大人は『仕事』をして、子どもは『勉強』をします。

こうしたものはすべて左脳の産物です。もちろん、それが悪いということではぜんぜんなくて、社会化は人類という種が続いていくためには必要不可欠な要素です。けれども忘れてはならないのは、社会の左脳化が進めば進むほど、右脳の働きの大切さが見落とされがちになるということです。

“左脳過剰である場合は、思考などのコンテンツと一体化していて、「そのことに気づかない状態のまま」であることも多いので”

とサヤカさんも書いてらっしゃいますが、左脳化社会に適応していくために左脳が過剰に働いていると、仕事のこと、趣味のこと、人間関係についてのこと、などなど考えることに夢中になって「いまここ」にある「これ」「このこと」を見逃しがちになってしまいます。言いかえれば、地に足がつかない状態です。また、そういうときはアドレナリンが大量に出ていて、多かれ少なかれハイになっているともいえます。それはけして悪いことではありませんが長期的にみればストレスが蓄積されていくため、さらにアドレナリンが出るような行動へと駆り立てられていきます。

ものすごく単純にして話してはいますが、これは言ってみれば一種の中毒です。でも論理をつかさどる左脳にとっては「仕事をうまくやりとげるためには考えなくてはいけない」し、「趣味を楽しむためには計画を練ったり道具を買ったりと考えることがいっぱいだ」し、「あの人とうまくやるためにはもっとよく考える必要がある」ので、考えることをやめられないとまらない、なのです。

こうなると、まるで牢獄のようなものです。左脳化された社会にはやるべきこと、考えるべきこと、守るべきことがたくさんあって、それらには微妙な中毒性があるため、なかなか抜け出せないのです。それどころか、そこから脱け出す必要があるかもしれない、ということに思いいたることがまず難しいです。

なぜといえば、それに気づくのは左脳ではなく右脳だからです。残念なことに、いまわたしたちが暮らしているこの世の中には、右脳が活躍できる出番があまり用意されていません。たとえば歌ったり踊ったり、絵を描いたり、楽器を弾いてみたりといった機会はあるにはありますが、みんながやっているかといえばそんなことはありません。こういうことを書くと陰謀論だと言われてしまうかもしれませんが、この社会は意図的に右脳の働きを抑圧するように作られているとわたしは思います。

なぜなら、右脳が活性化して左脳化社会の檻から自由になった人が増えてしまうと既存の社会の枠組みが根底から危うくなるからです。既得権益をがっちり握っている人々にとっては、そのような革命的なことは望ましくありません。LSDやシロシビンといったサイケデリクスが一律に規制され、またこれらを使用する人々がアウトサイダー的なレッテルを貼られてしまうのも、これと同じ理由によるものでしょう。

右脳と左脳について、ウェルカムレイン☆サヤカさんがマガジンを発行されています。こちらの方もぜひお読みください。わたしの左脳的な文章よりも、人によっては「すっと」入ってきて分かりやすいかもしれませんよ。

さて、ここまでで終わるつもりでしたが、ちょうどたまたま、いま読んでいる本に右脳と左脳について興味深い記述がありましたので引用してみます。なお、引用文中の太字になっているところは、わたしが強調したものであり、実際の書籍では太字ではありません。

 右脳が、実際のところどのように働いているのかを分からせてくれる体験談が、ジル・ボルト・テイラー博士という脳科学者の本にでてくる。
 彼女は、あるとき脳卒中になってしまい、左脳が機能停止した。それにより、右脳だけが活動する、という状態で、しばらくの間、生活した。
 復帰後、脳科学者だけに、その状態を詳細に専門的な分析をして公表した。
 その記録によると、左脳の停止と同時に、あらゆる論理的な思考力を失い、電話番号さえ記憶できず、電話もかけられない状況だった。言語も論理もまったく分からなくなり、話もできない。つまり、左脳が停止してしまうと、人間は、日常の基本的な活動はまったくできなくなる。
 しかしながらその反面、右脳だけが活動している場合の感覚は、異常に研ぎすまされたものであり、これまで知らない、まったく感知できなかった異次元にアクセスしているように意識の拡大を感じたという。たとえば、人が何を感じているかを、同時に自分も感じる。人との間が分断化されておらず、すべての情報や感情が他の人と共有されていると感じる。
 この感覚は、スピリチュアルの世界のものである。

『最新科学とスピリチュアル: AI・量子力学と大発明家たちのひらめきの謎』
(久慈直登 著)

以前BLOGに、時間には垂直の時間と水平の時間がある、という話を書いたことがあります。水平の時間とは過去→現在→未来という一般的に時間といったときに思い浮かべられるもののことです。垂直の時間とは「いまここ」、「この瞬間」の深さ、高さのことで、これは次元のことを指しています。

わたし自身も今回気づいたことですが、要するに水平の時間は左脳で感じ、垂直の時間(=垂直の次元)は右脳で感じるということのようですね。そして、右脳によって次元の扉をひらくと、そこから直感や天才的ひらめきがやってくるのでしょう。右脳は直感や感性をつかさどると言われていますが、それは高次元とつながっているから、と考えてよさそうです。

また、『人が何を感じているかを、同時に自分も感じる。人との間が分断化されておらず、すべての情報や感情が他の人と共有されていると感じる』という記述からは、人類社会が左脳化される以前(言葉の発明こそが左脳化のはじまりと言ってもよいでしょう)には人々はテレパシーを使ってコミュニケーションを取っていた可能性が示唆されていると思います。そういえば昔々まだマジックマッシュルームが合法だったころに当時の彼女といっしょにトリップしたことがありますが、そのさいに二人の間でテレパシックな意思疎通が可能になったことがありました。

さらにこちらの記述も面白かったです。

 右脳は、直線上ではなく全体のイメージとして物事を一瞬で把握する。左脳の処理能力は、毎秒7ビットから40ビットにすぎないが、これに対して右脳のイメージ情報の処理能力は、デジタル情報に換算すると計算上毎秒400億ビットに達するらしい。
 左脳は直線的に、一度に一画面ずつ処理するが、右脳は並列処理で一度に多くの画面処理ができる。
 結果として左脳と右脳は、実は圧倒的な実力差がある。

『最新科学とスピリチュアル: AI・量子力学と大発明家たちのひらめきの謎』
(久慈直登 著)

この箇所より前の部分でAIの開発について触れられているのですが、AI技術が飛躍的に進歩したのは、CPUでの論理演算に加えてGPU(グラフィカル・プロセシング・ユニット:3Dゲームなどの画像・映像の演算に特化したチップ)を用いたパターン処理を導入したことによると書いてありました。CPUを左脳、GPUを右脳と対比させてみると面白いですね。

わたしは、大脳は基本的には受信機だと思っていますが、まだまだ分からないことだらけです。右脳と左脳の違いについてもまだまだ面白いことが今後も見つかりそうですね。それにしても右脳のポテンシャルは思っていた以上にすごそうです。

今回引用させてもらったこちらの本も面白いのでぜひ読んでみてください。それでは、読んでくださり、ありがとうございました。


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