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居場所とその後

フリーター低収入、転職先の見込みなし。
明らかに私は優雅に生活している場合ではない。
場合じゃないからここにくる。

駅近くの喫茶店、コロナ禍もあってかそこそこ広い店内にはおじいちゃん店主と大きなピアノとテレビとオシャレなBGMと珈琲とケーキと私だけ。
テレビからは夕方のワイドショーが世間の現実を伝えている。

家にいると集中できない…。
と、思い言い訳共々私はここに来たが、一体なにに集中するのだろう。
とりあえずスケジュール帳を開き2月の過ぎた予定を書き込む。
5分もあれば終わってしまった。
私はなにに集中するべき?

家にいると居た堪れない気持ちになる。何故だろう。
喫茶店にくると「許された」気持ちになる。
何をしていなくても良い気がする。
空っぽで宙ぶらりんな私をこの空間と店主はそれでも迎え入れてくれる。

もし、他人目線で私を見たらこう言うだろう。
「君は、転職先の目処を立て一人暮らしを再開すべきだ。
そうだね、まずはネットで魅力的に見える企業または身の丈にあった企業を見つけるの。
そしたら、企業について調べて履歴書や提出物を作って送る。
運が良ければ面接に進む。面接対策をする。合否を待つ。それを繰り返しいつか終わるわ。」
実はコロナ禍2020年3月〜6月に猛烈に転職活動をしていた。
当時は都内で一人暮らしをしていた。
絶望的だった。全てが絶望的であり虚無と悲しさととにかく絶望だった。
しかし、それでもあの春は私にとっては温かで居心地良くて大事で大好きだった。
その春からもう一年が経ってしまう。
私はここで、何をしているのだろう。
現実逃避している場合ではない。
失敗するなら早い方がいいって大人は言う。
始めるのはきっと早い方がいい。知っているんだけど、でも。
私はいつもなんだか中途半端で…バッタモンの感覚。
私は私のくせになんだかいつも偽物な気がしてしまう。
偽物には価値がない気がしてしまう。
そんな感覚がふっと現れる。

追記
緊急事態宣言1回目の春~初夏は絶望と大好きのごちゃまぜ期間だったけど、何がそうさせてるのか。
もちろん先行き不透明すぎる現状への絶望と。
しかし、社会が停滞していて私以外の人も何かを不安に思いつつ家に篭もっている事実。
友達とビデオ通話なんか一日中しちゃって。会えなくたって寂しくなくって。次に会ったら何しよう?なんて話しちゃって。
のんびり起きて一日中ほんとにのんびり生きてた。
それが、世間から許されていた。


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