自分が研究するより、研究者の声を届けたいと科学ライターに‐ 詫摩 雅子 さん
石川先生のnote投稿後のtwitter上での太田先生とのやりとりで繋がりました詫摩さんにインタビューさせていただきました。
研究者の話を聞く方が面白いと思い科学ライターに
ー詫摩さんは、研究者にインタビューして記事を書くライターさんですよね。
詫摩さん:そうです。ライターです。研究者さんにお時間をいただいて取材して、記事を書く仕事をしています。裏の人間で表には出ない人間です。
ーこういうインタビューも必要だと思っています。理系に進学して、でも自分は研究者の道じゃない、裏で支えたいという方もいらっしゃると思うんです。
博士とか修士=研究者じゃなく、違う道もあるよって伝えられるのは面白いと思っています。
詫摩さん:そうですよね。私の若い頃と、今の若い方とは置かれている状況が全然違うので、あまり参考にならないかもしれないですが...。私がなぜこの道を選んだかって言うのをお話します。
私は理学部の生物学科で学部を出て、修士まで行きました。4年生の時は全然就活なんかしないで、卒論研究や修士の院の入学試験の準備をしていました。大学に残って、漠然と研究者になるつもりでいました。
4年生の時に初めて学会に参加させてもらったんです。
「どんな研究してるの?」って話になった時に、どの先生の話を聞いても面白かったんです。もちろん、自分の研究も面白いと思ってやっていたんですけど、ほかの人の研究も面白いんです。
ーいや~間違いないですよね。
詫摩さん:その時に、こんなに面白いことをやってる人が大勢いて、面白い話がいっぱいある。私はこうやって人の話を聞くほうが好きだなと思いました。
自分で深い穴を掘っていくのも楽しいしやりがいもあるんだけど、それよりも、色んな人の色んな話を聞くほうが面白いなって思ったんです。それで、そういうことを仕事にしようって決めました。
ーそれはめちゃめちゃ共感ですね。僕もそのタイプです。博士はちょっと厳しいなと思ったんですよね。研究は嫌いじゃなかったし、でもこれを一生ずっと続けるのは違うなと思いました。
でも、何かでまた関わりたいと思っていて、ご縁があって今関わらせてもらっていてめちゃめちゃ楽しいです。
詫摩さん:いつか、私は仕事をリタイアして、もう書かないって日が必ず来ると思います。
でも、一生、科学や生物学とのかかわりは続けると思うんです。今は市民講座とかで素晴らしい先生が最先端のお話をタダみたいな金額でお話しされたりしてますよね。色んなシンポジウムに参加したり、聞きに行くことは一生やるだろうなと思っています。
「また、あのおばあちゃん来てるよ。」ってなるんだろうなと(笑)。
私は研究者ではないんですけど、科学の周辺で生きている人間で、科学がすごく好きで面白いです。
たまに、私みたいな仕事をしたいって相談を受けることがあるんです。
信頼してもらえないと、取材させてもらえない
ーいらっしゃいますよね。どうお答えされているんですか?
詫摩さん:私自身は修士までしか出てないし、正直それで何とかなっているんですけど、これからだったら絶対博士号はとったほうがいいぞって言いたいなと思ってます。
ーそれはなぜですか?
