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I don't care 'bout you, you, literally, at all.

髪の毛を切った。10〜15cmほどは切ったので一年分ほどの厄を切ったことになるだろうか。髪の毛を切ったり、香水を変えたりしたときにいつも気付いてくれた人のことを思い出したりする。最近はずっとネロリとプチグレンの香水をつけている。きっとこの匂いのことを知らないまま、私の横を通り過ぎてしまう人がいる。コロナ禍になってから、匂いと記憶の親密さが少し薄らいでいるように思う。誰かのささやかな抵抗や悲しみに気付いたとして、それに対する声の掛け方に、いつも迷ってしまう。LINEやInstagramで声をかけるにせよ(テキストを送信するにせよ)抜け落ちてしまう視線のことを思う。無論私は誰に対しても、もろてを広げるわけではないし、そこまで余裕のある人間ではない。私が乗っている車の車種を知っている人は少ないし、いつも聴いている音楽や、お気に入りの紅茶を知っている人もまた、少ない。想像してみる。私が知り得ている他者の特徴は一体何があるだろうかと。誰かの語り得ない可能性に対して、私が理解できているものはどれほどあるだろうか。往々にして、重要なことはほとんど「語られない」ことであり「語られる」ことではない。何を言わなかったか、それが肝要なのだ。インスタのストーリーで投稿することではなく、むしろ投稿しないことにこそ、その人の真意が宿っていると思う。

海沿いのことを思い出す。4年前の引っ越しで往復した海岸、決まって左側を流れる海の景色を眺めながら、眠ったこと。東京駅から仙台へ向かうとき、海は右側にある。1年前のコロナ禍での生活で、息詰まったときいつもTTクーペに乗って海沿いを走ったこと。左ハンドルのあの車で、お決まりの場所へ向かうとき、いつも海は左側にある。窓を開け放して、水平線を遮るもののない道を走った。あの車はほんとうに従順で、なんの力みも見せずに健やかな走りを見せるのだった。右にあったり左にあったりする海の景色に対して、正中して対峙することを思い出す。いくつもの海、天候、富山、新潟、大阪、京都、滋賀、兵庫、青森、茨城、福島、神奈川……。私の祖母から車を走らせて、海沿いを見にいくという電話が入ったことを思い出す。ひとりで、むしろひとりでなければ嫌なのだから、という。ひとりを愛しながら、ひとりの恐怖に耐える。人はつくづく本当に奇妙で、人を愛することを忘れたいと願いながらいつも誰かを愛したいと思っているのだ。

沈黙すること。語らないと決めること。他者に対する決別のかたち。諦めることは、語らないことをやめることだ。正確に言えば、語ることも語らないことも全てを停止させ、何かの伝達にかける意思をすっかり欠落させてしまうこと。何かを示唆したり、暗示したり、暗喩したり。ひとつひとつの挙措に滲む思惟を消し去ること。ひとつひとつの動作は次なる意味へ転化する可能性を持っていて、その羽化の様態をある時点で残酷なまでに停止させてしまうのだ。蛹から抜け出そうとしていたそれらは動きを止め、醜い形のみが残ってしまう。

偶然にも再会した友人のことを思い出す。往復書簡を交わしていた。もう何年も前のことではあるけれど、小さなノートにその日のことを書いて、渡していた。駅でたまたま邂逅したとき、何の感情も芽生えないことを思い知った。私たちはいつも想像しあっていると同時に、いつも何かを綺麗に葬り去っている。偶然に再会した友人の記憶にも別れを告げよう。10月だというのに日差しが強かった日のことを思い出す。おおよその到着時間を告げあって、待ち合わせした友人のことを。車に乗せて、フレンチを食べに行った。牛肉を切り分けて分け合ったとき、こぼしてしまったグラス。同時にまた、なんの感情も湧かないことを知る。かつての親密さの記号や表象はそのままに凍結されていたのだけれど、その内実はすでに空疎なのだった。外殻だけはうつくしく、内側に流れる粘液は乾き切ってわずかばかりの香水の残り香を漂わせるだけで、まさに冷え冷えとしたツンドラ地帯が広がっていた。

買ってもらった服を売りに出す。かつて、私のことを想像して「似合うよ」と言ってくれた人のことを。いろんな人の善意や慈しみを餌に、簡明な都市を喰らい尽くしている。信号は今も点滅していて、いつまで経っても通行可能にはならない。黄色で居続けたいとは思うのだけれど、それはひどく疲れてしまう。私が黄色であるためには、いくつかの条件が必要で、けれどその条件は私のことを向いてくれないのだ。赤色の方はずっと私を追いかけていて、確かにそれが休止を意味するのならば、その安寧に身を委ねることもむベなることと思えるのだった。

地震で目が覚める。震度3を告げる速報。惨めな生活を嫌いながらも、いくつもの災害やカタストロフをどこかで望んでいる。いなくなりたい、とは思わないのだけれど、止まって欲しいと思う。急行の京急線に飛び込んだとして、それで粉々になりたいのではない。その喜びは一瞬で——ずっとそれを繰り返して——だから、ずっとそのまま、"破壊"であって欲しいのだ。金閣寺を燃やしたかったのではない、と思う。燃え続けていて欲しかったのだろう。続けることはいつも難しい。熱力学の第二法則に従えばいつか——エントロピーが増大してしまうから——。難しいことではなく、簡単なことを考えてみよう。全て曝け出すこと。口に出してしまうこと。嫌いな人に「もう話しかけないでほしい」ということ。やめること。静止すること。泣くこと。難しいことを考えてみよう。ずっと秘密にしておくこと。嫌いな人にもにこやかな笑みを向けて、敵意を優しく向け続けること。このまま動き続けること。誰かを愛することをやめること。忘れ切ってしまうこと。泣かないこと。憎しみに変わりそうなほど、誰かを思い続けている衛星たちよ、星座はいつごろ完成しますか? 狂おしく回りながらプレリュードを演奏している冥王星、愛の言葉をなくしたまま衝突しあっている風たち。ぶつかりたいのに、通り過ぎてしまうこと。透明であるがゆえに、いつまでたっても正しい痛みを覚えられないのだろう、風はいつもあなたを想像しているから。

向き合うことのない愛たちよ、身体を持たない優しさたちよ、あなたたちは一体いつどこで正しく死ねるのでしょうか? 


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