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C/NE4周年に寄せて 、「アザーミュージックにみた場づくりの夢と切なさと心強さ」の話。

はやいもので弊館も今年の2月で開館4周年を迎えました。

いつも遊びに来てくれる方、楽しい企画を持ち寄ってくれる方、プロジェクトの活動拠点に活用してくれる方、「ずっと気になっていて、いつか行きたいなとは思っていた!」方、みなに等しく感謝です。

開館当初は、場所の知名度もなかったわけで、毎週のように自分たちで企画を立て、ゲストをアサインしては、毎月のプログラムを組み立てておりましたが、最近は、ようやく自前の企画だけでなく、持ち込みイベントやレンタル利用もだいぶ増えてきて、少しづつ、いい感じに手元を離れ、いよいよ「私設の文化会館」として実体を帯びてきた気がします。

どうしたってチャラチャラした日々に見られがちですが、毎回時宜を得たフレッシュな企画を考案したり、ゲストを口説き、告知を整え、集客を叶え、設営し、当日のファシリテーションを担い、洗い物して、撤収までを完遂することを継続していくことは、そこそこ骨が折れるシゴトであったりします。(自分で言うな!)

骨だけでなく心も折れそうになること多々ですが、1年に2回か3回ぐらい、場づくり冥利に尽きる魔法のような夜が訪れるもので、結局それですべてが報われてしまうのだから、つくづく因果な稼業であります。

飲食店等で長く働いたことがある人なら心当たりがあるでしょうか、店内がいい塩梅でお客さんで賑わい、スタッフ同士の阿吽の連携が見事にはまり、ドンピシャな音楽が流れ、こちらでは常連同士がシンクロし、あちらでは恋人同士がいいムードで、一人客もマイペースに自分の居場所を見つけ、空間内のすべての要素が余すことなく美しく調和し、新しい何かすら生まれそうな瞬間。

平たく言うとグルーブやバイブスが極まった風景。

演出がかった映画のワンシーンのような時間と遭遇するたびに、「場をつくる」って任務は、経済的な合理性は別として、得難い喜びに満ち溢れた豊かなシゴトだなと痛感してしまうわけです。

(少年時代に映画監督になりたいって無邪気で無謀な夢を抱いていた関係で、場所を起点に人と人が出会い、シーンが発動していく瞬間に立ち会うたびに、場づくりもほとんど映画みたいだなと、無理やり遠い昔に置いて来た淡い夢と継ぎ接ぎしてニヤニヤしています。)

5年目のC/NEでも、そんな甘美なご褒美を期待したいし、多くの人に「場」の主催者になってもらって同じような「場づくりの醍醐味」を甘受して欲しいと思っております。

4周年記念上映は、「アザーミュージック」

上映会は両日14時〜、18時〜の2回上映

というわけで、4周年記念のC/NE名画座は、場づくりの夢と希望と悔しさがぎっしりと詰まった作品『アザー・ミュージック』を上映することにしました。

NYはイーストビレッジで21年間営業を続け、熱心な音楽ファンから絶大な支持を受け、多くのアーティストを発掘し次々と世に輩出してきた伝説的なレコードショップ「アザーミュージック」。2016年にその歴史に幕を閉じるまでの波乱万丈な軌跡を追いかけた貴重なドキュメンタリーです。

古今東西、ロックからポップスからテクノからヒップホップからラテンから日本のインディーシーン(コーネリアスやゆらゆら帝国!)まで、全方位のジャンルを網羅しつつ独自のモノサシで音源を選び抜き、時には店舗固有のジャンルを設えながら、他のどのレコード店にもない棚を作っていくオルタナティブな姿勢が、まあ単純にかっこいいわけです。

(道を挟んで向かいにある大手のタワーレコードが扱わない音楽を扱う店だからアザーミュージック!痺れます。)

