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承認欲求と付き合っていく〜①物心ついた時から

いきなりですが、私は、「私をみて!」っていう自己顕示欲と、「私を認めて!」っていう承認欲求がとても強いです。それが健全に働いていれば問題はないのですが、私の場合はそれに振り回される日々を送ってきています。私だけでなく、承認欲求ってたくさんの人にあって、それに苦しんでいる人は多いのだろうなと思っています。

私は物心ついた頃からそれが今も続いていて、現在は心療内科に通っているのですが、「ちょっとしたことですぐ自己否定してしまうのは、親からの愛情不足だったからだよ」と先生に言われました。が、私は母親によく褒めてもらっていた記憶があるので、もし先生のおっしゃることが本当だとしたら、私は相当の褒められたがり屋かもしれません。抑うつというなかなか中途半端な苦しみにも少なからず関与しているので、今まで感じてきただけのものを、一度文章にして堂々と公開してみようと思いました。それで何かが変わるかわからないけれど…やってみようと思います。


①幼稚園のお弁当
②ただ無邪気だった小学生時代
③勉強で存在価値を確立しようとした中学時代
 −人より抜きん出ていることに依存し始める
④それなりに成功してしまった高校時代


いきなり今までを書いたら長くなりそうだから、まず高校時代まで…


①幼稚園のお弁当

私の記憶にある中で、自己顕示欲と承認欲求がとても強かったと思う最初の記憶、それは幼稚園のお弁当の時間です。


当時のお弁当のルールとして、自分が食べられるだけ食べたら、そのお弁当箱をいちど先生に見せに行き、先生にOKをもらえたらごちそうさまということにしていいよ(それ以上食べなくてもいいよ)、ということになっていました。この時私が強烈に覚えているのは、先生を驚かすこと、そして褒めてもらうことをとても楽しみにしていた、喜びにしていた、ということです。

どういうことかというと、食べたくないものだけ残して、とりあえずお弁当箱を先生に見せにいく。そうすると先生に、「じゃあこれ、もう半分だけ食べてみよっか」と言われたりする。そしてまた自分の席に戻るのだけど、どういうわけかあとちょっとでいいよ、とお許しを得たものはなんだか頑張って食べる気にもなっていて、半分でいいよと言われたのに結果全部食べるわけです(そんなに強烈に嫌いなものもなかった気がする)。そして全部食べて空っぽになったお弁当箱を先生に見せにいく。すると当然先生は半分でいいよと言ったのだから、全部食べたきたことに驚いて、すごーい!よく食べたねぇ〜!!と褒めてくれる。


これ。

これが私はだーーい好きでした。今では褒められて体をよじらせにやにやと笑っている自分の姿が目に浮かびます。ずる賢いことに私はこれを何度もやっていた記憶があります。

自分を褒めてくれることへの快感。もちろん幼児のうちでは必要なことではあるのですが、それにしても認めてくれることへの強い憧れのようなものをこの頃から持っていたな〜と最近思います。


②ただ無邪気だった小学生時代

ただそんな幼稚園の頃のような記憶がほとんどないのが小学生時代です。ほんとにただ無邪気に遊んでいて、学校の竹馬や鉄棒で遊んでいたのとか、学校のすぐ隣の土手で走り回っていたのとか、そんなことをいちばんに思い出すくらい。


ただ、目立ちたがりな部分もありました。例えば学校の全校集会で、終業式に1学期の感想を全校生徒の前で発表した時。2年生だったと思いますが、担任の先生に「やりたい人ー?」ときかれてはーい!!と元気よく手を上げ、複数上がった手でジャンケンをし勝った時は「やった!!」と声に出して喜びました。原稿用紙1枚分を書いて全て暗記し、先生や友達に褒めてもらった記憶があります。


ただそういった部分はおそらく少なくて、6年生まで基本的にクラスの中では大人しい児童でした。あまり目立たないこともあり、クラスメートが優しくしてくれたこともよく覚えています。


③勉強で存在価値を確立しようとした中学時代

ここからでした、歯車が狂い始めたのは。

ザ・思春期到来。


わたしの地域は若干田舎なので、小学校の同級生たちはみんな隣の同じ中学に上がり、そこに他の3つくらいの小学校から集まった生徒たちも加わって中学の同級生となりました。小学校と違ったのは、思春期というただ素直ではない難しい年代に入ったこと、そして多少治安の悪かった私の中学ではいじめもあったということです。


とくに荒れていた私たちの学年。1年からクラス内でいじめは始まり、授業中もおしゃべりばかりで話をきかない、女子はグループで群れてワイワイ賑やか、男子はそういう年頃なのでしょうがないけれども下ネタばかり、いじめの主犯も男子、私は当時男子達を、正直に吐露してしまうと「バカ」と思って強烈に嫌っていました(もちろん全員ではないですが)。


もともと目立つタイプではなかったので、そういう色んな意味でワイワイガヤガヤと荒れた教室の中で、私は地味な埋もれた存在でした。その中で思いもよらなかったことに、初めての中間テストで、170人ほどいる学年の中で3位という成績をとってしまったのです。もちろんそれなりに努力した結果ではありましたが、周りを嫌いつつものちのち強烈に自覚し始める孤独と、成績優秀という相対的に打ち出される立場、そして幼い頃から続けてきたピアノというものが相まって、私は「人よりも優れていること」、そして「人より抜きん出ていること」に、自分の存在価値を確保するために依存していくようになりました。


