バイトを辞めると決めて

最近、自分の意思で生きていこうと決めた。失敗すると周りの言うとおりにしなかったからだと言われたり、大学を出たからには正社員と一つの道から外れずに生きることを求められたり。過去の選択に縛られて生きなければならない強迫感が強かったと思う。でも、自分の人生、自分の意思で決めることを遠慮したり罪悪感を感じる必要はなかった。それは当然の権利なんだ。親や周りと違う考えでも、取り下げないといけないわけじゃなかった。わがままだと入れることじゃなかった。これからは、他人の論理に取り込まれないようにする。人から学ぶ姿勢は持ち続けても、受け入れるかどうか最後には自分が決めることを守る。怒りも否定感情も持っていいものと自分に許可してあげることにした。自分が選んだという納得が一人の人間として起立させてくれるはず。

気持ちを決められたのは今の図書館勤務の経験のおかげだ。辞めると決めたけど、この八か月で変わったことを記録しておく。

ずっと自分の心が感じられないで何を頑張ったらいいかわからないのが不安だった。周りの友達や小説のように人や物に心が動かない。何で私はこんなにぼうっとしているんだろうと悩みすぎて何もできなくなった時期もあった。

でも、感情が自由でなくても知識を得れば理解できる。読書することでわからないことが浮き彫りになって、未知の隙間が埋まっていく感覚が心地よかった。知っていることが増えていくほど、不安が減っていく気がした。

でもそれだけじゃ行き詰まって、大学時代は感情コンプレックスに苦しんだ。会話はこなすものでしかなくて、YouTubeで大学生のチャンネルを観たりして感情を真似ていたけど、もちろん実際は同じパターンばかりじゃない。“私自身”の反応が湧かなくて、ちゃんと性格のある同級生が羨ましかった。生きてるなぁ、と思った。無難なことを言うだけで、自分の意思や欲のない自分はこれから先どうしたら良いのだろう、漫然と生きていかないといけないのかな。義務的に生きるなら自由に死にたい、健康な体の私は選ばなければ死ねないから、生きることは意思のなさの表れだと思っていた。よくあるメランコリーと言わないで。

そんなまま自分を必要としてくれる場所が見つからなくて、どう生きたいのか道筋も見えなくて、前に進めなくなった去年のこと。


図書館でアルバイトとしてゆったり働いた時間は、世の中のペースから離れて自分のペースを取り戻してくれた。

就職の失敗を拗らせて、自分の意見を強く主張して叱られたこともあった。狭い人間関係で生きてきた私がバックグラウンドの異なるたくさんの人の中で働いて、自分を客観視できるようになった。経験豊富なお姉さん方に悩みを聞いていただいて、「自分の悩みは年齢(経験)相応のもので特別ではない」と軽くなったし、自分の気持ちに忠実でシンプルな選択の仕方に気づくことができた。中には合わない人もいたけど、やっぱり宮崎はあたたかい。帰ってきて、ゆったり働く中で落ち着くことが出来たと思う。一日に話す人の数が多いのは消耗して辛かったけど、理解してくれる上司や先輩の存在は、社会は否定されるばかりの場所じゃないと安心できた。

安心を得ると、人から優しくされて許されるばかりじゃなくて、感情も悩みも自分のことは自分で処理できて更に人に与えられる大人になりたいという意欲が出てきた。

それから、知識も発想も豊かで、その人の前では恥ずかしい姿を見せられないと緊張してしまう先輩司書に出会えたこと。そんな人が弱い心を見せてくれたこと。過去の辛い経験を語ってくれたこと。同じような経験をしている人も立派に仕事をしているし、弱いところを見せられても私は特に見方が変わらなかった。なんだ、出来ない自分を隠さなくても否定されないじゃないかと思った。仕事が決まらず家族や世間の目に曝されることが辛かったけど、人の口から聞くと人生の波の一つとして捉えられるのだ。生きて経験を重ねて、こんな風に自信を失った若い人に勇気を与えたいと思った。見えない未来に立ち止まっている若い人に、生きることって案外気楽なものだよ。完璧を目指さなくても良いんだよ。と伝えられたら、長生きする意味もあるだろう。

これから仕事を始めたら、こうのんびりはしていられない。でも、やっぱり私は働きたい。頭を捻って課題をクリアして、知識と経験から自分の考えができていって、社会に必要とされている充実感とほどよい疲れが生活に張りを与えてくれる。そんな生活がしたい。あと6年、20代は失敗を恐れず、遠慮せず、気持ちに正直に生きて、悩んだり苦労することを楽しもうと思う。色んな仕事や遊びを楽しんだり色んな人と会って、自分を知る時間にしたい。

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