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『ミルクマン』 アンナ バーンズ (著), 栩木 玲子 (訳) 時代社会状況も深刻。起きる事も暗鬱。なのに、何度も抱腹絶倒、50代女性作家が18歳少女(と50代母親)を描く、その独特の語り口。「このような小説は読んだことがありません」とブッカー賞審査委員長が語った。全く同感。

『ミルクマン』
Anna Burns (原著), アンナ バーンズ (著), 栩木 玲子 (翻訳)


Amazon内容紹介

は、今一つだったので、本の帯の紹介文を引用紹介。

「政治、宗教、暴力で分断された70年代終わりの北アイルランド。謎のテロリストに恋人として狙われる18歳少女の物語。」


ここから僕の感想。


 紹介文だけからすると、えらく深刻な状況で、どんな重たい暗い小説なのか、政治サスペンスなのか、と思って読み始めると、もう全然違う。


 著者のアンナ・バーンズさんと言う人、1962年生まれ、ということは僕と同学年だ。その人の、「若い時の自分」を投影したとおぼしき主人公。思考スタイルも語りも、ものすごく独特。ライ麦畑の主人公よりも、もっとずっと斬新で独特な語り口の主人公。と言っても過言ではない。文体というより、思考と文体全体が、新しい。破格の小説でした。


 主人公家族、カトリックだから子だくさんで兄弟姉妹がいっぱいいて、その配偶者も含めて、個性的な人物が次から次に出てくる。周囲もみんな子だくさんだったりするから、もう大変なんだな。


 当時の北アイルランド、ベルファストは(どう考えてもベルファストだと思うが、作者は、どこでもない場所だと思ってほしい、とベルファストであることを何度も否定しているそうだ。街にも主人公にも名前がないのだな、この小説。)は、アイルランド独立派と、イギリス統合派の、血で血を洗う抗争が繰り広げられていて、市中に「あそこはこっち派の街」みたいな対立が日常になっている。

 国名も具体的には書かず、イギリスは「海の向こう側」って書くし、アイルランド共和国のことは「境界の向こう側」って書いているし。

 宗教についても、「宗教が違う」「敬虔な」とはいっても、カトリックだとも書いていないな。そういえば。あまりに悲惨な歴史を経ているし、そのもっとも過酷な時代と場所を舞台にしているから、直接語りたくない、という気持ちがあるのかな。

 主人公は独立派反政府派カトリック側の街に暮らしているのだが、その街では、トラブルが起きても警察は呼べないし、怪我や病気をしても病院に行ってもいけない、行くと政府側の密告屋になったと思われて、反体制派の私的裁判にかけられたり、リンチにあってしまう。


 その分、近所のお母ちゃんたちが結束して、トラブルも解決するし病気も怪我もお母ちゃんたちがせんじ薬だのなんだので治してくれる。そういう保守的カトリック的敬虔で世話好きで古臭いおばちゃんたちの代表格が、主人公の母親。

 それに対して、主人公女の子は、すごい変人。19世紀小説などの本を、読みながら歩く。テロその他危険に満ちた街を、本を読みながら歩いて危ないっていうだけじゃなく、いろんな意味で、本を読みながら歩くというのは「私はあんたたちとは違う」と全身で表現しているみたいに見られて、ものすごく浮いているわけだ、主人公は。

 町内の、過激派じゃない男子と、20歳になるまでには結婚して、結婚したらどんどん子供を産んで、ということを期待する母親と、そういうことを全然考えない主人公。という中で主人公に降りかかってきた、テロリスト幹部によるストーカー。恋人になれという感じで、付きまとわれるのである。


 もともとひどく噂話相互監視のきつい保守的コミュニティが、政治的に結束しなければならなくなって、さらに息苦しいほど濃密で閉塞感のある社会になっている。そんな中で「変人さん」として生きることの困難が、テロリストにストーカーされることで、どんどんひどい状況になっていくのである。


 作者の分身は当然18歳の主人公、のはずだったのが、小説が進んでくると、んんんん、お母ちゃんも、作者の分身なのか、となってくる。ものすごく深刻で暴力的な状況・事件が展開していくのに、もう、笑いが止まらず、全然読み進められない。というところが、何ページかに一回出てきて、泣くほど笑ってしまった。小説終盤になると、もう耐えられない。そんな風に展開するのか。女性小説家が、18歳変人女の子と,50歳保守的お母ちゃんを、こういう風に書くのか。すごいな。

 この前読んだ、アトウッドの『誓願』でも、高齢になった女性作家が、少女と老女それぞれの心理と身体感覚・身体意識をものの見事に書き分けていたが、本作も、この点は、もう特筆ものの素晴らしさ。

 北アイルランドの特殊な状況を舞台にした小説だけれど、家族小説、恋愛小説、特にいちばんに母と娘の小説として、もう抜群に面白い。たしかにブッカー賞だよ。超、おすすめ。です。本当に。

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