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「波打ち際」の読書リスト ― 年末に読むおすすめ


深津貴之(fladdict)さんから突然渡された #読書バトン 。僕も書きます。Takramという会社で仕事をしていることもあり、本能的に「分類できないもの」に惹きつけられます。

Takramはもともとデザインとエンジニアリングのあいだで揺れる振り子のような存在として始まりました。創業期に参加した当時の僕は、デザインとエンジニアリングそのものに強い関心があったというよりも「二つの価値観のあいだを揺れる」ことに広く関心がありました。

だから乾燥と湿潤が寄せては返す波打ち際のように、二つの概念のあいだを行き来する本のリストを。


アラン・ライトマン 『宇宙と踊る』

物理学と文学の波打ち際。アラン・ライトマンは物理学と文学を両方教える。高校生の頃、文学者になるか科学者になるか本気で迷ったという。文学者から科学者になった人物はいないが、その逆はいないことに気づき、まず科学の道へ。『宇宙と踊る』はそんな彼による掌編集。

空っぽのオーディトリウムのステージで練習するバレリーナの動きを物理学的に観察し、その跳躍が地球の軌道をどれだけ変えるかを書いた短編から始まる一冊。小柄な女性が地面に着地したときに地面にかかる力はいかほどか。

この本、日本では『宇宙と踊る』なのに原題は "Dance for Two”.  これはバレーの Pas de Deux (step of two) から来ていると思われます。たった一人で練習するバレリーナはつまり、一人ではなく、常に「地球と」踊っている。地球とふたり。作用反作用。

視線が冷徹であるほどにロマンスが強調される。絶版だけどオンラインで入手できます。ジョン前田さんがカバーデザイン。前田氏の相当初期のグラフィックワーク。カバーを開いても違うパターンの絵があり、2度嬉しい。

(※2017/12/26追記:この本についての書評を別ノートに書きました。)


寺田寅彦 『寺田寅彦 科学者とあたま』

物理学と文学の波打ち際その2。東京帝大で物理学を教えていた寺田寅彦は、夏目漱石の弟子でもあった(さらに寺田の弟子が中谷宇吉郎!)。「茶碗の湯」というエセーがあり、これは青空文庫でも読める

縁側に置いた茶碗にお湯を注いでみる。液面から立ち上る湯気を仔細に観察しながら、湯気の正体、熱、「むら」の概念について解説。わずか四千字程度の文章の終わりに、我々はいつの間にか虹や飛行機について考えたり、モンスーン(季節風)の正体に肉薄したりする。しかし言葉運びがエレガントで、湯気から地球にまで旅行する、そのスケールの跳躍には気づかない。想像力はいつの間にか空を舞う。

ちなみに寺田寅彦は夏目漱石の『三四郎』に登場する野々宮宗八のモデルになったと言われている。そしてもっと重要なことに、寺田寅彦の短歌にはこれがある。

好きなもの 苺珈琲花美人 懐手して宇宙見物

懐手は「ふところで」と読みます。最高。


中谷宇吉郎 『中谷宇吉郎 雪を作る話』

「偶然と必然」の波打ち際。物理学者であり随筆家の中谷宇吉郎。「雪の結晶は、天から送られた手紙である」という言葉は誰もが一度は聞いたことがあるのではないか。

中谷は世界で初めて人工雪を製作した。十勝岳の山小屋にこもって3000枚の雪の結晶の写真を撮り分類。結晶の形状が温度と水蒸気量によって左右されていることを突き止め、これを図にまとめたものが、ナカヤ・ダイアグラムとして知られている。

雪の結晶は、天から送られた手紙である[…]。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。

FLORIOGRAPHY, Message Soap, in time をはじめとして、僕はなにかと手紙に関する作品を色々つくっているのですが、いつもうっすら、中谷宇吉郎の言葉を思い浮かべています。

ちなみに、中谷が師である寺田寅彦の「茶碗の湯」について書いた文章もある。

(※2018/01/15追記:この本についての書評を別ノートに書きました。)


吉田健一 『旅の時間』


「旅と生活」の、「酩酊と素面」の波打ち際。そして「随筆」と「小説」のあいだで揺れる振り子。

吉田健一は酩酊的。あの文章が身体に溶け込むまでにかなりの集中が必要で、最初数ページ無理をして読むと、でも遅効性の薬のように、フロー状態に入るように、だんだんと馴染む。思考を迂回し体感として味わえるようになる。ことばの海を渡る。ゆっくりと、同時にすばやく。

