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人と比べず、自分が楽しいと思うことを積極的に。山陽小野田市立山口東京理科大学 小野田 淳人 先生

西村さんにご紹介いただき小野田先生にインタビューさせていただきました。

育志賞を受賞し、参考書の出版もされている小野田先生。
受賞以来プレッシャーを感じていて、その感情と付き合いながら常に行動をしているそうです。
行動を起こす時や決断をする際は、死ぬ時のことを想像して、その時に後悔しない選択はどちらかを考えるとのことでした。
戦う相手は自分。全力で打ち込んでいれば他人と比べることもない。ひとつひとつ自信を積み上げていきたいと感じました。

子どもの健康を守るために何ができるか

ー今、どんな研究をされていますか?

小野田先生:研究テーマの軸には「子どもたちの健康増進」があります。特に、体の外部からの刺激となる環境汚染物質や、胎児発育不全などの母胎環境の変化が児の発達に及ぼす影響やその機序を解明し、その影響が顕在化する前に見つけ、予防する方法を模索しています。

ーずっと同じ研究を継続してされているのですか?

小野田先生:これまでの経歴をお話しますと、東京理科大学の薬学部を卒業し、同大学大学院薬学研究科博士課程修了後、名古屋大学医学部にて学振PDとしてポスドクを経て、現在は山陽小野田市立山口東京理科大学薬学部の助教をしています。(http://www.socu.ac.jp/departments/faculty/atsuto-onoda.html

大学・大学院時代には衛生学や予防学を専門としていました。特に妊娠期や新生児期に、環境汚染物質に曝された時、児童の発達にどのような影響を及ぼすのかを、実験的に明らかにしました。そして、その予測や予防、対処する手段を見出すための、基盤となる研究を行いました。これは、後のポスドク期間に一度中断しましたが、今、再開して行っています。

大学院修了後は学振PDとなりましたが、制度上、研究テーマを変える必要がありました。これをうまく活用し、所属を変えて、医学部の小児科学、特に胎児・新生児医学に強い先生のもとで研究をさせてもらいました。

そこで、妊娠期間中や、出生直後の疾病、出産時のトラブルが子どもの発達にどのような影響を及ぼすのか、子どもの発達に関わる疾病の早期診断・早期治療実現に向けた研究に従事しました。

特に今の診断技術では、見つけにくいものや、時間経過してからしか顕在化しないものを、如何にしてより早く、より正確に捉えることができるかを考えて研究を行いました。これは今も継続して研究しています。

フランスの共同研究者と

出会いがなければ今の自分はなかった。研究に入るきっかけとなった印象的な出会い

ーなぜ子どもの健康や発達の分野に着目し、研究をしようと思ったのですか?

小野田先生:もともと薬学部に入った理由は、自分や自分の家族が癌で苦しんで死ぬのを防ぎたいという思いからでした。高校生になるまでに家族の多くが癌で亡くなったためです。そこで、癌の治療薬を作りたくて薬学部に入りました。薬を創る=薬学部という先入観に基づく、高校生の浅はかな考えですね(汗) 

ただ、薬学部で勉強していくうちに、癌の薬を創って治すより、そもそも癌にならない方が大事なんじゃないかと思い、衛生学や予防学に関心を持つようになりました。

衛生学や予防学に興味を持ってから、より早い、若い段階から予防をしていくことの重要性に気付きました。そして、次世代を担う子どもたちの病気を予防する事こそが、全体の健康増進に大事なんじゃないかと気づき、子どもの病気に興味を持ちました。

ーそういった興味の変化には何かきっかけがあったのですか?

