見出し画像

かんかく・感性が停止しているロボット化

思考停止というより
人間という生き物としての

「かんかく・感性の停止」

去年末ぐらいからモヤモヤしていた
違和感についてのキーワードです

いろいろ言語化してみて、ようやく「そういうことか」と納得というか腑に落ちてきたかんじがします。

左脳って「ある」のに、
あってもあっても、もっともっと…


それゆえの行き過ぎ感・過剰さが、
あちこちでアンバランスを起こしている感

AI=道具ってニュートラル 良いでも悪いでもどちらでもないのだけど、そのツールの僕とならない使い方…そのための「生き物としてのかんかく・感性」→

48 チャットGPTにも「いまここの感覚・感性…による答え合わせ」が必要なんじゃないかな??

みんながそうしているから、そうする。


長蛇の列をみると、その動きに流されて、
なにも考えずに並んでしまうような、、、

みんなのそれに釣られて、流されて、、、

そういう「かんかく・感性の停止」への違和感

たとえば、長蛇の列におもわず並んでしまうようなときにも「かんかく的なそれ」があれば、そこには生き物としてのかんかく・感性がある・機能しているとおもうのですが、かんかく感性が停止しているとき、繋がれていないときって、それがない。

そして、そういうのも左脳過剰ならではの動きで、

左脳が作り出している動きに、左脳的に反応・連鎖していく、、、そういう渦が社会の中では起きている。

左脳と繋がった左脳社会。
「かんかく・感性」がオフの世界。そのほうが左脳社会では生きやすい…というのもある。

「わたし・ここ」がまったく機能していない

それは、まるで、、、
なんというかロボットなんです。

これが去年末ぐらいから
モヤモヤしていた違和感です。

というより、子供の頃からかんじていた違和感だったようにもおもう。だから、ここ何年で始まったことではないとおもうのですが、、、

このかんかく・感性停止状態が、コロナ禍を経過して加速している気がしていて、そんなところに #チャットGPT のようなものがやってきて、、、

「知る・わかる」ことの中になにかがある…


そのように左脳さんは考えます。
そこに価値を見出す左脳さんなのですが、

でも、どうなのだろう??
バランスとして足りていないのは、
なんなんだろう??

ここも、かんかく・感性がオフになっていたら気付けないのだろうとおもいます。

たとえば、掃除をしていておもうのは、モノが多すぎて豊かでない…片付けるというより捨てていくようなプロセスができないと、部屋って片付いていかない。

社会の複雑さもそうです。

モノが多すぎるように、いろいろいろいろ複雑になりすぎていて、ゴチャゴチャしすぎていて、なにかと消耗しているような社会・世界がある。

これって、足り「ない」んじゃなくて、、、

あるもの(過剰なもの)を
「減らす」という作業やプロセスが必要なんじゃない??

かんかく・感性という機能は、

・ 過剰なものを減らし
・ 過少になっているもの足す

そのようなバランス機能で、ここがうまく機能していれば心身ともにシアワセにもなっているはずなんです。

シアワセや健康って

= いまここにおいて、いつも然るべき状態がある

これはアタマ・理屈というスペックだけではできないようにおもいます。

アタマはもっともっと…と求め続けているからです。

かんかく・感性はカラダです。
カラダ・イノチが健康で健やかでシアワセなことを望んでいて、そこからの「かんかく・感性」をだしています。


ウェルカムレイン☆サヤカ  https://lit.link/wrsayaka


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?