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創価学会だった母の顛末

私の母は今年5月に癌で亡くなった。

物心ついたときから、母と2人だけの家には小さな仏壇があった。

毎朝、母は数珠を手にして、ごにょごにょと何か言って拝んでいた。

そして時折、夜に座談会という、おばさんや子どもの集まりに連れていかれた。若い女の人がわざわざ家にきて、私や母の様子を見にくることもあった。よく分からなかったが、みんな親切で、少々お節介な人たちの印象がある。

小学生のとき、クラスの子でも、母と同じことをしてる家庭があることを知った。

中学生になると、Cの家によく遊びに行くようになり、親友になった。ファンキーな雰囲気で専業主婦のCのお母さんがとても優しく、母娘でC家族と親しくなった。そして、C家族は創価学会員だった。Cから、創価学会のことを把握しはじめ、私も拝むようになった。Cと座談会などの集まりにも行くようになった。

母は驚いていた。

母にはCがやってるからと理由付けしたが。他にも毎朝、母が拝む理由や拝んだら何があるのか知りたくて、活動に参加した。

暫くして活動からフェードアウトして、中学2年の時にはやらなくなった。拝んだだけでは、幸せにはならないし、良いこともないことが分かった。集まりに参加しても、私は怠かった。

結局、自分自身が行動しなければ結果は、変えられない。

ますます、私は、母が拝む理由が分からなかった。

私は、生まれたときから意に反した創価学会員だった。けれども、これ以降、自分が創価学会員だと公言することもなく暮らしている。

高校は、Cが学区内最低ランクの高校へ進学して、私は上から3番目の高校へ進学した。それを機にCとは疎遠になった。

大学に入り、教育実習の介護体験で創価大学のEと仲良くなった。Eは教師にならず、聖教新聞に入社した。Eは代々家族が創価学会員の家庭だ。一度、創価学会へ誘われたが、丁重にお断りをした。Eは素直に聞き入れてくれて、今も付き合いは続いている。

創価学会員あるあるだが、選挙の時期になると公明党の支持のお願い?がある。そうなんだ〜と返事をして、私は毎回、公明党へ投票していない。

そして、昨年12月に母が末期癌になった。余命半年。今年1月〜3月は在宅療養した。

3月の再入院時、もう家には戻れないと医師に言われた。

介護ベッドや在宅酸素を引き上げるため、実家での立会いを夫にお願いした。転職1年目の私は有休が少なかった。

母はこの日、義理の息子である私の夫にラインをした。

「近所の人が仏壇を取りに来るので、対応してほしい」

私が家を出てからも仏壇はあった。しかし、だいぶ埃まみれになり薄汚れていた。

私は、母が夫に頼んでいることを知らなかった。

夫は、無宗教で、創価学会が好きではない。大学生の時に誘われて、創価学会員と口論になったと聞いたことがあった。だから、夫に母が創価学会であることは話してなかった。

けれども、仏壇を返した日、創価学会であることを夫に知られた。近所のおばあさんは、自分の電話番号と名前を教える代わりに、夫の名前と携帯を教えて欲しいと。夫は教えてあげて、仏壇の始末を終えた。

夫から、この出来事を聞き、驚いた。夫を巻き込んでしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。同時に、母に怒りを感じた。私は母にさらに優しく出来なくなった。

一方、夫は淡々としていた。

母が病気になったときから、仏壇の始末は自分でして欲しいことを話していた。1月〜3月は在宅療養していたので、自分でする機会はいくらでもあった。でも、怠慢でしなかった。母のそういう部分は、嫌いだ。

けれども、とにかく仏壇を返した日。創価学会と縁が切れた。安堵した。

時折、夫の携帯に、あのおばあさんから電話があったようだ。無論、着信拒否している。

そして、母の葬式は、九州に住む母の兄の希望により、浄土真宗のお坊さんに供養してもらった。

母が毎朝拝んでいた日々は、なんだったのだろう。

なんとなく、想像すると。離婚した母は、見知らぬ土地で、一人で私を育てるのが心細かったのかな。藁にもすがりたくて、優しくお節介な創価学会員の人たちと親しくなったのかな。

私は、母が創価学会で繋がった人には、母の死を伝えなかった。無関係になりたかったから。

コロナの初めに末期癌が分かり、66歳で亡くなった母。孫が3歳の頃に亡くなることが悔しそうだった。「この子の記憶には、私がいないのね。」と淋しそうに泣いていた。緊急事態宣言、真っ只中の5月のお葬式はたった6人。

私が家庭を持ち、母は孫に会い抱きしめ、まだまだ沢山のイベントを一緒に参加すると思っていた。母は羨ましがられる側に回るはずだった。その矢先に人生が終わった。毎朝、拝んでいたのにね。なんでなんだろ。母は不幸だと思う。

そういえば、母は、私に拝むことを無理強いしなかった。これも、なんでなんだろう。拝んだところで、何もないことを知っていたのか。今思うと、無理強いしなかった母に好感がもてる。

4歳になった娘は、母のことを覚えている。この前も実家近くの公園へ行くと、おばあちゃん家に行きたいと言った。




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