この衛生・予防学の研究にのめり込むきっかけとなったのは、当時、東京理科大学薬学部の教授だった武田建先生との出会いです。

武田先生が講義の冒頭で、ご自身の研究内容についてお話しされたんです。そこで、「如何に病になる前に、未然に防ぐこと」が重要か気付かされました。考えてみれば当たり前だったのですが、その当時は、病による苦しみを減らすためには、薬を創り、薬を用いた治療をするしかないと視野が狭くなり、凝り固まった考えを持っていたんだと思います。

そんな状態で聞かされた、衛生や予防に関する研究は、少し話を聞いただけで、ものすごく惹かれました。ちょうど、私の所属していた野球サークルの先輩が武田先生の研究室に配属されていたので、そのつてで見学させてもらい、講義で感じた印象は間違っていなかったのだと確信を得て、そのままその研究室に進みました。

もう一人、影響を受けたのが、現東京理科大学で先進工学部講師である梅澤雅和先生です。当時、武田研究室のポスドク(のちに助教)をされていました。ほとんど一緒になって研究をして、研究や教育に関する様々な考え方を学ばせてもらいました。国内外の学会でも行動を共にし、異分野の研究者を巻き込んで研究を進めるその行動力に尊敬の念を覚えましたね。

武田先生も梅澤先生も人格者であり、その教育・研究哲学観には、本当に多くのものを学ばせてもらいました。今でも学ばせてもらっていますし、将来こんな教員になりたいと思っている2人です。

また、梅澤先生には生化学若い研究者の会も紹介してもらいました。当時学部生だった自分は、学外とあまり繋がりを持っていませんでした。この生化学若い研究者の会に参加したことで、国内外で大活躍されている若手研究者(修士・博士・ポスドク)たちの存在を知り、こんな世界があるんだ、と驚きと刺激を受けました。

自分が博士課程進学や研究者を現実的に目指すようになった、大きな要因の一つと言えます。そこで知り合った多くの方々から刺激を受けて、今の自分がいると思っています。

武田先生との出会いから、梅澤先生、生化学若い研究者の会...次々とつながっていき、私の人生は変わっていきました。こうした出会いがなければ、今の人生は全く違うものになっていたんじゃないかと改めて思います。

予見していなかった研究成果。育志賞の授賞は分不相応

ーたくさん表彰されていて、受賞歴がすごいですね(https://researchmap.jp/_atsuto-onoda/misc/23660137)。研究を始めた時に、今を見据えていたのですか?

小野田先生:全く予見していませんでした。研究し始めた時は、自分が研究室で何をすればいいのか全くわからなかったです。それでもわからないなりに、目の前にある面白そうなネタから研究を進めましたが、着目してやったことがことごとく外れて、何も結果を出せなかったんです。とはいえ、データを出さないことには前へ進めませんから、落ち込んでいる暇はなかったですね。とにかく、何か「とっかかり」となる知見を見出すために、思いつくあらゆる手法を試しました。今思い返すと、その時の苦労があったからこそ、のちの独自性の高い成果や研究能力の向上に繋がったと感じます。なので、初めからうまくいくとは思ってなかったですね。

ー自信を持って計画的に考え、順風満帆に進んで来られたのだと思っていました。逆にプレッシャーを感じておられるのですね。

小野田先生:そうですね。今まで受賞した中で一番大きな賞は、やはり日本学術振興会の育志賞ですが、これは今でも分不相応だと思っていて、受賞以来ずっと、受賞に見合うだけの成果を出していかないとなと、ものすごくプレッシャーを感じています。

大きな賞をいただいたら、受賞者の名前は永久に刻まれ、その後どうなったか見られますよね。あいつ昔すごかったのに、今全然じゃんって思われてたらどうしようって不安が常にありますね。

ただ、プレッシャーを感じて動きが硬くなるのは本末転倒だと思っています。プレッシャーを感じないようにできればいいのですが、その感情を消すことは難しいです。なので、プレッシャーを感じる根本的な理由について深く思考をめぐらせて、悪影響に繋がらないように制御し、対処することが重要だと考えて行動しています。

育志賞(武田先生と梅澤先生と)

ドクターの時点で企業や大学から声がかかる。実は4年後に助教になることが決まっていた

ー今の助教授のポストは早くから決まっていたと新聞記事で拝見しました。ドクターの時に企業や大学から声がかかる事ってあるんですね。

小野田先生:例外的な部分は大いにあると思います。特に、新設の大学からのオファーでは、設立に向けて教員を揃えなければいけませんから、教員を集めています。とはいっても、それで決まるのではなく、あくまでも公募に出してくれという声かけですね。

私のように、研究に没頭している学生には、公募が出ていることにすら気づいてもらえないことが多々あるようですから(笑)。また、企業から声がかかる場合は、経団連のルールに縛られない外資系が多いんじゃないかなと思います。実際に、自分も声をかけられた企業全てが外資系でした。

ー2年後のポストが決まっていることで、研究へのモチベーションの変化や何か思うことはありましたか?

