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「わかる」とか「私と同じ」とか

週末の金土日だけやっているパン屋さんがあって、本格派のフランス系のパンを出すとあっていつもお客さんでごった返している。私たちの家からは少しだけ遠くて行動範囲とも逆の方向にあるから、普段は行かないのだけど、そちら方面に用事があったということで家族がクロワッサンなどを買ってきてくれた。ここのクロワッサンはバターがたっぷりで、温め直すとサクサクと生地が細かく崩れ、本当に美味しい。本当に美味しいはずなのだけど…

一口食べたらウッとなった。クロワッサンの味が変わったのではない。私の胃腸の具合が変わっただけだ。あんなに好きだったはずのクロワッサンが、バターたっぷりがゆえに気持ち悪くて食べられなくなってしまった。もう6月からお腹が壊れっぱなしなのでこういったハプニングには慣れているけど、ちょっと具合が良くなってきたなと思っていたので残念に思った。残した分は家族に食べてもらった。

その数日後、普段だったらあえて行かないであろうちょっとお年寄りっぽい地味なパン屋さんで、ハムときゅうりをはさんだクロワッサンを家族が買ってきてくれた。これをトースターで温め直して食べるとあっさりしていて食べやすかったし美味しかった。ハムも脂身が少なく味が薄くて、きゅうりはほんのりと火が通ってカリッとしていながらもやわらかな食感だった。クロワッサンはクロワッサンとして成立するギリギリの量のバターを練り込んであって、噛んでもバターはじわっとしないけどサクサクと軽い食感だった。

私は思った。そうか。今まではバターの入ってないクロワッサンなんて理解不能やったけど、こういうことやったんか、と、私が住んでいる地域にはパン屋さんが多く、しかもお年寄りも多く、そのお年寄りの多くがパンをよく食べるので、地域のパン屋の一部はお年寄りにフォーカスした味付けになっていたのだ。柔らかくて消化が良くて美味しいもの。ちびまる子ちゃんの友蔵が食べたいって言っていた料理そのものだった。

わかる。友蔵の気持ちがわかる。そう思ったけど、いやいや簡単に分かるだなんて思ってはいけない、と気持ちを翻した。私とお年寄りの共通点は「胃腸が弱っていて油っぽいものが食べられない」ということだけで、私は生まれた時代も1980年代だし年齢も30代だし、生きてきた年数も見てきた景色も体験してきた歴史も何もかもが違っている。ちょっと何か一つ共通点があるだけで、わかるとか私と同じとか、簡単に思ってしまうのはやっちゃいけないことなんだ。

『G線上のあなたと私』というドラマの第1話を見た。結婚と寿退社の直前に婚約破棄をされ無職になった主人公が、大人のバイオリン教室に通いはじめ、グループレッスンの仲間と友情を深める、という話だ。レッスンの先生は女の人で、婚約者の男性が他の女性との間に子供を作ってしまって婚約破棄になったという過去を持つのだけど、主人公はその話を聞いて、「私と同じだと思った」と言っていた。

が、それは全然同じゃなくて、「婚約破棄をされた」という事実だけが同じなだけだ。抱いている感情とかそれに至った状況とか何もかも違う。というようなことをレッスン仲間の男の子が憤りながらに伝えていた。このやり取りを見ていてストーリーメーカーの一枚上手さを見たというか、ドキッとビクッとした。

ちょっとあのシーンの説明はうまくできないのだけど、そのやり取りを見た時、今は誰も彼もが「わかる」だとか「私と同じ」だとか軽々しく発言する時代で、だからこそこそ簡単にわかった気持ちになっちゃいけないんだな、って具体例を示してくれた気がした。

詳しくはドラマの一話を見てください



以上

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