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東欧が見てきたロシアの本性 〝最前線〟の日本は何を学ぶか|【特集】プーチンによる戦争に世界は決して屈しない[Part5]

ロシアのウクライナ侵攻は長期戦の様相を呈し始め、ロシア軍による市民の虐殺も明らかになった。日本を含めた世界はロシアとの対峙を覚悟し、経済制裁をいっそう強めつつある。もはや「戦前」には戻れない。安全保障、エネルギー、経済……不可逆の変化と向き合わねばならない。これ以上、戦火を広げないために、世界は、そして日本は何をすべきなのか。

東欧は冷戦後もロシアの脅威を訴えてきたが、終ぞ聞き入れられず戦争を迎えた。日本も権威主義国家と接する国である。教訓は何か、リトアニアの視点から読み解く。

文・マチケナイテ・ヴィダ(Macikenaite Vida)
国際大学大学院国際関係学研究科 講師
2006年ビリニュス大学(リトアニア)国際関係・政治学学院卒業。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。15年より現職。共著に『中国対外行動の源泉』(加茂具樹編、慶應義塾大学出版会)

 ロシアがウクライナ侵攻に乗り出した時、「21世紀の欧州で、こんなことがあり得るのか」と世界は唖然とした。だが、東欧のバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)やポーランドにとっては、長らく最も恐れていたことが現実化した瞬間だった。ポーランド大統領だった故レフ・カチンスキ氏は2008年8月、ロシア・グルジア(現ジョージア)戦争の終結時に首都トビリシを訪問し、「今日はジョージア、明日はウクライナ、その翌日はバルト三国だ。そして恐らく、次に順番がくるのがわが国ポーランドだ」と語った。

2008年のロシア・ジョージア戦争の際、ジョージア方面へ進軍するロシア軍。戦後、ロシアはジョージアの一部の分離独立を承認した (AFP/JIJI)

 筆者の祖国であるリトアニアは何世紀にもわたって、大国政治の渦中にあった。18世紀、オーストリアとプロイセン、ロシアによってポーランド・リトアニア共和国の領土が分割され、リトアニアはロシアに併合された。1918年に独立を回復したが、第二次世界大戦が勃発すると、39年の「モロトフ・リッベントロップ協定(独ソ不可侵条約)」の下、ソ連に併合された。

 ソ連の抑圧や強制労働収容所への送還、シベリア強制入植、そして50年間に及ぶ占領下で独立を求めてきた戦いの記憶がまだ鮮明に残る冷戦終結後、リトアニアは積極的に北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)への加盟を目指した。近隣の旧共産主義国も同じ道を歩んだ。

 こうした国々が2004年に加盟を果たす中、バルト三国の保安当局は絶えず、民主的な制度機構と西側とのパートナーシップへの信頼を損なうことを狙った、ロシアのハイブリッド戦争について警鐘を鳴らし続けた。

 ロシアでは、「ロシアは単なる国民国家ではなく文明国家であり、ロシア政府にはユーラシア大陸のロシア語話者を保護する義務がある」というレトリックが強まった。ロシアが14年にウクライナ領のクリミア半島を併合したとき、バルト三国では、ロシアがいかにしてバルト三国内に居住する少数派のロシア系住民を侵略に利用するかについて、多様なシナリオが検討された。政治指導者たちは継続的に、ロシアが突き付ける安全保障上の脅威について諸外国の首脳に警告した。

 だが西側諸国では、ロシアからの潜在的な脅威に対する感覚は、1991年にソ連が解体するや否や消滅していた。ロシアの指導部が自国を西側と再統合し、西洋国家としてのアイデンティティーを取り戻す構えを見せていた90年代初頭のような時代もあった。ソ連の歴史はロシアにとって間違った方向性だったと確信した指導者たちは、急激な経済・政治改革を重んじ、ロシアの「強さ」を二の次にしたのである。

 だがその姿勢は長続きしなかった。

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