小野田先生:正確にお伝えすると、助教になることは助教のポジションに就く4年前から決まっていました。先が決まっていたからこそ、将来のビジョンが立てられるので、焦りがなくなり、腰を据えた研究計画や人生設計が可能となり、モチベーションの向上に繋がりました。また、経験したことのない研究技術の修得や長期的で実現可能性の薄い冒険した研究テーマの設定などができた点も大きかったですね。

悩んだ点があるとすれば、早すぎた進路決定のために判断材料が少なかったことでしょうか。企業とアカデミアの選択は特に悩みましたね。いろいろと総合的に判断して、アカデミアにしましたが…。

さらに、博士課程修了後、助教として赴任するまでに空白の期間が1年ありました。せっかくだったので、この空白の期間に今までとは違ったことに挑戦しようと思い、助教として赴任予定の大学に交渉して、この空白の期間を2年間に伸ばしてもらいました。

そのおかげで、学振PDに挑戦し、異分野の先生の元で新たな技術や考え方を身につけることができました。そこで知り合った先生方とは、今も共同研究をしていて、人脈や視野の拡大にもつながり、本当に価値ある2年間だったと思っています。

死ぬときに後悔しない方を選ぶ。

ーアカデミアを選んだ理由を詳しくお聞きしたいです。

自分は、行動を起こす時や決断をする際は、死ぬ時のことを想像して、その時に後悔しない選択はどちらだろうと考えます。その最期の時に、自分の中で「あの時やっぱりあっちを選んでおけばよかった」と考える可能性が低いと思ったのが、アカデミアでの研究職だったんですね。

それに当時結婚したばかりで、仕事で一箇所から動けない妻と一緒に過ごせる時間を最大化できるのは企業とアカデミアのどちらか、というのも判断基準にありました。こうしたことも踏まえて、自分が理想とする生活の形に近いのは、企業よりもアカデミアの方だと思い、アカデミアの研究者を選びました。

ー幼い頃から理科や科学がお好きだったんですか?

小野田先生:そうですね。おそらく事の始まりは、小学館が出している「21世紀子ども百科」ですね。今でも実家にありますが、ボロボロになるまで、ずっと読んでいたみたいです。また、5歳の誕生日プレゼントに「人体」の専門書をねだっていたと親に聞いたことがあります。

親が言うには、小さい頃から「生き物」が好きだったみたいです。実際、子どもたちへの理科教育において、3歳から5歳くらいの時代に興味ある図鑑を読むことはすごく重要なんじゃないかなと思います。

恐竜とか星座とか、今は多岐にわたった素晴らしい図鑑が学研や小学館、講談社など、様々な出版社から出版されていますし、こういった書籍が子どもたちの理科教育に大いに貢献していると考えています。

生化学若い研究者の会で知り合った先輩が、博士号取得後にこういった出版社に勤めて、実際に図鑑を創っているのですが、博士課程で身に着けた知識や研究経験、情報収集能力やアウトプット能力をこういった書籍出版に役立てるのも、社会においてとても意義あることではないかと思います。

フランスでの研究出張

出版甲子園で、出版社の目にとまり参考書出版。

ー先生との出会い以外の印象的なエピソードはありますか?

小野田先生:たくさんありすぎて絞りきれないですね(笑)。まぁ、でもやっぱり他の人があまり経験していない面白いエピソードと言えば、出版甲子園に出て、実際に書籍を出版するに至ったことですかね。

ー出版甲子園は、学生による、学生のための出版コンペティションですね。審査を通過するとプレゼンし、本を出版できる可能性もあるんですね。出場したのは、どのような経緯からですか?