詫摩さん:科学の仕事をしていると、外国の先生方にお話を伺うことがあると思うんです。その時に、同じライターでも「Dr. Takuma」って名刺に刷れるかどうかで違うんですよ。
良いことではないのでしょうが、何だかんだいって、肩書きってすごく大事です。私は特に今、フリーになっていますから、フリーランスの科学ライターだって言っても、あまり信用してもらえない。話を理解しないまま記事を書くライターもいることはいますから、取材される側からすれば無理のないことだと思います。
日本科学未来館(https://www.miraikan.jst.go.jp/)に移って、ライターとしてフリーになる前、20年くらい日経サイエンスにいました。
日本だったら日経サイエンスを読んだことがない人でも、日経ってついているからには、あの日経新聞が出している科学誌ってことで通用はするんです。でも、外国の方には通用しませんよね。
―そう言われると納得です。
詫摩さん:日経サイエンスって、サイエンティフィック・アメリカンの日本版なんです。
「私は以前、日経サイエンスの記者・編集者をやってて、今でも日経サイエンスに書いてるんだ。」って言うんではなく、サイエンティフィック・アメリカンの日本版って言うと扱ってもらえることが正直あります。
日本の方の場合、私自身が書いた過去の記事がいくつもあるので、最初に取材に行くときに、過去にはこんな記事を書いていますとか、URLとか貼ってお送りすればどんなライターか伝わります。
でも、外国の方とやりとりする時には、英語の記事なんて書いていないですから、サイエンティフィック・アメリカンの日本版なんだと持ち出さないとわかってもらえないんです。
だから、博士号をとっていたらよかったなと今になってちょっと思うことがあります。
博士号は日本で取得でき海外でも通用するツール
詫摩さん:特に海外で科学ライターをやってる方は、博士号を持ってる方が多いです。
未来館の若い同僚が、研修でイギリスに行ってたんですけど、彼は日本に帰ってきて、社会人をやりながら大学院に通いはじめて、ものすごくがんばって博士号をとっていました。
弁護士免許とか医師免許とか、もちろん取るのはすごく大変ですし、どの国も一目置いていただけると思うんですけど、日本の医師免許でアメリカで開業できるわけではない。
でも、Dr.・Ph.D.って、日本でとって世界で通用するんです。外国でポジションを得ることが出来るじゃないですか。
―確かに〜。海外で仕事する方も増えてきましたもんね。
詫摩さん:私は昭和の時代の人間ですから、研究職に就かない限り、日本で博士号を取るか取らないかは、その後の人生にそこまで影響せずにすんできました。
ですが、外国で仕事したいとか、あるいは日本でも科学周辺で仕事をするならば、これからは博士号があったほうがよいと思います。
―博士号を採用している企業が少しずつ増えてますよね。
詫摩さん:同じことを中央官庁の人にも言われたことがあります。霞ヶ関とかで働いている方々も、博士号をお持ちの方もいらっしゃるんです。
「私は博士号をもってないから、ちょっとやっぱり外国では」って話したことあるんです。そしたら、「わかります〜。私もそれがあったから頑張ってとりました」って方がいらっしゃいました。
―え〜。僕もとろうかな〜。
詫摩さん:まだお若いからとった方がいいですよ(笑)。
私はさすがにこのまま逃げ切っちゃおうかなと思ってるんですけど(笑)。今の若い方は本当にとったほうがいいなと思いますね。
一冊の本から生物の進化に興味を持った
―もともと生物好き理系好きなどはあったのでしょうか。人の話を聞くのが面白いってことは、話すよりも聞くことがお好きだったのでしょうか。
詫摩さん:推理小説が好きだったんですよ。本を読むのが子供の頃からとにかく好きでした。
主に父が本屋さんに連れて行ってくれて、「なんでも好きな本を買ってもいいぞ」っていう日があったんですよ。買ってもらった本の数を考えると、もしかしたら毎月買ってもらっていたのかなと思います(笑)。
絵本のうさこちゃんとか、ぐりとぐらとかから始まって、どんどん文字の多い本になっていきました。私の母は推理小説が好きで、アガサ・クリスティとかG. K. チェスタートンを読んでいて、家にあったんです。
それが生物に結びついたのは、ジェイムズ・P・ホーガンの、『星を継ぐもの』(創元SF文庫、1980年)というSF小説です。
―へ〜。存じ上げないです。
詫摩さん:私は、Jホーガンさんの最初の作品を初版で読んでるんですよ。SF小説で未来の話なんです。
人類が月に行って色んな国の探査チームが探索活動をしている時、たまたま宇宙服を着た遺体を見つけるんですね。
どこかの国の月面探査の人が亡くなったんだろうって主人公たちがその遺体を持って帰るんですけど、どこの国の探査チームに聞いても誰も行方不明になっていないと...。
炭素の年代分析法で調べてみると、5万年前に亡くなった遺体と判明。でも明らかにホモ・サピエンスで、なぜ石器時代の人間が宇宙服を着て月で5万年前に死んでいるのかと言うところからはじまるんです。
