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天に登るコーランと羊の頭

 昨日は遅くに眠った。日本時間だと多分、夜中の4時ごろだろう。しかし時差の関係か、早くに目が覚める。アルマトイの時間で朝7時ごろには目を覚ます。夜明けを待つ青白い空。冬の時期の陽の出は朝8時半ごろのようで、日本に比べてずいぶん遅い。ベッドから窓の外を薄目で見ていると、外には背の高い針葉樹が2本、雪をかぶっているのが見える。
 外の空気を吸おうと、着替えをして、玄関の扉を開けると白い雪に反射する光が目を刺激した。一夜明けた朝はとても気持ちがいい。あたりを散歩してみようと歩き始めると路面が凍結していて所々滑るから注意が必要だった。少し街の中心からは離れた場所だったが、大通りに出ると交通量の多さに驚く。そして運転も荒い。交差点内でUターンするのには驚いた。吸い込む空気は排気ガスのせいか、あまり良いとは感じられなかった。しかし仕事に急ぐ人や年末の晩餐のための買い出しに向かう人たちがバスに乗り込んだり、速足で歩いている。久しぶりの海外の風景は、僕がこれまでに訪れたヨーロッパやアメリカで見た風景とも違い、アジアではあるが、どこか旧ソ連の名残を思わせる建物の作りや道路だったりした。もちろんロシア語やカザフ語の標識や看板もそう思わせる大きな要素だった。ロシアとカザフスタンの関係は後に書き記してみたい。
 中央アジアに来たのなら、バザールに行ってみようと思う。行く道の途中朝ご飯を取るためにカフェに入った。サーモンとクリームチーズ、ズッキーニがサンドされたクロワッサンとコーヒーを注文した。この地で初めて口にするものは、日本でも慣れ親しんだものだった。英語があまり通じないので、注文にもいきなりつまずいたが、聞きかじったロシア語で伝えてみた。朝食を食べながらヘミングウェイの短編集を読む。認識できる言葉と、そうでないものの世界の狭間について考えながら、人間の文化や生活の違いを感じていた。カフェを出てまず向かったのは外貨交換所である。日本ではカザフスタンの現地通貨、テンゲに両替することが出来ず、まずは日本で円からドルやユーロ、元に変えておいてから、現地の外貨交換所で現地通貨に交換する必要があった。1円が約3.5テンゲ程。これまで訪れたヨーロッパやアメリカは日本でほとんど通貨を交換していき、現地で両替するという経験があまりなかった。両替所では必ずパスポートの提示を求められた。

 兼ねてから、中央アジアのバザールにはいってみたいと思っていた。繁華街のブランド物が入るショッピングモールよりも、豪華なレストランよりも、なによりも魅力を感じるのは、その土地の人たちが何をみて、何をたべているかが一番の興味の対象だった。宿からバザールまではあるいて20分程度だ。

 バザールだろうというところに到着すると、寒い中野外に露店を出している人たちもいる。人ごみをかき分けて奥へ入っていくと驚くほど広い場所にそこかしこで食材が売られている。色とりどりの見たこともないフルーツや野菜、ドライフルーツ、ハーブ、スパイスまでとにかく豊富である。精肉コーナーには、通路の上になんの肉かがイラストとともに書かれており、鶏、豚、牛、羊など、その部位の種類の多さと肉の塊の数に圧倒された。羊のあたま。その半分開いた口と、一瞬なんの動物かはわからない奇妙さに、好奇心と同時に衝撃を覚えた。おそらく、牛の足であろう大きさの肉の塊を担いで歩いている男もいる。そうした現地の人たちの様子を見ていると、その昔、12世紀ごろ大モンゴル帝国、チンギス・ハーンやフビライ・ハーンがユーラシア大陸を席巻し支配したその強さ、とでもいうような人間のエネルギーを感じた。

 バザールには食料品だけではなく、洗剤や薬、衣服などの日用品を販売する店もある。中には文房具やキッチン用品店もあり、ここに行けば生活するうえで最低限必要なものはそろえることができるのだ。それほどに現地の人たちの生活の中心であることは、この場所の活気から容易に判断することができた。アジア系の人の顔、ロシア系の人の顔、アラブ系、いろんな人が集まっていて、文化と人が交じり合う多様さだった。すっかりバザールの虜になった。帰り道、どこからかのモスクから聞こえてくるコーランに耳を傾けていた。晴れた空と、キンと冷える空気、車のエンジンや人の声、都会の街中で空に舞っていくコーランは本当に美しく、天に登る声だった。

 その夜は、どこかで外食をしようと思い宿から歩いて15分ほどのレストランを見つけた。繁華街から少し離れたら、夜道は暗い。暗い道のなかで光る店の看板を目標に歩く。夜はやはり冷え込んできた。レストランに入り、カザフスタン料理のラムチョップ(羊肉)をいただくことにした。あの昼間に見た羊の頭のことを考えながら。

 一緒にチャイを注文した。日本で「チャイ」というとナツメグやクローブ、シナモンが入ったあのスパイシーなミルクティー。中央アジアで「チャイ」は紅茶のことだった。沢木耕太郎さんの『深夜特急第4巻シルクロード』で何度も「チャイ」が出てくるが、おそらくこの紅茶のことだったのだと理解した。大きなポットに入った暖かいチャイを小さな透明のカップに入れて何杯も飲む。きっと家族や友人とおしゃべりしながたゆっくり飲んだり、ひとり物思いにふけながら明日の心配事や昨日の友との話を思い出したりしながら飲むのだと、考えていた。

 会計を済ませて店を出るとき、「スパシーバ(ありがとう)」と言うと、お店の人が「パジャールスタ(どういたしまして)」と答える。これは当然の真理だ。生きていたものを絞めて、捌いて、料理をして、提供してくれて、それを食す。全てに対する自然な言葉だった。バザールで「羊の頭」を見ておいて良かった。日本にいたら「ありがとう」はお店の人が言うものだったが、本来「ありがとう」は食べたこちら側が言うべき言葉なんだと、しみじみ思う。

 夜、宿にいると、モスクワ出身だという2人のロシア人に声を掛けられる。どうやら2人は兄弟らしい。たわいもない旅行者同士の話をしていると、弟の方が毎日アルマトイの山に行っているから明日一緒に行かないかと聞いてきた。とてもいい場所らしく、毎日言っているそうだ。朝4時に起きていくからどうか、と聞かれ僕は「もし起きれたら行くよ」と若干曖昧な返事をした。良かったら起こすから、とまで言う。「わかった」と答えて明日は山に行くつもりにして、早めにベッドに潜り込んだ。

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