吉田茂がまだ外交官だった頃、長男である吉田健一は父に同行する形で欧州数カ国に暮らした。この短編集はそのような経験が活きている。機上、ロンドン、パリ、京都、神戸、船上...。各短編が異なる場所を舞台に語られる。旅をしながら出会う様々な人物、様々な酒。句読点のほとんどない、でも独特のリズム感のある、あまりに甘美な一冊に心地よく酔う。

旅先で主人公が誰かと出会い、時間を過ごし、また一人に戻る。常に傍に何かの酒がある。飲み方を学ぶ本。


サン=テグジュペリ 『人間の土地』

大地と空の波打ち際。僕はサン=テグジュペリが滅法好きだ。『星の王子さま』で知られる作家だが、実は職業パイロットだった。ある時は郵便配達人として、またある時は軍人として、ずっと飛び続けた。『人間の土地』という彼の作品は、彼の飛行中の思索。

まだ空を飛ぶ人が多くなかった時代に、上空からの景色を、「天地間の秘密の言葉」を情熱とともに語った。堀口大學訳を猛烈にお勧めします。なお表紙の絵は宮崎駿。

ところで数年前の虎ノ門ヒルズ開業時、最上層に「Andaz Tokyo」というホテルも同時オープンしたが、それに先立つこと数ヶ月前。ホテル開業準備室に、総支配人として来日・着任したのはアルノー・ド・サン=テグジュペリ氏だった。大叔父がアントワーヌであるとのこと! 僕は感激して握手、次にお目にかかるとき『人間の土地』のなかでも特に好きな箇所をA4用紙に印刷・持参して、強引にサインをいただいた。ちょっと迷惑だったろうと思う。ごめんなさい。

のちにアルノーと一緒に、Andaz Tokyoのブランドムービーをつくることになった。今もホテルにチェックインすると部屋のTV画面で流れている。

なお『人間の土地』は「人生を変えた本」を紹介するTakramのpodcastシリーズ、Takram Hidden Libraryでも紹介しました。聴き手はTakramのおたまです。


岡倉天心 『茶の本』

東洋と西洋の波打ち際。岡倉天心は、ボストン美術館の中国・日本美術部長を務めた人物で、日本人で初めてのキュレーターともいわれている。『茶の本』は茶の湯の概念を西洋に伝えるために英語で書かれた本。

僕自身、茶道のお稽古にかれこれ10年くらい通うなかでいろいろなことを学んでいるけど、ひとつデザインの世界との繋がりでいえば、実は日本のサービスデザインの起源は「茶の湯」なのではないか、ということ。

お茶は総合芸術と呼ばれる通り、建築、庭、食、香、茶、道具、書や花と、見所は際限ない。これはサービスデザインにおいて、タッチポイントを挙げると店頭、人、モバイルなどなどが複雑に絡み合っていて、いろいろな職種・部署の人が必要になる、知識や専門性が要ることと重なる。

双方向のやりとりによって一座建立することもお茶とサービスデザインの共通点。お手前の型は大事だけど、季節や天候、客の体調や場面によってそれを変える自由もある。一期一会。客に心地よく感じてもらえるように先回りして即興。これは準備があるからできること。サービスデザインも対話だ。

よい茶席の裏にはよい水屋がある。同様によい体験、UXは実は表層で、それを可能たらしめる裏方がある。それは計画や準備であり、物流やビジネスモデルだ。表層の理想論としてのUXデザインを重視するが、現実論としてのバックエンドがないがしろになりがちなのが日本のサービスデザイン。この辺のお話はTakramCastにて詳しく紹介しています。よければご聴取ください。


コーリー・フォード 『わたしを見かけませんでしたか?』

正気と狂気の波打ち際。ユーモラスな掌編集。しかも浅倉久志訳。

浅倉久志はSF作品の訳で知られている。ブレードランナーの原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』や『たったひとつの冴えたやりかた』、そしてAmazon Primeビデオでドラマ化されている『高い城の男』など。でもこの本はSFではなくユーモアのジャンル(その点でウディ・アレンにもつながっている)。