そのうちに、食料と思われる遺品が見つかり、缶詰のような金属容器のなかから魚が見つかります。でもその魚を解剖してみたら、地球のものと全然違う、みたいな話なんです(笑)。
進化生物学者とかも出てきて、この魚は地球で進化したものではない、じゃあ、どこから来たんだみたいな話になり、話が広がっていきすごい面白いんですよ。私が中学か高校の時だったと思います。
―ちょっと難しそうな内容ですもんね。
詫摩さん:科学者が挑む謎解きも面白かったり、進化っていうのがすごい面白いなって気がつきました。
とにかく本が好きだったし、両親もわりと本を読む人でした。翻訳も古かったので流石に全部は読めなかったですけど、ダーウィンの『人類の起原』(中央公論社、世界の名著、1967年)もあり、進化ってものすごい面白いなと思ったんです。
―お父さんお母さんすごいです。遺伝に推理小説に今に繋がっていますね。
詫摩さん:そこからですね。「生物学っていうのは進化の学問なんだ」って私は思っているんです。私が学部生だったころは、マクロを扱う生態学とミクロを扱う分子生物学では、対象も手法も違いすぎて、あまり会話が弾まない。でも、進化だけは共通の切り口になったんですよね。
テオドシウス・ドブジャンスキーは「進化の光を照らさない生物学は何の意味もない」と言っています。額に入れて飾りたいぐらいこの言葉が好きです(笑)。
―詫摩さんくらい熱量があったり知識もあったら、研究者の方々はめちゃめちゃ話しやすいだろうなと思います。
詫摩さん:先生の専門分野に関しては全然知らないので「教えてください」ってスタイルでいきます。
大学で生物学を体系的に学んではいるので、ド素人ではあっても質問はできますよね。どこが理解できていないのかが自分でもわかり質問はできるので、先生方には楽しく語っていただけました。
アルツハイマーの研究をしている髙島先生
―そんな先生の中で、強烈なインパクトが残ってる方はいらっしゃいますか?また、印象的なエピソードってあるんですか?
詫摩さん:いっぱいいらっしゃいますよ(笑)。
数年前に取材をさせていただいた先生なんですけど、髙島明彦先生(https://www.univ.gakushuin.ac.jp/sci/bio/laboratory/detail-takashima/)というアルツハイマーの研究をずっとやってらっしゃる先生がいらっしゃいます。
アルツハイマー研究の初期のころ、亡くなられた患者さんの脳を調べさせて頂くと、老人斑と呼ばれるアミロイドβの沈着と、もうひとつ細胞の中にタウ・タンパク質があり、どっちが真犯人なんだっていう時代がずっと続いていたんです。
髙島先生は、その頃からタウの研究をやってらっしゃいます。
その後、色んな研究の積み重ねがあって、90年代にはアミロイドβがアルツハイマーの元凶だろうみたいな流れになり、アミロイドβに作用する薬ができてきますが、まだ治療法の確立には至っていませんよね。
アミロイドβに作用する薬のおかげで綺麗に老人斑が消えたにも関わらず、症状としてはアルツハイマーの最終段階までいってお亡くなりになられたという患者さんという臨床研究の結果が出て(Lancet、2008)、別のアミロイドβをターゲットにした候補薬の臨床研究がうまく行かなかったというニュースが流れてきたタイミングで髙島先生の所に取材に行きました。
非常に不躾だなと思ったんですけど、「先生はなぜずっとタウを研究してるんですか?」って聞いたんです。
髙島先生は、「科学っていうのは、暗闇の中に灯りをともす行為なんだ」と。
「真っ暗闇の中をあちこちぶつかりながら手探りで歩いている。ようやく灯りを点けることができて、ああ、ここはこうなっていたのか!とそこで初めてわかる。灯りをつける作業っていうのが科学だ。その時にその光景を見てるのは、俺一人だ。」と。
髙島先生の恩師のお言葉であったそうなんですけど、髙島先生自身もほんとにそう思っていらっしゃるんです。髙島先生って外見もダンディでかっこいい先生なんですけど、その時の話し方とかがまたかっこよかったんですよね(笑)。
―体中から熱量が伝わるんでしょうね。面白いな〜。
生物や現象が大好きな先生の話は絶対面白い
詫摩さん:研究よりも子どもの時どうだったとか趣味のこととか、その研究者の人物像にフォーカスした記事を書くことがたまにあるんです。
子どもの頃はどうだったかみたいな質問をして、はじめは子どもの頃のことをお話しいただくんですけれど、いつの間にか細胞の話になる。趣味の話を聞いても、何を聞いても、最後は細胞の話になる(笑)。
それが細胞だったり、染色体、核だったり、その先生によって違うんですけど、何を聞いても最後は今の研究テーマになる経験は何度もしています。そういう先生のなさる研究っていうのは、間違いなく面白いですよね。
―本当に好きなんやな~って思いますよね(笑)。色んな人を見てきた詫摩さんだからこその研究者の共通点ってありますか?
