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コロナ vs 長寿社会 死について考える学問「死生学」

1. なぜ外出自粛しないといけないのか

なんでいま外出自粛しないといけないんですかね? もちろん、感染拡大の防止というのが一般的な理由でしょう。でも、もっと根本的な理由があるのです。

一言でいえば、死にたくないからでしょう。今回の自粛は、「人々が生きたいと思っていること」が前提なのです。

コロナが示したものの一つに、死の観念が人々を強烈に不安にさせるということがあります。みんな、なんだかんだ「命は大事だ」って思っているんですよ、やっぱ。

生きていないと何も始まりませんから、そう思うのは無理ないでしょう。でも一方で、いまって過剰に「生」を重要視しすぎているんじゃないかとも思うのです。そうやって「何が何でも生きる」って「生」にしがみつこうとすることは、人が絶対に直面する「死」から目をそらし続けることになるのでは!?

コロナについては一生懸命に考えているけど、ほんとのほんとの根源的な問題である「死の問題」について向き合おうとしている人はめちゃめちゃ少ない気がします。

本記事の目的は、コロナが現代人に死を突き付けているという現状の分析です。そして最後に、死についての学(Wissenschaft)である死生学を紹介します。

2. コロナを恐れるのは、死が怖いからだ

人類史(ホモ・サピエンス数百万年の歴史)において、長生き=幸福だという考え方は当然のこととして捉えられてきました。今もそうでしょう。多くの現代人は、長生きは喜ばしいことだと考えます。

その考えは、生物学的にも正統なものでしょう。「長生きはよくない」と思うような個体は、進化の歴史において死滅してしまった可能性が高いからです。(いま長生きをネガティブに捉えるほとんど理由は、資産や健康が気掛かりだからというものでしょう。生存それ自体にネガティブな人は、お金や健康を心配している人より少数な気がします。)

現代は、「なかなか死なない時代」です。目覚ましい医療技術の発達によって、だいたいの人は長生きできます。

でもそうやって長生きが当たり前になると、死が忘却されていきます。だって、日常的な生活を営むのにあたって意識する必要がないですからね。反対に昔は、戦もありましたし、病気になったらお祈りするしかなかったのですから人は簡単に死にました。昔は「死」が「生」の近くにありました

まとめると、現代は昔に比べると死が遠いところにある時代だということです。

でも、いまの新型コロナの流行で、再び「死の不安」が日常に組み込まれることになりました。人はいつでも死にうるという事実を、みんな強烈に意識するようになったのです。

だから、僕としてはこれを機会に感染症について対処しようとすることに加えて、死について現代的に考え直すこともしたほうがいいんじゃないかと思います。

3. 死生学: 死から生を捉える

ここで、死生学という学問を紹介しましょう。死生学は、近代社会の進展で複雑化した死生の問題に対応すべく生まれた新しい学問です。「死」には、法、行政、メディア、医療、思想、宗教、家族観など、様々な要素が絡み合っているのです。

人間は絶対に死ぬという事実と、「死」に対してビビるのが普通という事実を、あえて考えること。「死」がこういうもんかなと少しでも明確になれば、翻って「生」の輪郭が明らかになるのです。よくわからないのが、一番怖いし、対処のしようがありませんから。


思考の材料

参考文献

思考の材料

ハイデガーの思想


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