見どころは何といっても、オーナーの2人はもちろん、この店で働くスタッフたちの、いい意味で偏った、音楽への深い造詣と愛情です。みなそれぞれ得意な専門ジャンルを持ちつつも、音楽全般へのリスペクトを備えていて、包容力がすごい。

そんなチャーミングなスタッフらを慕って、お客さんがこの店に集まってくるわけですが、大事な点は、アザーミュージックのお客さんは、予め欲しいレコードを目的に来店するわけではなく、何気なくお店に立ち寄っては、スタッフとの対話の中から、次に聞きたい音楽を発見し、それを買っていくというところ。

オンラインやサブスク全盛の時代にあって、リアルなショップの存在意義が揺さぶられる中で、アザーミュージックが提供してきた「人」を介した体験性や偶然性は、「場」であることの強固な根拠として、その趨勢に抗います。

日々店内で自主企画されてきたインストアライブも語り草で、まだ何者でもなかったアニマルコレクティブやラプチャーなど、のちにシーンを牽引することになる重要なバンドらをいちはやくフックアップし、リスナーと出会う機会を創出してきた功績も当然見過ごすわけにはいきません。

「耕す」は、能動詞

文化という言葉の語源は「カルティベート=耕す」にあるという話は、もはやだいぶ手垢のついた引用ではありますが、その何が肝なのかといえば、「耕す」という言葉が能動詞であることだと思っていて、

当たり前ですが、種をまき、土の空気を入れ替え、水をやるには、必ず意志を宿した「人」の手が介在していて、それを続けていくには前提として対象への愛情が不可欠だということ。

日々膨大な音源の海から1枚1枚レコードを選び抜き、独自のジャンルやコンテクストを開発し、リスナーをエドゥケートし、若手アーティストに機会を設え、NYの音楽シーンを攪拌し続けてきた「アザーミュージック」は、まさしく「カルチャー」そのものを体現した場所であったといえます。

そして、その場所を支えてきたのはきっと、お店側からの発信だけではなく、お客側の能動的な受信にもあったはずで、

アザーミュージックが発する「まだ何者でもない誰か」や「まだ光が当てられていない何か」に対して、熱心に耳を傾け、好奇心を持って応えるお客も、その場所を一緒に耕していた当事者であったはずですよね。

運営するスタッフらの対象への愛情が場の中心にあって、それに呼応するようにお客が引き寄せられ、その相互作用の連続と蓄積の中で、分厚い文化が形成されていったのだと思います。

場づくりや店づくりというと、どうしたってハコやデザインから先行して語られがちですが、対象への愛情を持つ主体、すなわち「人」が真ん中にない限り、その場所や店が耕されることもなければ、お客側に愛情が芽生えることもなければ、長く存続することもないのは、どう考えても自明です。

(「風の人、土の人」とは最近、地域創生関連でよく聞く引用ですが、「風の人」(デザイン、コンサル、メディア)になりたい人ばかり増えているのが若干気がかりか。)

それにしても、これほどまでに豊潤でリッチな文化的価値と社会的価値を創出し、エリア全体の懐と多様性を担保してきた場所が、おなじみのジェントリフィケーションという経済と不動産のロジックによって、あっさりと街から弾き出されてしまう不条理には、なかなかに腹が立ちます。

資本主義が発明されてからもう200年以上経つわけだから、もうそろそろ真剣に文化の居場所について議論する頃合いではないでしょうか。

どーせ、経済は文化の後ろを追いかけてくるのですから。

(経済さま、どうか、そのタイムラグの長さをもう少し許容して頂けないでしょうか。)

このあたりはまた追って愚痴をこぼしたいと思います。笑。


映画「アザーミュージック」は、もちろんNYのユニークなレコード店のドキュメンタリーとして見るだけでも十分に面白いですが、「人」や「運営」の視点に立脚した、場づくりの手引きとして見てみるのもおすすめです。

このグダグダと同じことのリフレインな駄文を読んで、もし作品を観たいとおもった方がおりましたら、ぜひC/NEの名画座にお越しくださいませ。


館長より。


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