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2月13日(木)めちゃめちゃ病人

SNSのプロフィール欄は難しい。人生を語るには短すぎるし、万人の心を掴むパンチラインも思い付かない。

よって、自分の経歴や好きなもの、創作の方向性について簡潔にまとめることになるのだが……

その時に病人について回る問題が、「SNSのプロフィール欄に病気について書くか否か」である。

きっと、非・病人からすれば、まあまあどうでもいいことだろう。

「そんなことどっちでもよくない?そもそも誰も気にしてないよ(笑)あ、でも、わざわざプロフィールで病気アピールしてる人ってメンヘラっぽいから関わりたくないかも〜」みたいなもんだ。

(人間不信が凄い)

しかし、YES・病人からすれば、プロフィール欄に病気について書くか否かは、己のアイデンティティに関わる重大な問題である。

そもそもプロフィール欄は、プラスの情報を伝えるようにできている。誰も「前科三犯ですが仲良くしてください!」とマイナスの情報を書く人はいない。

仕事や趣味、これまでに成し遂げたことなど、自分を構成する要素(=アイデンティティ)を記すのが基本だ。それらは自らの選択の末にある、好きでやっていることが中心となる。

ここで生まれるジレンマがある。それが、「病人」は好きでやっていることではない、という問題である。

好きでやっているわけでもないことを、貴重な文字数を使ってまで、プロフィールに書きたい人がいるだろうか。

その問題を軸に据えて徹底的に向き合うことを前提としたSNSアカウントならあり得るだろうが、普通にSNSを楽しみたい人は、あえて嫌なことを自分の構成要素には挙げないだろう。

肉体的には健康でも、自分の思い通りにならないことはあって、そのニ大巨塔が薄毛と肥満だと思うんだけど、もし私がめちゃめちゃ太っていたらプロフィールに「めちゃめちゃ太ってます」とは書かないし、めちゃめちゃ薄毛だったら「めちゃめちゃハゲてます」とは書かないはずだ。

とはいえ、人の容姿は見た目に分かることだから、見知らぬ人のSNSを眺める時、人々は「この人はどんな顔の人なんだろう?」と想像するし、心のどこかで薄毛や肥満の可能性を考慮している。

画面越しに猫アイコンの彼に恋しながらも、「しかし……もしかしたらめちゃめちゃハゲてる可能性も否めない……でも好き……!」と乙女は想像を巡らせるのだ。だから、見知らぬ相手と対話する際、フサフサや十等身を前提としたコミュニケーションは行わない。

一方で、見知らぬ相手に対して「この人はどんな健康状態の人なんだろう?」と想像する人は、まあいない。まず100%、健康であることを前提に話しかける。まさか画面の向こうの人間がめちゃめちゃ病人だとは思いもしないのだ。

薄毛や肥満の人とは異なり、病人の場合は肉体的にも不健康だ。その前提条件を事前に共有していないと、コミュニケーションにズレが生じることはとても多い。なぜなら、病人は健康な人とは生活の送り方が全く異なるからである。

私の場合で言えば、そもそも一度に十歩しか歩けない。手も腕もあんまり使えない。介助式の車椅子を押してもらっている。常に全身が痛いし重い。日常生活のほとんどが出来ない。外出も出来ない。

家族が作ってくれた料理が美味しかったのでSNSに写真を載せたとする。「お料理上手ですね!」と言われて、「ああ、どこからどこまで説明すればいいのか……」と悩む。

新作映画の話になったとする。「公開日が楽しみですね!」と言われて、確かに楽しみだけど、「そもそも外に行けないから観に行けないし……」と、また悩む。

その度に、私は小さく傷付く。「出来ないこと」「出来なくなったこと」を思い知らされる。

前提条件が異なるのだから仕方がない。そう分かってはいても、「また、自分には出来ないことについて、なんの悪気もなく話しかけられてしまった……」と落ち込むし、「どう返事すればいいんだろう……」と深刻に悩む。

「すみません、私はめちゃめちゃ病人なので、料理とか外出とか、ぜんぶ出来ないんです……」と、いきなり切り込んだ角度で打ち明け話をすればいいのだろうか?

さっきインターネットで出会ったばかりの人に?

なぜそこまで?

言われた方も仰天だろう。「そんなつもりはなかったのに……なんかこちらこそすみません……」てなもんだ。

そして変な空気になって、また一つ貴重な出会いを失って、毎回これを繰り返して……

何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも、そう、まるで、ドリカムのように……

物事は言葉にすればするほど余白の部分が取り溢されていく。何かを言えば言うほど、言わなかった部分の存在が霞んでいく。ああ、小田和正だ……ららら、ららら……言葉にできな





これってめんどくさくないですか?

もう悩むのもめんどくさい。ただシンプルにめんどくさい。こんなことに人生を使うなんて馬鹿げてる。「こんなもののために生まれたんじゃない」って鬼束ちひろも言ってるやん。

よって、プロフィールに書く。「めちゃめちゃ病人」と書く。大々的に書く。それで「メンヘラっぽいから関わりたくないかも〜」と思う人がいたら、むしろ最初から関わらずに済んでお互い楽だ。

SNSのプロフィール欄に「めちゃめちゃ病人」と書くこと。

それは、アピールのためではないのです。

ただの、前提条件の共有です。

本心を言えば、出来ることなら、インターネットでくらい、「普通の元気な私」として生きたい。本来、電脳空間では誰も身体を持たないのだから、病気も元気もないはずなんだ。普通の人として生きることだって可能なはず。ただし、人と関わらないのなら。

人と関わる以上、インターネット世界であれ、現実世界であれ、人と人はみんな違う。健康状態にも、その他いろんなことにも、大から小までいろんな差がある。その差を感じずに過ごすことは、人間社会の中では、端から不可能なことなのだ。

「インターネット上には肉体が存在しないため、普通の人と同様に振る舞いたいとは考えていますが、現実世界では病人であるという事実を踏まえ、病人としての傷付きポイントを刺激しないように留意しつつ、普通の元気な人と同様に扱って下さい」

こんなこと、インターネット上で通りすがっただけの赤の他人に頼めるわけがない。いくらなんでもややこしすぎる。要求が無茶苦茶すぎる。

だから私は「めちゃめちゃ病人」と、プロフィール欄の貴重な文字数を割いてまで、大きな声でハキハキと言うことにしたのだ。その方が、みんなも分かりやすいでしょ、ということだ。

ただ、病名までは書く必要もないかな、と今のところは考えている。

海外における血液型同様、それは立派な個人情報だし、プロフィールの段階でそこまで教える筋合いもない。「めちゃめちゃ病人」だと分かりさえすれば、細かな分類なんて他人からしたら問題ではないだろう。

そういうわけで、めちゃめちゃ病人です。どうぞよろしゅうおたのもうします。

さいなら


【できごと】

すみっコぐらしの手帳がかわいくて眺めながらニコニコしてしまう。

夜中に何度も目覚めて(それ自体はいつものこと)、その度に「〜〜って言うとるやろがボケーー!!」とか暴言を叫びながら起きてしまった。普段そのような言葉遣いはしないので、ビックリした。『ミナミの帝王』『極道の妻たち』などから得た暴言の知識は確実に脳内に蓄積されている……

家族に話してみると、「スッキリして良かったんとちゃう?良かったやん」と言ってくれた。その視点はなかったので、悪夢が良夢に変わり、安堵した。最近なんでも肯定してくれるようになった。嬉しい。



HAPPY LUCKY LOVE SMILE PEACE DREAM !! (アンミカさんが寝る前に唱えている言葉)💞