露出過多と「意味のイノベーション」
イノベーションに求められることは、人が見いだす価値の「意味」を変革することだ。いま、ろうそくは光源ではなくむしろ「暗源」となり、電球よりも暗闇のある時間をつくっているように──。ロベルト・ヴェルガンティ教授の「意味のイノベーション」はTakramでのものづくりと共鳴する部分がある。特に一冊だけの本屋「森岡書店」や花と手紙のギフト「FLORIOGRAPHY」など。
2018年前半は、TakramCastやTakram Radioと連動して、意味のイノベーションを引き続き取り上げていこうと思う。意味はいかに変革するのかを考えるため、今回はジャズ演奏、小売ファッション、芸術写真から三事例を紹介する。これはヴェルガンティ氏の書籍に登場するものではなく、いまTakramが注目しているいくつかの事例の寄せ集めだ。共通するキーワードはOVER EXPOSURE、「露出過多」。
1)ジャズ演奏──エスペランサ・スポルディング
EXPOSUREは、エスペランサ・スポルディングというアメリカのミュージシャンを中心とした2017年のプロジェクトだ。77時間のうちに1曲を制作する。その曲が完成するまでの制作プロセス全体のライブ映像を配信する。
その後制作されたプレスは7777枚限定(予約開始後2日で完売したそうだ)。ジャケットにはエディション番号、スポルディング本人による手書きのスケッチとサインが付いた。
ここには、音楽産業における「定石」と敢えて異なる取り組みが複数ある(んじゃないかと想像する。僕は音楽のことは詳しくない)。
【プレス数】売れ行きに応じて生産するのではなく、7777枚限定で生産
【制作時間】多くの時間を掛け、でき次第発表するのではなく、77時間限定で制作
【公開内容】完成品の発表ではなく、曲も詞もない状態から制作過程全体を公開
そしてなにより、この出来事をライブ配信で見守っていた人が多くいたこと。Youtubeで、77時間のうちの数分のみが公開されている(本項目1の画像は全て上記動画のキャプチャです)。デジタル時計が残り時間をカウントダウンするなか、ベースを弾きながらハミングするスポルディングが映る。ピアノにはロバート・グラスパー(だるだるのTシャツに爪楊枝…)、毛布をかぶって仮眠している女性も見える。漂う現場感。
「Don't go to the A major thing」「Now go to Chorus」などと、ハミングのメロディに乗せて曲の進行指示を歌う様子は滑稽でもあり格好良くもある。歌うことで他のミュージシャンに曲の展開を知らせている。曲がまだ完成に至らないこと、あくまで制作過程だということを証拠立てる。Youtubeコメントには、「この映像を生で見られたことは大切な思い出。歴史が生まれる瞬間に立ち会えた。思い返すたびに胸が熱くなる」といったコメントもある。その場におらずとも、時間を共有するだけで十分「ライブ」の体験が生まれたのだ。
ジャズはそもそも即興性が埋め込まれた音楽形式なので、毎回の演奏が一期一会である。しかしEXPOSUREの取り組みは制作過程自体を視覚化・可聴化・即興化したのかもしれない。いくつかの形で定石を逸脱し、ジャズの即興演奏を別のレベルへ持ち込んだ。意味をイノベーションし、その「目撃者」を大量に作り出した。その手法はタイトルにもある通り「露出・暴露」にあった。
2)小売ファッション──EVERLANE
EVERLANEという会社がある。ベーシックで品質の高い服を生産・販売するアメリカ西海岸発の企業だ。特徴は自社のウェブサイトを中心に販売することで中間コストを削減し、安価で商品を提供できること。また「過激なまでの透明性」という社是だ。
EVERLANEは各商品の原価や人件費、輸送費などのコストをすべて公開している。また他の小売店であればどのくらいの値付けになるのかを記載した(他社がどれだけ価格を釣り上げているかを暴いてしまった)。
以下はある女性物のカシミアニットのコスト内訳と原価、EVERLANEでの価格と他の小売店での参考価格を説明した図だ。全商品ページ内にこのような内訳が表示されている。
さらに、東南アジアなどの提携工場のリストや従業員のプロフィール、契約までの経緯をも公開。「過激なまでの透明性」を突き詰めている。
(本項目2の画像は全てEVERLANE社のウェブサイトより)
もともとファッション業界では、発展途上国における労働問題や資源の利用、持続可能性について批判が集まりがちだった。それらの課題に対して正面から取り組み、敢えて情報を公開することで、社会課題に対して意識的な若い層の支持を集めた。
【製造コスト】秘匿するのではなく項目ごとに公開
【製造工場】秘匿するのではなく社名・名前・エピソードまで公開
(ひとつ断っておくと、EVERLANEももちろん営利企業なので、商品の価格にはのれん代を乗せて利益を得ている。他と異なる点は、その利益分があらかじめ公開されており、消費者はそれに納得した上で買い物をするかしないかの選択肢が与えられている、ということだ。)