詫摩さん:取材をさせていただいて、私がすごく楽しいな〜って思って、先生にもそう思っていただけたのは、本当に生物や生命現象が好きな先生ですよね。
そこはどこか同じ匂いを嗅ぐみたいなところがあります。
研究分野が違うと先生の捉え方も異なる
―それは間違いないと思います。他に気付きなどはありますでしょうか。
詫摩さん:今日の午前中もまさにそうだったんですが、分野が違うと同じものでも全然違った捉え方をなさるんだなって気がついたことがありますね。
私は、今はゲノム編集をテーマとして追っています。特にヒトの受精卵にゲノム編集をして遺伝性疾患を治すとか、人類の能力を高めようとか、そんなことをしてもいいのかといった生命倫理的な話も含めてです。
今までは、医学系の先生方にゲノム編集の話をお聞きすることがすごく多かったんです。ですが今日は、別件で農学部の先生とメールでやり取りさせていただいたんです。農学部の先生は品種改良とかでゲノム編集をお使いになられるんですけど、全然考え方が違うんです。
―何が一番違ったのでしょうか。
詫摩さん:農学部の先生は、ゲノム編集に対してクールなんですよ。もちろん、技術のすばらしさはよくわかっていらっしゃるのですが、医学部の先生方のようなある種の“熱狂”は感じない。
いわゆる遺伝子治療は90年代からやられていますけど、あの当時の遺伝子治療に使っていた技術に比べれば、ゲノム編集の方が成功率が高く、精確にできます。
患者さんを治すことが最終的な目的なので「成功率が高い」って医学の世界では超重要じゃないですか。だから医学部の先生方からはゲノム編集への熱狂を感じるのです。
―ゲノム編集って言った時、医学部は「人」が思い浮かび、農学部は「商品」を思い浮かべるので、そこで熱量が違うんでしょうね。
詫摩さん:そうなんです。農学部の先生方にとっては、より良いもの、美味しいとか、育てやすいとか、環境へのダメージが少ないとか、色々な改良を試してみて、試した後に本当に良いものを選抜するプロセスの方がよっぽど大切なんです。
ゲノム編集もどんどん改良されたり、ベース編集とかプライム編集とか色々違うバージョンが出てきていますが、それを迎える医学部の先生方の熱量と農学部の先生のクールさが印象的ですごく面白かったです。
研究者の誤解を解いていきたい
―ここからどこに向かっていきたいとか、最終的に目指しているゴールをお教えいただきたいです。
詫摩さん:それね、聞かれると困っちゃうんですよね(笑)。
何にも考えず走り出すタイプなんですよ。例えば、未来館でイベントを企画する時も、同僚が企画したイベントだと、二軸をつかった図を使いながら、「世間で求められている部分はここで、このイベントはここの部分を埋める」とちゃんと図に描いているんです。すごいなぁって思います。私はそういうのが苦手です。
それに、私はもう職業人生の終盤に入ってきてるなと思っていて、どこまでいくのかというよりは、いけるところまでいこうという感じですね。
ただ、今現在の問題意識として、研究者に対する誤解を解いていきたいと思っています。
ヒトの受精卵、ヒトの胚を使った研究をどこまで解禁するかのルールづくりを国がやっていて、ずっと取材しています。それと同時に未来館で一般市民の方々に「こういうのどう思います?」って聞いています。
当たり前の話ですけど、一般の方々って研究者の方に接する機会って滅多にあるわけじゃないですよね。ましてや、細胞を顕微鏡で覗くとか、受精卵がどんどん卵割していって、だんだん体ができてくるとか見たことある人ってほんとに一握りですよね。
―中学校ではあまり見ないですよね。高校になって、工業系とか文系に進むと見ないですもんね。
詫摩さん:ヒトの受精卵を使って研究をするってことに反発を覚える方がいらっしゃるのは当然だと思うんです。
