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続・海外暮らしの娘と母


前回の記事の続きです。最初から読みたい方はこちらからどうぞ。
https://note.com/watashimagazine/n/n410e5a520f29

女のひとりごとVol.4





娘はバリ島で暮らし、母は日本でひとり暮らし


娘の私には弟がいるが、残念なことに母と不仲。よって、独身である私が母とつながっている唯一の親子。

離れて暮らしているからこそ、できる限りのことはしてあげたい!

いざというときに、すぐにかけつけられるようにしていたい!

でも、バリ島と日本は飛行機で7時間。

となれば、事前に準備はいろいろ必要ではないか・・・・

そんな思いから、まずは母の介護認定を取って、ケアマネージャーさんとの連携や必要ならばすぐにデイサービスに入れるような流れを作ろうと試みた。

その試みは、私ひとりではもちろんできない。母の意志と行動があってこそ。

というのも、実際に、介護認定を取るために、ケアマネージャーさんや医師と面談をするのは母だ。

なので、私の気持ちを伝えて、母にお願いしてみた。


娘の私ができることは・・・


「介護認定取っておかない?」

「何かあったときのためにすぐに対応できるようにさ・・・」

と、言ってみたものの、母は全く乗り気を見せない。私の思いとは正反対。なんでなのよともやもやする私・・・。

そしたら、母からこう言われた。

「自分で決めたい」と。

いやいや、そんな流暢なこと言ってらんないから!?って一瞬思ったが、

いや、まてよ。

そうだよな、って気づいた。

デイサービスさんに通うのも母。ケアマネージャーさんにお世話してもらうのも母。

私のことじゃなくて、母のこと。

今は、年齢なりに普通に元気な母。自分の状態がどうかだってもちろんわかる。

だから、自分のことを自分で決めるのだって当然だ。

私は、自分にとって都合のいいように母をコントロールしようとしていたのだ。

ってことに気づいて、恥ずかしくもなった。


母の本音から気づいたこと


そして、もうひとつ。

なんで私は、この先の未来に、母がデイサービスに通って、将来は老人ホームになったら大変だ!!! という、「何かあったら不安」という思考から行動しているのだろう。

ってことにも気づいた。

そうではない、

目指すのは、いつまでも元気で、ピンピンコロリではないか。

ピンピンコロリとは・・・
健康寿命の長さを言い表した表現で、「病気に苦しむことなく、元気に長生きし、最後は寝込まずにコロリと死ぬこと、または、そのように死のう」という標語。略してPPKという
byウキペディア


母も常々、ピンピンコロリでいたいと言っている。

そうだよ、私たちが目指すのはここだ!!!

お母さん
ピンピンコロリになるようにがんばろう!

と、母と話した。

母の顔も明るい。

ピンピンコロリのために、できることはたくさんある。日々の運動や食事。生活習慣など。

そうして、私たち親子のピンコロ活動が始まった(笑)

介護の準備を進めている時より、お互いに笑顔が多い。心が軽い。


やっぱこうだよね。

先の不安から何かを行動すると、だいたいが途中で行き止まりになるような感じになったり、自分の心が晴れない。

今回の日本帰国で、ひとつの光を見つけたようでとても晴れやかな気分です。

⇩前編はこちらです

⇩ わたしの自己紹介


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