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#自伝的エッセイ
ここから私の人生は流れ出す、いや転がりだすのか
大学4年生になった。
いや、休学していたので5年生か。
就職活動をしていた同期やまさに就職活動中の後輩たちを見ていたのに
「就職」と「私」がまったく結びつかなかった。
新しいことを学べる、これまでとは違う人たちと知り合えることができるから働くことは大好きで、大学生になってからバイトをしてなかったことはなかったのに。
一時期は、昼は大学内の購買で、夜は大学近くのレンタルビデオ屋で働くという、お客さ
息ができる場所を求めて
3年次の春先だったのか、2年次の秋だったのか。
私は大学のある都市を離れ、高校時代の友人がいる都市にいた。
ひと月かひと月半か滞在し
友人の友人たちと遊び、あまつさえバイトまでもしていて
今思うと、これが「暮らすように旅した」最初だ。
このころに大学を休学したのか、この旅のあとに休学をしたのか
ほんっとに覚えていない。
そんなに適当に生きていたつもりもないんだけどな。
あのときは、ここではない
山に入ることまでは嫌いにならなかった
サークルに入るためにその大学へ進学したようなものなのに
けっきょく卒業まで在籍できなかった。
活動内容には違和感なく、楽しく過ごしていたのにな。
登山にはどうしても最初にそろえる装備にお金がかかるし
山にばかりいるからバイトもできないということで
経済的な理由で辞めていった子もいた。
古本屋に本を売って(さすがに教科書じゃない)なんとかしのいだり、
「教科書代が思ったよりかかって」という学生の3
昭和のくされ大学生のような生活の日々
大学入学式の日。
ワンダーフォーゲル部の勧誘にまったく出会えなくて
自分から探して早々に入部した。
仕送りもそこそこいただいていたのでバイトをすることもなく
どっぷりとサークルに勤しむ日々だった。
筋トレや歩荷(荷物を背負って歩く)などの訓練はきつかったけど
特別なことをするわけでもないのに、山にいることは楽しくて
週に2つほどだされる山行計画のなかから毎週のように山に行っていた。
はじめての試
ここが転機だなんて思いもしなかった
高校3年生になった。
3年生になったときにはゆるーく楽しく高校生活を楽しんでいた。
そうそうに専門学校に進学することに決め(それも動物保護に関わる専門学校。まぁ自然とは結びついていたのか)、三者面談でもそう伝え、親にも担任も納得していたのに。
あぁ、それなのに。
友人の仲良しの先輩(とはいえ、私の中高の先輩にもあたるのだけど)に誘われて、その先輩の通う大学のワンダーフォーゲル部の登山イベントに
いろいろあったはずなのに、今思い返すと平和だった
転校してみるのはどうでしょうと担任に言われたりもしたけれど
なんとなく学校に行かなくなったように
なんとなく学校に通い始めるようになり、
「有給消化だから」ととぼけたことを言いつつ休みながらも
卒業まで居座ることができた。
学校に行くと言いつつ、病院の待合室で時間をつぶしているような
そんな私に父はなんにも言わなかったなぁ、と今頃感じいったりする。
私が成人してから、あの時は悩んで友人に相談した
あのときの感情はいまも言語化できない
高校生のとき、私の知らないところで、私は「とんでる女」と呼ばれていたらしい。
卒業後、友人が教えてくれた。
飛んでる?跳んでる?とんでる??? と可笑しくて問い詰めたけど
それほど私は異端だったんだろうか。
特に希望してはいなかったけど、入試時の成績によって特進クラスに入った。同じ高校に進学した彼とも同じクラスになったけど、楽しい高校生活の始まり♪ なんて高揚感を味わったのかどうか、今の私は覚え
このままの自分は嫌だ、そう思ったのははっきりと覚えてる
中学生になった。
1年次は小学生の延長のように過ごしていたけど
なぜだか2年次に、このままの自分は嫌だな。
そう思ったのだった。
とても天気のいい日に、教室で本を読んでいたら
仲のいい男子から「だからダメなんだよ」みたいなこと言われたことあったのは覚えてる。
教室の入り口でたたずんで、教室内を眺めつつ
このままは嫌だ、そう思ったのもはっきりと覚えてる。
なんでそう思ったんだろう。自分のなにが嫌
小学校の6年って長かったと思っていたけど、思い出してみればこんなもの
小学校時代もあまり覚えていない。
ん、私ってバカなのかな。
外遊びにあまり興味がなく、
休み時間は教室で本を読んだり塗り絵をしたりするのが好きだった。
先生に、外で遊びなさい!と言われるのがほんと嫌でねぇ。
今でもそんなこと言われるんだろうか。
早生まれの私は今でも小さいけど、当時もほんとに小さくて
あの頃はあまり体力がなかったようにも思う。
そのうち、外で本を読むという技を覚えたけど。
2・