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「人生の意味」を問うてしまう人のための、5つの考え方

僕の記事で一番読まれている記事が、以下のものになります。今回は、下の記事を加筆したよというお知らせです。

要約です ↓

人間社会は非常に複雑ですが、その根本には生殖=再生産という事実があります。社会や共同体のルールが定められている理由は、人々が平和に暮らすため、言い換えれば人々の「生存」と「繁殖」のためと言えます。では、人類の生存と繁殖の先には何があるのでしょうか?... そもそも、このような問いを立てること自体が、生物学的には「バグ」であるように思われるのです。

生きる意味を問うことがどうしてバグかというと、人間の思考能力はよく生きるために備わったものだからです。つまり、人間の思考は生きることが大前提なのです。

でも、なぜ生きるのかを考えちゃう!という人はいなくならないでしょう。

そんなわけで、どうして生きるの?という問いを立てる人のために5つの方法を考えたのです。

1つ目は、自殺することです。僕は自死を、生存しろ!と遺伝子によって命令された運命から解放されるための選択肢として考えてもいいと思っています。

2つ目は、何らかの宗教や世界観を自分の精神的土台として採用することです。たくさんの選択肢を比較考量して考えるよりも、「これだけやればOK」と言われたほうが安心する人ってけっこういません?

3つ目は、苦悩しながら問いと向き合い続けること、すなわち問いを保持し続けることです。この選択肢が最も苦しいものだと思われます。

4つ目は、人生を楽しむ技術(テクネ―)を身に着けることです。人生がおもしろくないのは、面白く感じるための技術がないからなのです。ゲーム(人生)を楽しめないのは、ゲームのルールを知らないことやゲームのノリにハマれないからなのでしょう。

5つ目は、日常を受け入れて生きていくことです。日常を繰り返すことを愛するのです。


個人的には、最近4つ目のテクネー身に着け戦略がめっちゃポジティブな考えだなって思っています(よくも悪くも)。この考えは、國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から着想を得ました。最近の僕はこの立場です。


どの選択肢をとるにせよ、僕は学問からマクロ的に人生を捉えることが有効だと考えています。なぜなら、環境がその人の生き方をほとんど決定してしまっているということを勉強を通して気づけるからです勉強することで、これが運命だ!と勘違いして環境の奴隷になって生きることから避けられるでしょう

てか、いつの時代も格差はあるし、イケメンか否かもあるし、田舎住みか都会住みかということもあるわけです。自分がマクロ的に見てどこに位置づけられるかに気づくことによって、どう生きたらいいかを改めて考えるのがいいんじゃねと僕は思います。よりよく生きるための方向付けをするのです。


思考の材料

参考文献


その他



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