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『フーコーの風向き: 近代国家の系譜学』 重田 園江 (著) タイトルと装丁はエッセイ集みたいだけれど中身は弩級の論文集です。フーコー思想の全体像、テーマのつながりがえらく、分かりやすい。しかも、コロナのことも入管や学校のいじめや校則や、維新や大阪のことも、失われた三十年も、中国のテニス選手のことまで、くっきりと理解できてくる。すごい本でした。

『フーコーの風向き: 近代国家の系譜学』 2020/8/27
重田 園江 (著)

Amazon内容紹介

「生命、健康、安全などを理由として立ち現れ、その相貌を自在に変えてきた近代国家。人びとの生や死に巧みに介入し、私たちの思考を知らぬ間に取り囲む権力の所作を、フーコーはいかに描き出したのか。知と権力、認識と実践、法と規律、リスク、戦争の政治言説、統治性、新自由主義。主要な諸概念を手がかりに、歴史や論理に深く分け入り、時代の逆風に立ち向かった思想家の軌跡を追う。」

ここから僕の感想 

 タイトルや装丁は、軽めのエッセイ集みたいだが、いやいやいや雑誌『思想』や『現代思想』に掲載された論文をまとめた、弩級の論文集なのである。

 ただし、各章ごとに著者によるまとめ解説コラムが付属するし、論文の並べ方が工夫されていて、順に追っていけば、フーコーについて何も知らなくても、フーコーの思想の全体像がきちんと理解できるようになっている。かつ、それぞれの論文自体も、フーコーの思想を解説しつつ、現代的な様々な課題との関係が解き明かされていくので、少なくとも、今の社会や政治や経済や、そういうことになんとなく関心や問題意識がある人ならば、自分と関係のあることとして読み進められる。訳の分からない抽象的な思想の論文を読むという苦痛は全くない。

 僕も、フーコーについては、出来の悪い大学生時代に、何冊か買って、かじってみたが歯が立たず、本棚に並べておくだけ、断片的な知識だけという状態だったのだが、本書のおかげで、フーコーの様々な取り上げたテーマや思想が、どのようなつながりを持つのかが、ようやくなんとなく見えてきたのである。

 フーコー自身は主に主に16世紀から現代に至る、フランス、イギリス(スコットランド含む)の政治経済思想史周辺を中心にしたテーマを扱っていた(新自由主義についてはドイツのオルド派というのを中心に)のだが。その研究から出てくる思考の枠組みや用語の破壊力が半端ないのである。

 著者も序章で述べている通り

「フーコーを読むことの魅力のひとつは、(中略)彼の思想が現代を説明する能力に長けている点にある」

ので、死後30年以上たつのに、いまだにずっと人気があるのである。

 著者のコラムはときどき辛辣で、1990年代の、まだポストモダン思想が熱く語られていた当時を振り返って

「当時はフーコーの方法論についての議論がとにかく盛んだった。読んでも理解に資することがない論考が大量に書かれたが」

 などとあり、そうか、当時「現代思想」なんかを読んでも、よくわからなかったが、たいして役に立たない論文がわんさか書かれていたのか、などどちょっと胸のつかえがとれた感じもする。そして当時は日本では多くの論者が、フーコーが論じていない様々な日本の社会問題に、フーコーのレトリックや考え方や用語を勝手に適用しては論じていたとも書いているが、気持ちはよく分かる。

 僕もこの本を読みながら、(著者も最終章では、そのような立場から、現代社会、世界の様々な問題と、フーコーの関係を論じているが)、例えば前半の「規律権力」をめぐるところでは、学校の校則や教師の権力、入管の暴力や、アメリカの警察の暴力や、そういう問題を、この言葉で解釈したくなるし、「生権力・生政治」をめぐるところでは、新型コロナに関わる、検査からワクチンから行動制限、隔離から、そういうことを論じたくなるし。そうそう、エマニュエル・トッドが「人口学者」でありつつ、現代社会、政治に関する思想家として重要なのは、なんでだろう、と前から不思議だったのだが、「統計学」から「人口」が、統治の技術において最重要なことなのだと分かると、それも納得できるのである。少子化問題と言うのは、影響が大きいからと言うより、「統治性」の根幹をなす一要素であって、そこで失敗しているということは、もう、根幹から失敗なわけだなと思う。

 また、今の日本でも世界でも、最も重要なテーマである「新自由主義」の支配と失敗についても、普通語られるアメリカの新自由主義ではなく、ドイツの「オルド派」の自由主義の分析から新自由主義を考察するところでは、もう、日本の90年代以降と、その最悪な終着点としての大阪の維新のこととか、維新のコロナ対策や大阪の教育や保健医療行政の悲惨な現状とか、今回総選挙での維新の躍進とか、もう、完璧に説明できるじゃん、と思ったり。

 「おわりに」で中国について、ちょっとだけ触れているのだけれど、あのテニス選手問題まで、予言しているようなのは驚いた。引用しますね。

 その意味で中国は「削除する監視社会」である。そこでは当局に都合が悪い意見を述べれば、人も追跡され、姿を消し、簡単に「削除」される。人そのものが削除される。しばらくして突然ネットの書き込みが復元されるように、行方不明の人が急に現れるのもこの統治の特徴である。

 これらは僕が思っただけで、そこまではこの本には書いていないところも多いのだけれど。でも、普通の頭があったら、「ああ、この見方、この用語で、あのことは説明できるな」と思わずにはいられないことだらけなのですよ。フーコーのもともとの力と、著者の論文の力で、もう、そう思わないでいる方が難しいのである。

 この圧倒的なフーコーの思想の「現代を説明する能力」、その基本的考え方を、そもそも生まれた、考えられた元の議論(主にイギリス・フランスの政治経済思想史)から、現代の日本や世界や、自分の生活、仕事、社会への適応までを、分かりやすく解説してくれる本なのでありました。

 わかりやすいと言っても、一週間くらいかけて、ノートを取りながら読んだのだけれど。でも、この手の本としては、フーコーについて書かれた本としては、ものすごく親切な本だと思う。

 いやあ、予想外の内容で、すごく得した感じ。というか、超、おすすめ。マルクスについて現代的に論じ直した『人新生の資本論』があれだけ話題になって売れるのなら、この本も、もっと話題になって売れてもいいと思うな。

 現代の、一人一人の生活・人生・働くことから、日本社会全体、政治、経済から、国際情勢、世界のあり方まで。この社会・この世界、自分や子供たちがどうしてこんなに生きにくい世の中を生きているのか。そういうことの全体の構造が、くっきりと見えてくるよ。おすすめ、★五つです。


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