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世界と学問で闘い続けてほしい。筑波大学 小薮 大輔 先生

石川先生にご紹介いただき、小薮先生にインタビューさせていただきました。

日本や海外の総合博物館で研究員をし、その後博物館で教員兼標本の収蔵管理も担当されていた筑波大学の小薮先生。
幼いころに川底からサンゴや貝の化石を見つけたことをきっかけに、過去の生き物に興味を持ち始め博物館に通い始めたそうです。
海外では政治家で実業家でありながら、博物館に標本を残している人もいるとのことでした。
上には上がいる。現状に満足せず、向上心をもって、更なる高みを目指していきたいと感じました。

哺乳類の身体の形の進化

―今どんな研究をされていますか?

小薮先生:大きなくくりでは進化生物学で、専門は哺乳類の進化です。その中でも骨や筋肉、身体の形の進化を研究しています。以前インタビュー記事にされている、石川姉妹(石川先生note)や、福島さん(福島先生note)、太田さん(太田先生note)も同じ進化生物学です。

―進化生物学の先生は、生物や植物好きの方が多い印象です。福島先生は、幼い頃に自宅の部屋を植物で埋め尽くしたとお話を伺い、めちゃめちゃ面白いなって思いました。

小薮先生:基本的に生物が好きな方が多いと思います。ですが、私はいわゆる動物好きだったわけではないんです。私の研究への興味の入口は、「化石」と「骨」です。化石と骨の研究がしたくて研究材料を探していく中で、最終的に哺乳類の進化に辿り着きました。

小薮先生にオンラインでインタビューさせていただきました。

化石はタイムカプセル

―化石や骨は、いつ頃からお好きだったんですか?

小薮先生:だいたい6歳頃には、化石に関する何かをやりたいなって思っていました。子どもの頃に住んでいた地域は、よく貝などの化石が出る場所でした。友達と虫を採ったり、川で泳いで魚を捕ったり、山を駆け回ったりしていつも遊んでいました。

ある時、川底からサンゴや貝の化石を見つけたんです。

「これは、昔の記録なんだ。こんな不思議なタイムカプセルのようなものが世界では存在するんだ。」と、そこから過去の生き物にすごく興味を持ち始めました。博物館に行くようになり、「生き物の骨の形」って格好いい、進化って面白いと思うようになりました。

海外では150年前の標本も綺麗に残っている

―子どもの頃に博物館に行かれていたんですね。博物館や展示会をされてる理由は、次は自分が企画したいという思いからでしょうか。

小薮先生:単純に博物館の職員としての業務だった部分が大きいです...(笑)。
 
もともと東京大学総合研究博物館で大学院生をやり、2011年に博士号を取得しました。博士号を取ったあと京都大学の総合博物館で研究員をしていました。その後、スイスの博物館で研究員を経て、日本に帰り、東京大学総合研究博物館で5年間教員兼哺乳類標本の収蔵管理担当をしていました。

―そういう道もあるんですね。めちゃめちゃ面白いです。博物館について、日本とスイスの違いを感じられたことはありますか?

小薮先生:スイスやヨーロッパの国の博物館と日本の博物館では、博物学の歴史の重みが圧倒的に違います。150年近く前の標本が綺麗に残ってたり、いつどこで採取されたか等の詳細な記録や情報がしっかり残っています。

日本は戦争で標本の多くが消失したという部分もありますが、日本の国立科学博物館や教育機関である東京大学や京都大学であっても、標本を蓄積してきた歴史は浅く、残念ながら欧米に比べるとかなり貧弱な部分があります。

―日本が優れている部分はありますか?

小薮先生:ないかもしれないですね...(笑)。......日本の良さは、各種博物館が各地にたくさんあることかもしれません。

博物館には大きく分けると登録や指定を受けている登録博物館と、博物館相当施設の2つの種類があります。様々な博物館の定義が博物館法で定められています。

いわゆる学術研究を目的とした博物館だけではなく、いわゆる博物館相当施設が日本にはたくさんあります。町の物好きが作った建物やこけしの博物館、おもちゃの博物館があったり、大きいだけではない中小の博物館が色々あることは日本の面白いところかなとは思います。

小薮先生の講義での様子

「社会教育の場」と、「残していくこと」の価値

―博物館で働いている知り合いがいなく運営イメージがあまり湧きません。典型的な、印象深いエピソードはありますでしょうか。

小薮先生:今おっしゃったことが、まさに日本の博物館のあり方を突いています。日本における一般来客者の博物館への需要は、「見せ物小屋」的なものを求めている部分が大きいのです。展示は博物館の使命の一つではありますが、逃してはいけない使命が他にも2つあります。

一つは、社会教育です。小、中、高校ではカバーできない社会教育や、生涯教育にも繋ります。博物館は、あらゆる世代に対する教育を行う機関です。そしてもう一つ、国内外の研究者、もしくはそのものを見たいという研究者に限らない方に対して「標本を集めて、残す」ことです。一番忘れてはいけない仕事です。

日本では「なぜ殆どの人が目にしない標本庫の維持拡大に世の中の税金を使うんだ。」と理解されにくい現状があります。見せ物小屋的役割は来客者をカウントできるし、経済価値に変換できます。一方で、経済的な価値にならない博物館の裏側の部分が理解されることも必要です。

―小薮先生のインタビュー記事(生命誌ジャーナル)で拝見した、過去の職場の大学の学生が、骨からデザインし絵を描いたもの(作品名:合成魚博物館、作者:武蔵野美術大学基礎デザイン学科2019年卒 佐々木真秀 )が面白くてTwitter(@29_trumpet)をフォローしました。発信や周知の方法は、色んな可能性があると感じています。

小薮先生:マンガ家さんやデザイナーさんなどが自分の制作物の基礎情報収集のために博物館の標本庫の標本を見ることもできます。博物館は協力してくれる場所なんです。

標本を通して偉大な研究者と繋がる

―博物館の活用法で考えられていることはありますか?