小野田先生:出場したのは学部3年生の時でした。当時、研究室で研究をスタートさせる前に、勉強以外で形になる成果を創りたいなと思っていました。そして同時に、所属していた生化学若い研究者の会で活動していた書籍チームが、「光るクラゲがノーベル賞をとった理由 蛍光タンパク質GFPの発見物語」という本を出版したという報告を耳にしました。

その報告を聞いて、学生でも本を出版できるんだ! じゃあ自分も本を書いてみるか! と軽い気持ちで情報を集めました。いろいろと調べた結果、出版甲子園に辿りついたんです。

思うままに企画書を作って投稿したところ、あれよあれよという間に三次審査までクリアし、決勝審査まで残ってしまいました。自分が出した第7回では、全部で257企画だったそうですが、好き放題に理科のことを書いて話していたら、最終的に決勝審査で5位入賞となり、さらに5つ出版社の目にとまり、うちで出版しないかと声をかけていただきました。そして、最終的に学研にて「やさしい中学理科」を出版するに至りました。

当時から、子どもたちの理科離れが叫ばれ、子どもたちに科学の啓蒙をしていきたいと思っていたので、ちょうどいい機会だと思い、そのオファーを受けました。理工書のオファーもあったのですが、より大勢の子どもたちが手に取ると期待される参考書の方が、啓蒙という観点でも、また販売戦略(要は売れる)の観点からも適していると考えて、参考書を執筆する方を選びました。

その参考書の中にある13個のコラムに、教科書には書いていない理科や科学、あるいは研究に関して、子どもたちに楽しんでもらいつつ、理科について考えてもらえる内容を好き放題書かせてもらいました。

この書籍は、学部3年生で出版甲子園に出たあと直ぐに書き始め、修士2年の時に一度書き上げていましたが、日本学術振興会特別研究員DCとPDの制度で、研究専念義務のために、最終的な出版が2021年となりました。まぁ、その過程で、編集担当者が産休育休になったり、学習指導要領の変更で教科書の内容が変わったりと、いろいろあったので、なんだかんだこのタイミングになってちょうどよかったのかなと思います。

小中高と野球部で鍛えられた文章力とメンタル。

ーもともと書く事はお得意だったんですか?

小野田先生:最初から得意だったというわけではありませんが…何かあったとすれば、野球部での経験でしょうか。小学校から高校まで野球をやっていて、特に中学時代、1試合ごとにA4ノート一枚にその試合内容のまとめや、その試合前・最中・試合後に感じ、考えたことを書く課題がありました。

ほぼ毎週土日に4試合あり、毎週4ページ書いて月曜日に提出するんです(手書きで)。これがなかなか大変で、3年間で相当な冊数を書き続けました。お陰様で、自分の考えを言語化し、文章を書くということに抵抗がなくなりましたね。

それと、高校での経験としては、英語の勉強が文章力を鍛えてくれたと思います。高校時代、英語が本当に苦手で、野球部引退後に受験に向けて夏休みにひたすら英語ばかり勉強していました。あるテキストに「英文和訳が最も英語力がつく」という文言があり、それを信じてひたすら英文和訳をしていました。

それが実際には、英文をものすごく綺麗な日本語に訳す訓練になっていたみたいで(笑)。気が付けば日本語の能力がすごく上がっていました。1カ月の勉強の成果で、英語の偏差値が3上がったのに対して、現代文は15上がっていました。

今は論文を書きたくてたまらない!本の執筆はあくまでも本業の範疇内に

ー参考書を書くって難しくないですか?自分の興味あることをひたすら書く以上に、誰にでもわかりやすく書くことは難しいと感じます。

小野田先生:理科が好きなのと、何かを解説することが好きなので、参考書作りは苦になりませんでした。ただ、専門ではない領域の内容は苦労しましたね。詳しい研究者に聞いたり、類似の本を読んだりしてなんとかクリアしました。

ー具体的にどんなところが苦労されたのでしょうか。

小野田先生:言語化するのが難しかったですね。具体的には天体に関する説明に苦労しました。例えば中学生で「天球」や「黄道」について習うんですが、これは人が天体を理解しやすくするために作った概念で、実際には存在しないものなんですよね。地球が動かなかったと仮定して考える天球や、太陽があたかも星座の間を動いているかのように見える黄道について、中学生でも分かるように解説するにはどう言語化すればよいのか、苦心しました。

ー今後も本を出版される予定はありますか?

