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スマホに気づいている要領で「思考」に気づいてみたらいい。

いま、わたしは「スマホ」をみています。

スマホをみていることに「気づいています。」

スマホが「わたしでない」ことに気づいています。

…という要領で「思考」に気づいてみたらいい。



* ちなみに「思考停止」というのは、、、
① 左脳過剰により、思考と一体化していることに無自覚
② その思考がやっていることに、まったく気づけていない状態のこと


もうちょっと主体客体がユルっとしている場合は、、、

わたし・主体が「スマホ・客体」をみている…というより、
それとこれがバラバラ…というより、

ホアっ、、、と。

ここで起きていることが、ひとつとして起きているような感覚… 思考との一体化もそれほど強くないので、風が吹いたり雨が降っていることに気づくような感覚で思考に気づいていて、“自分の思考”というより、思考を含めたあらゆることがここ・ひとつとして起きているような感覚…

このかんじで自動思考が消えていると、
意識が静まっていると、、、

ここ・世界・全体がシーーーンと穏やか・フラットになる。
ヘッドホンのノイズキャンセリング機能ONのような静けさ。
虚無・寂しさ…ではなくて穏やか=満たされている=ひとつ。

このように意識が静かであるときは、
物理的に聞こえてくる聴覚情報の音量の上下はあるものの
それとは関係なしに、一定のフラットな気づきがあって
それに気づいてみると、ノイズキャンONしたような
静けさ、静寂、穏やかさが優位になる。
( 右脳域のかんじ感覚の一例なのだとおもいます。)

そうなってみると
「うるさい、静か…」と言っていた・捉えていたものは
物理的な音量に対してではなくて、
「ここで起きている意識状態」に対してだったんだ…と気づきます。


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