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絵心ゼロだけど吉田博展を見て思ったこと(備忘録)

全く絵のこととか分からないんだけど

上野を散歩していたら、吉田博さんという人の展覧会が東京都美術館で行われていた。チラシに描かれている船の絵が魅力的で、絵とかほとんど見ないんだけど、なんとなく行ってみた。絵のことは全く分からないし俺自身棒人間しか描けない男だが、音楽好きの人間としては、なんだか色々と収穫のある展覧会だったので、思ったことを忘れないうちにまとめておこうと思う。

「ディティールを丁寧に描く」ということ

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吉田博の絵は、山や渓流、桜などを極めてリアルに美しく描いているものが多かった。吉田博の絵の特徴の一つって多分このリアルさ、ディティールの丁寧さなんじゃないかと思うんだけど、これは最近のカルチャーのトレンドの一つのキーワードなんじゃないかと思った。

作詞家の松本隆は「風街ちゃんねる」というネット番組内で「良い歌詞は一人称の気持ちを直接的に説明しない。その代わり、周りのディティールを事細かに積み上げていっているものだ」と言っていた。

これを俺なりに解釈すると、「周りのディティールを丁寧に積み上げられた歌詞」というのは「聞き手が感情移入する余白がある」ということなんじゃないかと思う。例えば尾崎豊とかamazarashiとか、自分の感情を書きなぐったようなミュージシャンの歌詞って、受け取り方が一面化してしまうパターンが多いと思うんだけど(でもだからこそ持ちうる力強さがこの人達の歌詞にはあって、俺はそういう歌詞も大好き)、どうやら最近のトレンドは丁寧に周りを切り取って余白を持たせた歌詞なんじゃないかと思う。松本隆の曲が最近いろんなところでカバーされたり、あとはYOASOBIなんかも(ぶっちゃけ殆ど聞いたことないけど)この傾向があるんだと思う。

ただYOASOBIのもう一つの特徴としてそこに「小説」という一種の答えが用意されているってことがあって、一見余白のある歌詞だけどそこに対応した小説があることで、聞き手は想像力に任せて聞くもよし、答え合わせしながら聞くもよし、様々な聞き方が出来るのが新しいんだろうなと思う。まあ「夜を駆ける」しか知らねえんで完全に憶測ですが。

この「周りのディティールを丁寧に」が流行っているのは音楽だけじゃない。映画なんかでも新海誠作品や最近流行っている「花束みたいな恋をした」など、非常にリアルな風景描写やある時代を丁寧に描いた描写が多い。吉田博が今再評価されているとしたらこの流れの中にあるんじゃないかなあって思った。描き手の心情を描いた抽象画より、風景をディティール細かく描いたものの方がより分かりやすく、見ている人がそこに入り込める「余白」があるんじゃないかと思う。

どうしてそういうモノが流行っているのか?っていう分析までは正直俺もよく分からないんだけど、音楽でも映画でも絵でも、今のカルチャーのトレンドの特徴のようなものが見えてきた気がした。

俺は曲を書くのが好きなので、じゃあどういう曲を書くか、想像が膨らむ。トレンドの流れを汲んだミーハーな曲を書いてみるのも、あえて真逆の感情の書きなぐりのような曲を書いてみるもいい。トレンドを意識しすぎると良いことはないが、頭の片隅に置いておくのは悪いことではないだろう。

既存のもの同士を融合させることによって生まれる新しさ

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吉田博は元々水彩画や油絵などで表現していたが、40代になってこれらを木版画で表現したことが革新的だったらしい。版画っていうと、「図工の時間でやったアレか」っていう認識くらいしかなかったんだけど、そんな俺でも、この絵を版画で表現すると途方もなくめんどくさいことくらいは分かった。版画としての利点は浮世絵みたいに何枚も生産出来ることだけじゃないらしい。その型を使って、朝、夕方、夜、1日の風景を描くことが出来る。美しくて色彩豊かな絵が魅力な吉田博の絵だが、その型を1日通じていろんな表情の風景で描いたことが特徴的だというのだ。

現在、音楽は数え切れないジャンルがあり、細分化されている。そしてそんなジャンル同士をバランス良くブレンドすることで、また新しい音楽が生まれていく。「ヒップホップ後」なんてことが言われるように、ヒップホップが生まれてからJ-POPの歌は大きく変わったと言われている。歌詞の入れ込み方が大きく変わったのだ。

他にも例えばサカナクションなんかは歌謡曲にダンスミュージックを取り入れてみたり、モノンクルはポップスにジャズを取り入れてみたり。クロスオーバーにジャンルを取り入れていくっていう手法は音楽だけじゃないんだって発見は、当たり前っちゃ当たり前なんだけど個人的には新鮮だった。

あとその型をベースに1日を描くってなんかコンセプトアルバムを作るのと同じなのかなあとか思った。

一つのことを描き続ける執念

これも創作をする人間にとっては大きなテーマなんだろうと思う。吉田博は、人物画とかも多少はあったが、基本的に美しい風景をブレずに生涯描き続けた。このある種変態的とも言える執念は創作するのに必要なメンタリティの一つのような気がする。

長年活躍し続けているミュージシャンたちって基本的に一つのことを一貫してやっているパターンが多いよね。スピッツとか特にそう。まあくるりとか音楽性を目まぐるしく変えることがウリなミュージシャンもいるけど…

以前村上春樹がラジオかなんかで「僕はずっと一貫して一つのテーマしか書いていない。色々と手を変え品を変えてはいるけど、実際言いたいことは一つしかないんだ」みたいなことを言っていたのを思い出す。BUMPの藤くんなんかも同じようなこと言っていたっけ。

とにかく心を折れずに一つのものを描き続ける執念みたいなものは文化の垣根を超えて普遍なんだということを実感しました。

ごめんなんか最後の方疲れて文章もテキトーになってきちゃいました。とにかく音楽だけじゃなくて色んなところに電波を張るのは大事だなって思ったよ。

3月28日まで。興味のある人はぜひ。

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