文字は「虚構」を大量コピーする技術 ー読書メモ:『サピエンス全史−文明の構造と人類の幸福』(2)
この本のおもしろさは歴史を論じる上で、私たちの「虚構」を信じる力に着目するところである。
サピエンスの歴史とは、虚構を作ったり、保存したり、広めたりする技術の歴史でもある。
ハラリ氏は、現在の私たち人類が自らの「虚構」を生み出す能力との折り合いのつけ方に困り、虚構を扱いかねていると問題提起する。
『サピエンス全史』下巻の最後には次のようにある。
私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばよいかは、ほとんど見当もつかない。…私たちは仲間の動物たちや周囲の生態系を悲惨な目に遭わせ、自分自身の快適さや楽しみ以外はほとんど追い求めないが、それでも決して満足できずにいる。自分がなにを望んでいるかわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか? p.265
私たち人類、ホモ・サピエンスは、その虚構を生み出す能力によって「いまここにないもの」を想像し、それを求めてやまない情動に駆られる。この衝動が世界を作り変える力の使い方を決めるのである。
しかしながら今日の人類は、どのような虚構を作り、共有すべきか、という問いへの答えを持たないのである。
このあたりの詳しい話はハラリ氏の近著『21Lessons』を御覧いただきたい。
虚構を作る、記号、意味作用、コミュニケーション
虚構を作り、信じる能力は、広い意味での言語能力とともに生まれた。それは言葉、イメージ、ビジョン、要するに自分で意識できる知覚現象の全般にひろがる記号を扱う能力である。
物質のパターンとしての記号と、記号の組み合わせを操作するプロセスとしての意味作用。そして異なる個体の間での意味作用が同期あるいは交感するプロセスとしてのコミュニケーション。
記号、意味作用、コミュニケーション
これらは抽象的なものではなくて、身体的で肉体的、現に生物として生きている現場で生じる出来事である。その始まりは人間の身体を使ったものだ。言葉といっても、最初の数万年間は、文字で書かれた言葉ではなくて、身振り手振りや表情といった「非言語的」なコミュニケーションを含む音声言語である。
それが後にあれこれと道具・人工物を使うようになったことで事情が変わってくる。粘土や石やもろもろの表面に文字を刻むこと、文字を印刷すること、印刷物を大量生産すること、音声や文字を電気信号に変換し伝送したり保存したりすること。
同じ「言葉」でも、「声」と「文字」、さらに「大量にコピー印刷された文字」では、まったく違ったものである。
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