見出し画像

映画『奇跡の人』 (1962)

人生が変わる映画に出会った時って、ズゴーーンと頭に衝撃が走って、胸がドキドキして、目頭がギューッと熱くなって、うまく言葉にできなくないですか?

昨夜、そんな映画に出会っちゃって、興奮を言葉に残しておきたいけど、なんて言ったらいいのかわからない……。

『奇跡の人』は目が見えず耳が聞こえない少女ヘレンケラーと、彼女を教育すべくやってきたサリバン先生の物語。ちなみにサリバン先生自身も目が悪くって、弟と共に劣悪な環境の施設で育ち、なんとか視覚を補う術(手話)を習得したり、6回手術をしたりと苦労してきた人。

ヘレンケラーとサリバン先生の取っ組み合いの格闘のシーンが凄まじくて、鍵を掛けた8畳ほどの食卓でヘレンに着席して食事をさせるためにサリバン先生が取っ組み合いの指導をするんだけど、ヘレンもそれに屈服するものかとお皿やスプーンをブン投げて大暴れ……。

そのシーンをカット無しで15分くらいの長回しで撮影するのだけど、ヘレン役(イタコかと思うくらい凄い演じっぷり)もサリバン先生役も汗だくで、動き回って激しいのにカメラの距離も近くって(なのに全然ブレてない)、緊迫感が画面越しにビシバシ伝わってきた!

目も見えず音も聞こえない世界ってどんなものなんだろうっていくら想像してもまったく理解することができない。触覚だけがそこにあって、だけどそれがなんであるか、自分の思考や感情の正体(名前)を認識していない状態。それってどれほどの苦痛なんだろう。

ヘレンはきっと怒っていたのだと思う。全身が幽閉されたみたいな感覚に。自分の内に沸き上がるものがなんなのか知らぬまま、それが何年も何年も続いて、中身は赤ん坊のまま、14歳くらいの少女になって。

サリバン先生は「物には名前がある」という、当たり前のようで、これ以上ない真実をヘレンに授けてくれた。物には名前があるのだ。ヘレンが抱いてきた感情の一つ一つに名前があるように。

言葉は光だとサリバン先生は言った。この世のすべてはいつか消えていくけど、人類の歴史も、心の中のできごとも、言葉にすれば人に伝えることができるし、後世に残すことができる。

ヘレンが「言葉」とはなんであるか、本当に理解したシーン、つまり「ウォーター!」と声を出すシーンはとても有名だけど、想像していたよりドラマチックな演技(叫ぶ)ではなく、もっと体の奥深くから滲み出るような声だった。

そしてヘレンは鍵を手に取り、サリバン先生に渡したのだった。先生はヘレンの心のドアを開いた。それをヘレンは直感し、手話と共に行動で示した。今まで先生に対して憎しみの表情ばかり見せていたヘレンの顔が弛緩して、彼女の目からは涙が。あのシーンは観ていて本当に心震えた。

映像の作りとしても単なる伝記映画的にとどまっておらず、冒頭の風景画のような映像と音楽、それにバランスよく配置された director 誰々… とかの情報(あれなんていうの?)も見た目が美しかった。

1960年より前の映画はエンドロールがないように思う。だいたいオープニングで出演者と関係者とかの情報が出て、主題曲が流れ、現代でいうエンドロールの役割を果たしている。そのおかげで最後に物語が終わるとエンドロールがないから、ビックリするくらい余韻ゼロでスパーン!と終わる。


おわり


本当に急に終わってビックリしたでしょう……うふふ……



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