小薮先生:私がとある活用法を推してしまうと、他の活用法には価値がないみたいに聞こえてしまうので敢えて推しません。あらゆる形の活用が尊重されるべきだと思います。

―なるほどです。

小薮先生:私は博物館の側の人間でもありますし、博物館の標本を使う側でもあります。

今の研究では、博物館にある標本を使わずに自分で材料を取りに行って研究する事が多いですが、大学院生の頃は、自分の求める標本が日本にはないので世界の国の博物館にお邪魔をして、残されている標本を調べて研究をしていました。

ヨーロッパの博物館の収蔵庫には、埃まみれになった標本がたくさんありました。サンプルを調べると19世紀に採られたものだったりしました。標本瓶は汚くなっていましたが、中に入っている標本は古さを感じさせず大事に残されていました。

普段は誰も見に来ないし、一体将来誰が見に来るんだろうっていうような標本が博物館にはたくさんあります。冗長性をものすごく大事にした組織体なんです。

昔の人たちが残してくれた贈り物とも言える標本を使わせてもらって研究ができています。自分が憧れていた有名な研究者が残した標本と時々出会うことがあります。自分にとってヒーローみたいな人と標本を通して少し繋がれるような気にもなります。

生物学者以外にも、政治の世界に博物館標本に興味がある人もいます。博物学好きだったアメリカのルーズベルト大統領はスミソニアン博物館に標本を残しています。

東南アジアに咲く大きな花のラフレシアという名前の元となっているのがラッフルズという人です。ラッフルズはシンガポールの初代提督です。表向きの顔は政治家官僚、実業家です。一方で、彼は生物が大好きで、プロ級の見識の持ち主でした。東南アジアで大量の動植物を発見し、いまもシンガポール国立大学博物館や大英自然史博物館にその標本が残されています。彼の調査隊が発見したラフレシアも彼にちなんで名付けられました。

標本を見ることで歴史上の人と繋がり合えることが面白いです。学問分野に大きく貢献をした人や過去の研究者に自分を重ねることで、その生き方を学ぶことが科学者にはよくあります。

何歳になっても変わらない学問への姿勢

―現在ご健在の方で印象的だと思う方はいらっしゃいますか?

小薮先生:倉谷滋先(https://www.bdr.riken.jp/ja/research/labs/kuratani-s/index.html)です。このシリーズでも既に登場された太田さんのお師匠様です。私は倉谷先生の直接の弟子ではないですが、公私でよくお付き合いをさせていただいています。

―どういったところに影響を受けていますか?

小薮先生:倉谷先生の学問への姿勢です。大御所となられてもモチベーションを落とさず比較解剖学と闘い続けています。ひたすら考え続けているし、何がこれから解かれるべき問題なのかを常に考えていらっしゃいます。

海外の方だったら、私の師匠の師匠であるドイツのWolfgang Maier先生です。研究姿勢と生き様に倉谷先生と共通点を感じる大先生です。今年80歳になられましたが、いまも最新の論文をチェックされておられますし、論文を書いておられます。ちなみに、その師匠のDietrich Starck先生のそのまた師匠をずっと辿っていくと、フランスの有名なキュヴィエという解剖学者に行き着きます。その意味で私は、キュヴィエの弟子筋にあたると自任しています。

コレクション量で歴史上の一番になりたい

これから、どんなことをやっていきたいですか。

小薮先生:現在コウモリの胎児をはじめ、あらゆる哺乳類の胎児を調べる研究をしています。既に、歴史上上位10人に入るほどの胎児数を集めたと思います。ここで満足せず、あらゆる動物の胎児を大量に集め、歴史上もっとも胎児を集めて遺すのが私の夢です。

集めた標本は私が死んだ後もしっかり保管し、どこかの博物館でコレクションにします。100年後200年後の生物学者にその標本を使って研究してもらえたら嬉しいです。

―「小薮 大輔が残してくれたもの」と思い浮かべてもらいたいということですか?

小薮先生:私のこどもたちのように胎児標本を後世に残したいです。妻には私の骨も博物館に寄贈してほしいと話をしていますが...それは駄目だと言われています(笑)。自分の身体は、残念ながら標本にはできないみたいです(笑)。

―若手研究者に一言お願いします。

小薮先生:世界と闘ってほしいですね。研究者として世界で認められる前に、若くして運良く職を得られたり、SNSやメディアを通して国内で知名度を得られたりすると満足しがちだとは思うんですが…解剖学者は昔からそういう例が結構多いです(笑)。それに満足せず、世界という舞台で歴史と学問と闘い続けてほしいです。


先輩研究者の皆様の悩んだこと、どうやって乗り越えたか、成功の裏側などをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。

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