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1月24日(金)病室にラブがあってもいい

『恋はつづくよどこまでも』第2話を観た。上白石萌音さんが本当に演技が上手くて惹き込まれてしまう。

患者さんが亡くなって戸惑う視点の揺らぎ、目が、瞳が演じていて、佐倉七瀬という女の子が乗り移っているようだった。はしゃいでいる時の若々しさ、いてもたってもいられないじたばたとした身体の動き、くるくる変わる表情、不思議な顔立ち、全部がチャーミングでたまらない。

コメディエンヌに最も必要な要素はチャーミングさだと『Seinfeld』のエレインに心酔する私は考えているのだけど、上白石萌音さんには日本的なチャーミングさがある。かわいくって子犬みたいで、目を見開いたり口をぶちゃいくに歪めても痛々しくならない、天賦の才。

それでいてきちんと、人間の細かな心の動きも演じられる。なんて素敵なんだろう!憧れるなぁ……来世は生まれ変わったら演技がやってみたい。

ところで医療モノのドラマや映画をやると「リアリティがある」「リアリティがない」と論じられることがある。

リアリティってなんだろう?

会社員の生活を描いた作品では、コメディタッチにしたところで「リアリティがない」という角度からクレームは来ないと思う。ところが場所が病院に変わると、ちょっと面白いことを言ったりやったりしただけで、リアリティの有無を追求される。

そもそも映画もドラマも虚構の世界である。リアリティ=現実が見たいなら、病院に足を運んで待合室の閉塞感漂う雰囲気を感じれば良いし、ドキュメンタリーを観れば良いし、実話に基づく物語を観れば良い。

病院にだって面白いこと、ときめくこと、恋もロマンスもあっていいと思う。患者さんだってはしゃいでも良いと思う。むしろ物語の中だからこそ、不自由な身体を縛り付けるベッドから開放されて、立ち上がって、例えば『ナースのお仕事』の患者さん集団みたいに、ふざけたり茶飲み話ができるのなら、そっちの方が夢が広がる。頑張る理由になる。

病人にだって夢を見させてくれよ。非現実を楽しませておくれよ。

人が苦しむ姿は観たくない。病室にいる人たちは、現実の私自身に一番近い存在だ。その人たちが、血を吐いたり呼吸が出来なくなったり、急にこの世界からいなくなってしまったり、そういうことが起きると、物語の中だとしても心が痛む。自分の未来もこうなるのではと、幸先が曇って怖くなる。

病院でラブ、どんどんやって下さい。

ときめきをありがとう……


【出来事】

ようやく楽天24で購入したお菓子が届いた。びっくりするぐらい大量に届いた。お菓子って一気に爆買いすると、これから自分がこんなにも沢山のお菓子を食べるのか…?とビビってダイエット効果がある気がする。

映画版ミュージカル『キャッツ』が米国で大コケしているらしい。レビューもけちょんけちょんにこき下ろされていて逆に面白い。数ヶ月前に予告編を見たときから、これはヤバい予感…と思ってたけど、予想が的中するとは…。

『キャッツ』は高校生くらいの時、劇団四季の舞台を観てすっごく興奮した覚えがある。あの時を境にミュージカルにはまったのかもしれない。

数ヶ月前に予告編を見た後、Amazonプライムで販売されているロンドン公演の映像を購入した(1500円。安い!)。また観直しておこうー。

予告編を観て感じたのは、『キャッツ』には舞台という装置が不可欠であるということだ。ここは演技をする場所ですよ!と示された舞台の上で人間が猫を演じるから、「これは猫を見ているのだ」と観客は暗示にかかれるし、舞台の上が街にも見えてくる。あくまで架空のファンタジーとして見られる。

映画はどうやら現実の人間世界で撮影をしたらしい。たとえばニューヨークのセントラルスクエア、もしくは日本なら渋谷のスクランブル交差点でもいいけど、いざ舞台を降りて現実に存在する街で猫の着ぐるみをまとった人間たちが右往左往してうごめいてたら、それはもう違和感が半端ないと思う。舞台を降りると猫のお芝居じゃなくなって、ただの狂人になってしまうというか…

だから評判が悪いんじゃないかな?と想像したのだけど、どうなんだろう。見てみたいなー。家で見られるのは半年後とかだろうから、まあ、ただの予想です。


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