EVERLANEは、小売ファッション業界における価値の源泉だった「情報の非対称性」を自ら取り去ることを試みている。情報の非対称性の問題は、中古車、保険、証券、不動産など業界でよく指摘される。インターネットへのシフトは、このような中間コストや中間プレイヤーをことごとく省き、非対称性を解消する方向に動いていく。
すると、これからの企業はどんどん透明になることを余儀なくされる。個人にとっては、これからの消費はどんどん意思表示の手段になる。支持する企業、思想を表明するための購買行動が増える。だからこそ「Venmo」のようなお金の使い方を公開するSNSが西海岸を中心に普及しているのではないか。
(なお、私は企業や個人はあらゆる情報を透明にせよ、という主張をしたいのではない。非対称性に起因する価格操作や印象操作は否応無く透明化の波にさらされるので、今後は価値の源泉を他に見出さなくてはいけない、ということだ。)
情報を公開すること、透明性をつくることで小売ファッション業界の意味にイノベーションをもたらした例だ。あるEXPOSURE、暴露の事例がここにもある。
3)芸術写真──杉本博司
「劇場」という写真シリーズがある。無人の、暗がりの劇場。ステージ上には白く光る巨大なスクリーンがある。
この写真の露光時間は、ちょうど上映された映画と同じ長さであるという。映画が始まると同時にシャッターを開き、終わるときシャッターを閉じる。上映中、スクリーン上の映像は動き続け、輝き続ける。
だから仕上がる写真は、スクリーンの部分だけ真っ白に発光するのだ。写真家の杉本博司氏による、「劇場」という作品群だ。
杉本氏は、あらゆる作品群を通して、写真という媒体そのものを問い直しているように見える。写真とは「ある瞬間」を写すものだ、という前提を覆したのが劇場シリーズだ。普通コンマ数秒くらいで撮影されることの多い写真の露光時間を、数時間単位にまで伸ばす。映画の内容は、その全てが写っている(映りすぎている)ために見えない、とも言えるし、結果的になにも写っていない、とも言える。そこにあるのは時間の流れだ。これは露光時間の過多、OVER EXPOSUREによってなされている。
杉本氏のその他の作品も、写真の前提を覆す表現が見受けられる。写真とは「真」実を「写」すもの、という前提を覆したのがジオラマシリーズだ。ジオラマ模型を写真に収めると、剥製の動物は生きているようにも見える。壁に描かれた背景の絵は無限遠にも見える。
写真とは種々の景色を写し記録する、という前提を覆したのが海景シリーズだ。世界各国の海の水平線を捉えた写真群は、どれも同じ構図で撮影されている。画面を上下に分かつ水平線。海と空があるというだけ。空の雲や海の波の様子が繊細に描き出されていて、それぞれの写真で当然表情が異なるが、同時に全てが同じだとも言える。
(本項目3の画像は全て杉本氏のウェブサイトのキャプチャです)
それは写っているものの美しさなのか、コンセプトの美しさなのか。観るものを騙眩かすような「いたずら」が潜んでいるようにも思える。私がナビゲーターを務めるTakram Radioに出演していただいた際、杉本氏は「Nothing is wrong, どんな解釈も間違ってはいない」と言った。あらゆる解釈を許容するミニマルな表現のなかに見えるのは、自然風景ではなく鑑賞者の心象風景なのかもしれない。
作品制作を通してその媒体自体を問う。これは画家が絵画を通して絵画の意味を問うたり、メディアアーティストが映像を用いて映像の意味を問うような活動と呼応する。
3つの事例を紹介した。ここで私はEXPOSEすることの価値を問いたいのではない。それは手法であり、目的ではない。既存の価値やジャンルを拡張する取り組みに興味があるのだ。
3つのうち、どれがビジネスで、実験で、エンターテインメントで、アートなのかもはや曖昧だ。あらゆるビジネスは、未だ見ぬ価値を実装しようとする社会実験的アートかもしれない。アートは人の心を惹きつけ議論を誘うという点では極上のエンターテインメントでもあるし、同時に世界を巻き込んだ一大産業でもある。高められたエンターテインメントは、ビジネスとしてもアートとしても強度を持ち得るのかもしれない。
これらの事例は全て、従来の意味を少しだけ超える取り組みである。ジャズの即興というジャンルを、ファッションの小売ビジネスというジャンルを、写真による表現というジャンルを、緩やかに拡張している。
慣例の変革そのものに価値があるのではない。内なる動機による表現行為が、従来の分類を超えてしまったということだろう。
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みなさんも、「 #意味のイノベーション 」に関わる事例があれば、ぜひnoteやTwitterで共有してください。実際、エスペランサ・スポルディングの事例は、ロンドン在住の上原直也さんにご紹介いただきました。ありがとうございます。
記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。