ここが転機だなんて思いもしなかった
高校3年生になった。
3年生になったときにはゆるーく楽しく高校生活を楽しんでいた。
そうそうに専門学校に進学することに決め(それも動物保護に関わる専門学校。まぁ自然とは結びついていたのか)、三者面談でもそう伝え、親にも担任も納得していたのに。
あぁ、それなのに。
友人の仲良しの先輩(とはいえ、私の中高の先輩にもあたるのだけど)に誘われて、その先輩の通う大学のワンダーフォーゲル部の登山イベントに行ったことが今の私の大部分を形成することになるとは考えもしなかった。
先輩の下宿に泊まらせてもらってのお泊りイベントは、とても楽しくて、初めて登った阿蘇の山に魅せられてしまったのだった。
家族旅行で阿蘇のペンションに泊まったときには感じられなかった解放感。
天気にも恵まれ、広くて青い青い空を眺めている楽しさ。
私はすっかり心奪われて、先輩やワンダーフォーゲル部の面々に
「私、ここを受験して、ワンダーフォーゲル部のに入ります!」と宣言した私のノリのよさを褒めてもらいたい。
特進クラスにいたとはいえ、それ以後はすっかり勉強意欲をなくしてしまっていた私が、11月にもなっていきなりの大学進学宣言。
親も担任もどう捉えたのか我関せずで、初めての予備校、初めての冬期講習に通うため、祖父母宅に泊まり込んだっけ。
あのころは1日10時間ほど勉強できたけど、いや、みなそれを夏からしてるんだよね。えらいよなぁ。
ちなみに私は、夏は伝説のライヴ「BEATCHILD 1987」に行ってたぐらい、受験生とは無縁の生活だったよ。
あのときは落ちることとかまったく考えていなかったけど、自分の努力と意思で事態を動かそうとしたのはこれが初めての経験だった。
合格発表の日。
今のようにオンライン発表なんてものはなく、大学での発表を見に行くか、通知を待つかの二択しかなかったように思う。
たまたまその日は、引退した部活の後輩たちと集う約束があったので、大学近くに住む父の友人が見に行ってくれたのではなかったか。
シャワーを浴びていると、浴室の外から「受かってるってよ!」と母がつげてくれたとき、思いがけず涙がこぼれたのには驚いたけど、思っていたよりも私は本気でその大学に行きたかったらしい。
合格発表後のはじめての登校日に、同じ大学を志望していたクラスメイトは落ちたことを知った。まじめに学校に来て、まじめに授業を聞いていた子。
なんだか申し訳ない気持ちになったのはなぜだろう。
「合格おめでとう」と言いに来てくれて、嬉しかったな。
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