それはやっていいのかなって気持ちはとっても自然なものだと思うんですけど、「研究者っていうのは、細胞とか受精卵みたいなものを、平気で使い捨てにしている」という誤解というか、思い込みみたいなものをお持ちの方が一部にいらっしゃるんです。
たぶん映画とかテレビ番組とかの影響です。
―実験マウスとか、確かにそういうイメージはあるかもしれません。
詫摩さん:いわゆるドラマやフィクションに出てくる、ある種ステレオタイプ的なマットサイエンティストっているじゃないですか。
自分の興味関心のまま、あるいは金儲けのために生き物いじくりまわしちゃうみたいな。
少なくとも私がお目にかかった研究者の方々って一般の方よりもよっぽど生命に対する畏敬の念を持ってらっしゃるんですよね。研究者にしてみれば、毎日のように見ている細胞って、リアルな存在です。
リアリティがあるんです。それが、日々、変わっていったりする。
「やっぱりすごいな細胞、すごいな受精卵」って思ってらっしゃいます。
日経サイエンス時代に養老孟司先生のお弟子でいらした布施英利先生に対談をやって頂いてたことがあります。布施先生は解剖学教室にいらしたころに、毎日のように人体の解剖をなさっているので、死体という言葉にもリアリティがあるんです。
同時に「生命」や「生きている」ことのすごさがわかるようになって「解剖室から出ると、前の階段を人が歩いていて、ひどくびっくりしたんです。歩いているなんて、日常生活の中では当たり前のことなんですが、それが当たり前ではなく、奇跡的なことのように見えた」と話してくださいました(日経サイエンス2001年8月号)。
逆にその感覚って私達にはないじゃないですか。
死体にも人体にも、ましてや細胞や受精卵にリアリティを感じていない。研究者の方々の方が「生命」の凄さが分かっていて、その凄さに対して、本当に畏敬の念を抱いているんです。
これって、研究者の方々にしてみれば普通のことで、研究室ではそういう人ばかりだから、わざわざ話そうとはなさらない。
でも、そこをちゃんと一般の方にお伝えしたいな、知ってもらいたいなと思うんです。
たしかに、お医者さまでも、お金儲けだけを考えているような人って、正直ゼロではないです。でもそれは、経産省でコロナの為の給付金を不正に受給したような上級キャリアや、教え子を盗撮するような先生とか、どの分野にもいますよね。
ニュースになると、あたかもみんなそうだって思われちゃうかもしれないけど、学校の先生やお医者さまの場合は、誰でも何人かは実際にお会いする機会があるので、ニュースになるようなひどい人ばかりではないとわかってもらえます。
でも、研究者の人って会う機会は少ないから、そういうステレオタイプが根づいてしまう傾向があり、すごい残念だなと思っているんです。
―確かにそうですね。実際これは動き始めていて、今書いてる記事やイベントを通して誤解を解いていきたい、広めていきたいって感じですよね。
詫摩さん:先生にお越しいただいて、こういうこと考えながら研究してるんだってことを話してもらえれば、それで伝わるので、そういうトークイベントを行うのは、記事よりは効果的かもしれません。
ーありがとうございます。お聞きしたいことはお聞きできたかなと思っています。逆に詫摩さんから聞き手書き手の先輩として私のインタビューにダメだしありますでしょうか(笑)。
詫摩さん:はははは(笑)。今回のは研究を語るわけではなく、私が普段やっているのとは全然違うタイプのインタビューなので、どうなさるのかなと思っていました(笑)。
先輩研究者の皆様の悩んだこと、どうやって乗り越えたか、成功の裏側などをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。
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