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Ayase「幽霊東京」から哲学的に思考する

人は自分と向き合い続けることはできない、と僕は思っています。なぜなら、自分について深く考えれば考えるほど「自分」という存在がいかに不確かで不安定であるかが自覚されてしまうからです。

人は、自分の存在の重さ(Last)に耐えられない

重さに耐えられない人間は、そこから逃避します。どのような仕方で? 一言でいえば、気晴らしです。不定形で掴めない存在から逃れるように、忘れられるように、何か別な物事で置き換えるということ。

僕は、哲学的な思索に耐えられなくなったら、散歩に出かけます。それは往々にして夜(Nacht)です。夜に散歩することで、自分の存在を希釈して風景の中に溶け込ますことができるような気がします。自分であることから、誰でもない誰かへ――。

ここで、Ayaseというアーティストが作った「幽霊東京」について紹介しましょう。

以下、歌詞です。


燦然と輝く街の灯り
対照的な僕を見下ろす
あのビルの間を抜けて
色付き出したネオンと混じって
僕の時間とこの世界をトレード
夜に沈む

終電で家路を辿る僕の
目に映るガラス窓に居たのは
夢見た自分じゃなくて
今にも泣き出してしまいそうな
暗闇の中独りただ迷っている
哀しい人

大丈夫、いつか大丈夫になる
なんて思う日々を幾つ重ねた
今日だって独り東京の景色に透ける僕は
幽霊みたいだ

失うことに慣れていく中で
忘れてしまったあの願いさえも
思い出した時に
涙が落ちたのは
この街がただ
余りにも眩しいから

散々だって笑いながら嘆く
退廃的な日々の中
あの日の想いがフラッシュバック
気付けば朝まで開くロジック
僕の言葉を音に乗せて何度でも

失うことに慣れていく中で
忘れてしまったあの日々でさえも
それでもまだ先へ
なんて思えるのは
君がいるから

ねえ
こんな寂しい街で
ねえ

燦然と輝く街の灯り
対照的な僕を見下ろす
あのビルの先、手を伸ばして
あの日夢見た景色をなぞって
僕の時間とこの世界をトレード
明日を呼ぶ

失うことに慣れていく中で
失くさずにいた大事な想いを
抱き締めたら不意に
涙が落ちたのは
この街でまだ
生きていたいと思うから

君もそうでしょ


僕はこの曲を詳しく解釈することはできないと判断したので、この曲を受けて僕が考えた事柄を本記事に書き記すことにしたのです。


読者のみなさんは、東京の夜に馴染みはありますか? 夜景がきれいだというように俯瞰して眺めるのではなくて、繁華街をあてもなく彷徨ったということはありますか?

街灯が燦然と輝き、往来が賑やかな東京の夜。そこに入り込んだ自分は、物語の主人公のような気分(Stimmung)になるかもしれません。逆に、人々の中に紛れてしまって、他人にとっての他人——誰かにとっての誰かとして埋没したような気分になるかもしれません。

僕は後者の「誰かにとっての誰か」、つまり「誰でもない誰か」になることを期待します。なぜなら僕は、自分自身であることに倦怠感を覚えるからです。すれ違う人が僕に何も関心を寄せないように、僕も自分のことに執着しない。あたかも他人のように自己を扱うこと。

意味が過剰な場所に行けば、相対的に自己の意味を薄めることができるのです


別の切り口から

Ayaseさんは、YOASOBIでの活動も含め人気アーティストとして活躍しています。一方、夢を持って上京したけれどなかなか結果が出ずに苦しい思いをしているアーティストもいるでしょう。

「誰でもない誰か」からみんなに認知されるような人気アーティストになるには、運も実力も必要です。僕たちが見ている人気アーティストの陰には、夢破れて去っていった「誰でもない誰か」がいたはずなのです。

夢がかなわなかった彼らの人生は不幸か? 僕には分かりません。なぜなら、それを判断するのは彼らだからです。

一方で、夢が叶ったと言いうるような人気アーティストは必ずしも幸福なのか?という問いも立てられます。例えば、売れる曲と自分の作りたい曲の齟齬に苦しむアーティストもいるのです。


思考の材料

ハイデガーの思想

パスカルの思想

社会学の知識

Ayase 幽霊東京

R Sound Design レテノール


 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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