 –人より抜きん出ていることに依存し始める

賑やかな教室の中で、自分という存在を保つために当時無意識にとった手段が、「周りよりも優秀であること」でした。


いちど出してしまった3位という成績。中2の頃に中だるみがあり、その時初めて二桁の順位に落ちたものの、それを除いては卒業するまでずっと一桁の順位をキープし続けました。ピークとなった3年では1位を2回とり、そのうち1回は5教科500点満点中498点という異常な成績。今思い出せばおかしかったと思います。そんな成績も、勉強が好き、とか、いい高校に行きたい、とか、そういう上昇志向の努力から来るものではなく、「今の立場を失ったらまずい」という恐怖、ただそこから来るものでした。


頑張って今の状態をキープすること、それが普段賑やかな教室に何も発せない自分が存在できる価値であり、マジメで優秀だから目立たなくてもそこにいられる、一目置いてもらえる。逆にそれを失えば、私はここにいられなくなる、その価値がなくなる。後々大学でお世話になった精神科の先生の言葉をお借りすると、それが自分の「防御手段」になっていきました。そしてそれにすがるようになっていきました。


のちに思い出せばこの中学時代が、私が周りの評価を気にし始めた始まりだったと思います。幼稚園の頃はただの喜びだったものを、自分の存在価値に影響させるまでのものに変化させてしまった時代でした。



④それなりに成功してしまった高校時代

中学時代成績で自分を防御していた一方、その成績の裏に張り付いていた強い孤独感と、当時嫌いだった男子たちから逃れるため、高校は公立の進学校の女子校を志望しました。そしてそのような孤独で息の詰まる思いはもうしたくない、自分らしくいたい、という気持ちから、逆に「高校では全く勉強しないぞ」と決意し入学しました。入学してからは英語劇部という、英語でミュージカルをやる部活に一目惚れし、もともとミュージカルが好きで憧れていたため、高校時代は文字通り部活に明け暮れ、決意した通り普段の勉強は全くせず、男子の目も気にせず走り回り、思いっきり羽をのばしてのびのびとした青春を送りました。だから高校での思い出と言うと、私の中では部活が9割を占めています。


その部活において、今度は楽しい、上昇志向の努力をし、濃密な日々を送り、それなりの結果を出しました。


私の部活では1年間で2本の劇をやるのですが、1年の最初の劇では悩んだり落ち込んだりで部活を辞めようと思ったことがあったものの、それを乗り越え、2本目の劇ではアンサンブル(映画やドラマで言うとエキストラに似たもの)の役ではなく、最初から物語の中で役名を与えられた、セリフもしっかりある役をやらせてもらえました。


そして2年に上がった時、私はその1年間で、1本目の劇では演出を、2本目の劇では主役をやることになったのです。演出になったのは、同じスタッフをやっていた同期が推薦してくれたことがきっかけであり、主役になったのは、その役への思い入れの強さから部内のオーディションでその役を志望し、結果配役してもらえたことがきっかけでした。

そして大きかったのは、演出と主役を両方やらせてもらえたことだけでなく、演出を担当した際、周りの人たちから「あなたの演出で劇ができて本当によかった」、「いい劇だった」と言ってもらえたことです。

当時の部の人数は50人近く、歴代でいちばん多かったといっても過言ではなかった代で、さらにその全員を限られた時間内にしっかり劇に出演させる必要があったため、演出面で色んな改革を施したことがまず大きく、また、単純にやりたいと思った演出に前例がなくても挑んだことなどが、その結果につながったと思っています。部活動に大人が関与することはほとんどなく、自分たちで動いていたため、自分の中でもこれは大きな自信となりました。

そして2本目の劇においては、あまりの役への思い入れの強さにストイックになりすぎ、体調を壊したまま最後の本番に突入してしまったため、自分の中では長らく失敗の思い出となっていました(6年後覆った)。が、単純に主役という立場や、よく“先輩”の背中を観察していた後輩たちがそのストイックさを尊敬してくれたこともあり、これもある程度の自信とはなりました。


高校時代に経験したこれらは、運と努力による成功体験でした。高校で経験したのは“成功”でした。

演出と主役をやりきったこと、そして周りからの評価も相まって、人前は苦手という自分の弱点は自覚していたものの、ミュージカルや演劇といった舞台、エンタメ、芸術、そういったものに自分は進もうかと大学受験期に考えました。つまり、そのあたりの分野が自分の才能ではないかと当時思っていたのです。そしてそれまでの勉強不足を巻き返して受験勉強に臨み、悩みに悩んで入試の課題作品に取り組んだ結果、第一志望の芸術大学に入学することができました。そしてその大学で私は初めて人生の挫折を経験し、抑うつとのお付き合いを始めることになったのです。

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ここまで読んでくださりありがとうございました。ずいぶんと長くなってしまいました。

次は、大学に入学してから現在にかけてのことを書こうと思います。

書けるかな。


〜承認欲求と付き合っていく〜②初めての挫折 に続く〜




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