続・海外暮らしの娘と母
娘はバリ島で暮らし、母は日本でひとり暮らし
娘の私には弟がいるが、残念なことに母と不仲。よって、独身である私が母とつながっている唯一の親子。
離れて暮らしているからこそ、できる限りのことはしてあげたい!
いざというときに、すぐにかけつけられるようにしていたい!
でも、バリ島と日本は飛行機で7時間。
となれば、事前に準備はいろいろ必要ではないか・・・・
そんな思いから、まずは母の介護認定を取って、ケアマネージャーさんとの連携や必要ならばすぐにデイサービスに入れるような流れを作ろうと試みた。
その試みは、私ひとりではもちろんできない。母の意志と行動があってこそ。
というのも、実際に、介護認定を取るために、ケアマネージャーさんや医師と面談をするのは母だ。
なので、私の気持ちを伝えて、母にお願いしてみた。
娘の私ができることは・・・
「介護認定取っておかない?」
「何かあったときのためにすぐに対応できるようにさ・・・」
と、言ってみたものの、母は全く乗り気を見せない。私の思いとは正反対。なんでなのよともやもやする私・・・。
そしたら、母からこう言われた。
「自分で決めたい」と。
いやいや、そんな流暢なこと言ってらんないから!?って一瞬思ったが、
いや、まてよ。
そうだよな、って気づいた。
デイサービスさんに通うのも母。ケアマネージャーさんにお世話してもらうのも母。
私のことじゃなくて、母のこと。
今は、年齢なりに普通に元気な母。自分の状態がどうかだってもちろんわかる。
だから、自分のことを自分で決めるのだって当然だ。
私は、自分にとって都合のいいように母をコントロールしようとしていたのだ。
ってことに気づいて、恥ずかしくもなった。
母の本音から気づいたこと
そして、もうひとつ。
なんで私は、この先の未来に、母がデイサービスに通って、将来は老人ホームになったら大変だ!!! という、「何かあったら不安」という思考から行動しているのだろう。
ってことにも気づいた。
そうではない、
目指すのは、いつまでも元気で、ピンピンコロリではないか。
母も常々、ピンピンコロリでいたいと言っている。
そうだよ、私たちが目指すのはここだ!!!
お母さん
ピンピンコロリになるようにがんばろう!
と、母と話した。
母の顔も明るい。
ピンピンコロリのために、できることはたくさんある。日々の運動や食事。生活習慣など。
そうして、私たち親子のピンコロ活動が始まった(笑)
介護の準備を進めている時より、お互いに笑顔が多い。心が軽い。
やっぱこうだよね。
先の不安から何かを行動すると、だいたいが途中で行き止まりになるような感じになったり、自分の心が晴れない。
今回の日本帰国で、ひとつの光を見つけたようでとても晴れやかな気分です。
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