小野田先生:出版してから、反響もあり様々な出版社から声をかけていただいています。なので、少しずつは書いています。が、今は本業の論文執筆の比重を増やしています。本の執筆は、あくまでも本業の範疇を超えないようにと考えています。自分は作家ではなく、あくまでも研究者であり、研究者が研究をせず、論文を出さなくなったらおしまいだと思っていますから。

ー文章を書くのがお得意なので、論文を書く事もお得意なんですね。

小野田先生:本であっても論文であってもきついです(笑)。いい文章を書くためには、魂というか、自分の血肉を削って全霊を込めて書いていますので。それに、論文を書いてると実験したくなるんですよね。逆に、実験し続けていると、論文を読みたくなり、書きたくなるんですけど。まぁ、論文執筆に関しては、だいぶ経験も積んできたので、多少は要領を掴んできました。昔よりは楽になりましたね。昔は論文に何を書けばいいのか、自分で判断できませんでしたから。

国際会議での発表

「次世代の為に」目指す未来は病気にならない世界の構築

ーこれから目指すところをお聞きしたいです。

小野田先生:「次世代を担う子どもたちが、より健全に育つ社会の構築」ですね。もっと端的に言うなら、病気にならない世界をいかに築けるか、といったところでしょうか。もちろん、これは、自分が生きている間には無理だろうと思っています。ただ、その礎になるようなデータを出したいというのが、今の人生目標になっています。

また、他にやりたいのは、子どもたちへの理科や科学の啓蒙です。私が達成したいことは、私一人の、あるいは私の世代までに達成できるものではないですから、後を継いでくれる次の世代のことも考えていかないといけないと思います。その時に、その次世代の人達が科学に取り組んでいこうと思ってもらえる環境を創っておきたいんですよね。その一環として、書籍の執筆もしています。

ーまだまだ30代でお若いですよね。自分より、人や次世代の為に、なんですね。

小野田先生:次世代がやるから自分はもう引退、ではなく次世代の為に今自分ができることは何かを考えて行動に移しているという感じですね。私たち自身も、社会基盤や科学技術、教育を通じて、前の世代の人々からあらゆる恩恵を受けて今を生きています。受け継いだ恩恵をさらに増やして、次の世代のために、何を紡ぐことができるだろうかといつも考えています。

というのも、学生時代に、人が人たらしめるものはなんだろうとよく考えていました。その答えの一つに、「次世代に無数の情報を遺し、伝えることができること」があるのではないかと思うのです。そして、その行為の最たるものが、研究(論文の生産)と教育だと思っています。だからこそ、自分はその論文を生み出す研究者として、その情報を次世代に伝達するための教育者として生きたいのだと思います。

人と比較せず、自分が楽しいかどうか。楽しいことを積極的にやってみる

ー最後に、次世代を担う若手研究者に一言お願いします。

小野田先生:昨今、研究者は辛い状況に置かれていますが、月並みな言い方をすると、他人と比べない事が一番大事です。辛いことの大半は、他者と比較することで生まれますから。自分が楽しいかどうかで決め、自分が納得できるか、自分が満足できるか、それが研究者として最も重要なことだと思います。人生の時間は有限ですから、人と比べず、自分が楽しい、やりたいと思うことを、やりたい 時にやりたいようにやることが、自分のモットーとなっています。もちろん、他の人に迷惑の掛からない範囲で、という条件付きですがね。

ー野球部の時に、辛くてやめる選択肢もあったと思いますが、好きだったから続けたのですか?