浅倉久志は英文雑誌に掲載されているある種の文章を「ユーモア・スケッチ」と名付け、たくさん訳した。ユーモアスケッチとは、誇張や風刺、自虐や模写によって笑いを誘う文章のこと(多分)。知的に惚ける。たんに可笑しい話というよりは、かならず「時代に取り残される同世代の悲哀」や「メディアへの批判」だったり「芸術作品への畏怖・畏敬」といった社会との接続性を持っている(多分)。僕の解釈ですが。

とにかく、笑い転げます。これについては、今度続きを書きます。



夢とそろばんの波打ち際。マッキンゼー出身でありつつも退職し、現在はカフェを経営する影山さん。西国分寺という辺鄙な(失礼)場所にあるクルミドコーヒーは、全国食べログランキングで1位になったことも。

このカフェの立ち上げ、運営を通して経済について考える。あらゆるビジネスはもともと「世界を少し良くする」理念を持ちスタートするが、ゆくゆく利益が目的化し、数字至上主義になることで「人を手段化し」始めてしまう。なぜそれが起こるのか、他のアプローチはいかに可能か。全て「実践」を基にしたお話であり、この本はその過程で生まれた副産物の「理論」であるところに脱帽。

なお、Takramでファシリテーションした影山さんとのトークイベントの録音がTakramCastにあります。他に、Takramにてファシリテーションしたウェブ上の記事があります。影山さんと、コルク佐渡島さんとの対談


高村光太郎 『高村光太郎詩集』

言語と非言語の波打ち際。高村光太郎は詩人であり、彫刻家でもあった。二つ(かそれ以上)の、位相を異にするアウトプット手段を持つことについて、考える。

こういう詩がある。

さういふ言葉で言へないものがあるのださういふ考方に乗らないものがあるのださういふ色で出せないものがあるのださういふ見方で描けないものがあるのださういふ道とはまるで違った道があるのださういふ図形にまるで嵌らない図形があるのださういふものがこの空間に充満するのださういふものが微塵の中にも激動するのださういふものだけがいやでも己を動かすのださういふものだけがこの水引草に紅い点々をうつのだ

どのような言語と語彙を学んでも、どのようなアウトプットの術を身につけても、こぼれてしまうもの。

私事ですが、嘗て海外にいたため姉の結婚式に出席できなかったとき、この詩を、代わりの人に読み上げてもらいました。


朝吹真理子 『TIMELESS』

時間と記憶の波打ち際。芥川賞作家の朝吹真理子が、受賞後5年を経て発表した作品。文芸誌「新潮」で2年間にわたる連載を、2017年11月に終えた。雨、時間、香気。上の新潮は第一回掲載号。

朝吹真理子は12月、フランスのポンピドゥーセンター・メッスの朗読イベントに招かれ、『TIMELESS』から香気のシーンや雨のシーンを中心に朗読。江戸に降った絹の雨。白い雨。広島に降った黒い雨。3月11日のあとに降った、一見いつもと同じ雨。単行本が待たれる。妻です。


読書バトン

書き終えて気づきましたが、深津さんが挙げてくれていた、本や冊数のルールを完全に無視していました。失礼しました…。お詫びというわけでもないのですが、リストをつくってみて、一冊ずつについてそれぞれ全く語り切れた気がしないので、このうち半分くらいについて、別エントリーでもうちょっと書いていこうと思います。マガジンを作成しました。不定期にて更新予定します、よければフォローをお願いいたします。

さてバトンなので誰かに渡さなければいけません。スマイルズの遠山正道さん。「一冊、一室。」森岡書店の森岡督行さん。Takramの田川欣哉さん。 #読書バトン をお願いいたします。

加藤さんや深津さんのいう通り、画像なしでも、そして3冊だけでも。どこかでぜひおすすめの読書リストを、ご共有ください!


そして本日同時公開した別マガジン「コンテクストデザイン」の連載3回目、「実体、接線(の彫刻)」も合わせてご覧ください。


記事執筆は、周囲の人との対話に支えられています。いまの世の中のあたりまえに対する小さな違和感を、なかったことにせずに、少しずつ言葉にしながら語り合うなかで、考えがおぼろげな像を結ぶ。皆社会を誤読し行動に移す仲間です。ありがとうございます。