小野田先生:日々一生懸命で、未来のことを考える余裕がなく、一日一日をどう過ごすかしか考えていませんでした。練習がきつく、目の前のことで手いっぱいでした。一方で、やはり目標達成できると嬉しいですね。実は、高校では野球を続けるつもりはなかったんですが、中学で目標だった「優勝」をしてしまって、その快感が忘れられなくて続けました。自分の中ではその優勝が大きな成功体験で、一度でもそんな成功体験があると、後の辛いことを乗り越える糧になると思います。

よく、「努力は必ず報われる」だとか「成功している人は皆すべからく努力している」だとか、言うじゃないですか。でも実際のところ、努力が報われるかどうかなんて、わからないですよね。そんな中でも努力をしていかないといけないのが現実だと思います。だからこそ、つらく、苦しくなった時に、過去に成功した経験があるかないかで、もう少し踏ん張れるかどうかが決まるような気がします。なので、成功体験って重要だと思うんですよね。

インターネット、とくにSNSなどによる情報伝達が普及してない時代は、地域レベルの小さなコミュニティ内で成功体験を得られていたと思うんです。例えば、「クラスで唯一の満点だった」でも、「クラスで一番足が速い」でも、「クラスで最速でこのゲームをクリアした」でも十分立派な成功体験だと思うんです。

でも今、インターネットで簡単に世界と繋がれてしまいますよね。それ自体は、世界を広げることができるので素晴らしいことだと思っていますが、それ故に、日本には世界にはもっとすごい人いすぎて、そういう人らと比較してしまい、自分の成功なんてちっぽけなものなんだと、自己肯定感や自信を得ることが難しくなっているんじゃないかと思います。

「井の中の蛙、大海を知らず」という故事成語がありますが、若い時、しばらくはそれでいいんじゃないかなと最近は思います。「されど空の深さを知る」という続きも生まれましたし。

研究を楽しむ。楽しんでいる自分の姿をみせる。

ー助教の立場から、学生さんに伝えたいことはありますか?

小野田先生:最近、助教の立場になって、学生のモチベーションを上げるにはどうしたらいいか常に考えていて、壁にぶち当たっています。今までは自分のことだけを考えていればよかったのですが、他人、それも学生のモチベーションや時間、成績、予算など、マネジメントしなければならないことがあまりに増えましたね。学生のほとんどは研究者志望ではないので、余計大変です(給料という、わかりやすいモチベーション向上要因もないですし)。

一応、学生達には、研究により培われる思考能力や情報収集・伝達能力などの重要性も説いていますが…きちんと伝えられているか自信ないですね。それでも最近は、特に、研究を経験するメリットは「未知なるものへの立ち向かい方」を学び、経験することにあると伝えています。

仕事で何かに挑戦し、失敗すると、顧客をはじめ様々な人に迷惑がかかりますが、研究は失敗がつきものですから、失敗しても基本的に迷惑がかからず、答えのない初めて行うことに対する最適な練習の場になりますからね。今のうちに失敗を恐れず初めてのことに取り組み、初めての物事についてどう対応し、どのようにすれば成功率を上げることができるのか、そのための論理的な思考力などを鍛えてもらっています。

でも、やっぱり一番重要なのは、研究自体を楽しいと思えるか、に尽きますね。この原動力にはやっぱり勝てないです。大人が楽しそうにしてると子どももやりたがるのと一緒で、教員である自分がいかに研究を楽しそうにみせられるかが、周囲の学生の研究モチベーションに一番直結すると思います。結局、自分自身が研究を楽しんでやるのが一番ですね。

今、日本の研究者が置かれている研究環境は本当に厳しい状況にありますが、学生には楽しんでいる姿を極力見せられるように努めています。 興味本位で好奇心を満たせることが研究の原点であり、それこそが研究の根源的な楽しさに繋がりますから。

初心を忘れず、楽しむことが教員にとっても、学生にとっても大事だと思います。なので今、学生に一番伝えたいのは研究の「楽しさ」と「楽しんでいる大人の姿」ですね。


先輩研究者の皆様の悩んだこと、どうやって乗り越えたか、成功の裏側などをどんどん発信していきます。
次回もお楽しみにしていてください。

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