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パレスチナ・イスラエル音楽文化研究会Vol.1レポート -音楽と社会の関係をイスラエルジャズから垣間見る-


はじめに/この会の趣旨

ガザで起きている虐殺に対して何かできることはないか、と考えてきました。もちろん寄付をしたり、デモに行ったり、SNSで停戦を呼びかけるなどいろんな方法はあります。今年の4月から近大通り(近鉄長瀬駅)で運営している古本屋兼レコード屋である<とか>にレコードを卸してくれている杉本市大さんが「一緒にやろう」と声かけてくれたこともあり、小さいながらもアクションを起こすことにしました。私たち二人は、できるだけ“カジュアル”なアプローチでできる小さな社会運動について考えました。以下、6月28日(金)に実施した際に、参加者(ミュージシャン、学生、会社員、NPO職員など8名と関係者3名/合計11名)に配布した資料より転載します。

『パレスチナ・イスラエル 音楽文化研究会』について

この会の出発点は「現在のガザの惨状に対して我々に何かできることはないか」というものでした。そして、可能ならば、我々ならではの/ 我々にしかできないことをしたい、と考えたのです。

そこで、人文社会科学系学問および音楽を中心とする文化と関わりまた愛好する者として、パレスチナ地域に住む人々や社会(パレスチナ・イスラエルともに)について「知る」ことで対立解消への糸口を探っていく、というアプローチの仕方に思い至りました。

ところで、いわゆる「政治運動」なるものはどこか生真面目過ぎて堅苦しいという印象が拭いきれません。サウンドデモのような「ポップ」な色合いのものも一部で存在するけれども、敷居が低いとまでは言えないでしょう。もっとカジュアルでできれば単純に楽しめる政治運動をつくりだせないか、との思いを我々は以前より抱いてきました。

そこで、新たな政治運動のありかたを模索する上で、パレスチナの問題をあえて「利用」できないかと考えました。つまりここでのそれは、パレスチナ・イスラエルの人々や社会について既存のスタイルとは違ったかたち(「できるだけ楽しみながら」)で学び、そのうえで紛争に対して何らかの具体的な貢献の道を見つけ出す、というものです。

もちろん、そんな都合の良いことが簡単にできるとは思っておりません。加えて、今回のガザで起きている事態を軽く捉えているというわけでも決してありません。しかし、このような試行錯誤の中に新たな政治運動の展開へのヒントを見出すことは、今回の事態に対する「当事者性」の獲得の回路の一助になり得るのではないかという期待があるのです。

以上のように、文化的なアプローチから「まずは知ること」と「運動のあり方を見出すこと」という2つの目的を融合させた実験的試みが今回の研究会になります。参加される皆さんとともに暗中模索そのものを楽しみながら、次のステップの足掛かりを見つけていきたいと思っております。

今回のシリーズは全2回とし、初回はジャズ音楽、特にイスラエルのジャズシーンにスポットを当ててその魅力を知るとともに、音楽文化の見地から「社会」というものについて理解を深めていくことを目的としています。

2回目(次回は7/26金)はパレスチナ地域全体の音楽を中心とする文化を知り、次いでそこでの政治・統治のあり方を学んだ上で、我々がそして日本社会が当地での紛争にどう関われるのかを議論したいと考えています。

当日配布資料より


ジャズ通史からイスラエルジャズへ

さて、流れはこんな感じでした。
ー イスラエルジャズの特性を知るには、そもそもジャズの通史を最低限知っておく必要ある ー。ということで、杉本さんによるジャズ通史レクチャーを前半に。デキシーランドジャズからスウィングジャズ、ビバップからハードバップ、クールジャズ、そしてフリージャズ、フュージョンからクラブジャズまでをLP音源を聴きながら紹介していきます。時折、ミュージシャンの「政治性」(ex スィングジャズの巨匠 ベニーグッドマンが黒人ミュージシャンを積極的に雇った最初の人物とされていることなど)にも触れつつ。

その後、イスラエルジャズについて以下のミュージシャンの紹介をしていきました。まずはOmer Avital / オメル・アヴィタルというベーシストの紹介から。音楽性で言えばハードバップの延長線上でよりファンキーな感じですかね。哀愁漂うメロディもまた特徴的。彼はイスラエルジャズ・ブームの先駆者のひとりであり、90年代にニューヨークでイスラエルジャズが流行り出した頃にシーンのど真ん中にいた大ベテランとされています。(参考:NYで“イスラエル・ジャズ”をつくった男、オメル・アヴィタル新譜

(ベーシスト Omer Avital / オメル・アヴィタル)

ちなみに、そもそも「イスラエルジャズ」の定義ってなんでしょうね?という話になり、基本的には「イスラエル人(イスラエル国籍を持つ人※1)がやっているジャズ」という話になっていますが、でもイスラエル本国在住のミュージシャンばかりでなく、その多くはアメリカ(とりわけニューヨーク)に住んで活動している人が多いとのこと。

続いては、ソプラノサックス奏者のDaniel Zamir / ダニエル・ザミール。イスラエルジャズというジャンルの特性を最も表しているミュージシャンの一人で、黒ずくめの衣服にキッパと言われる帽子(ユダヤ教徒が被る帽子でイスラエルの文化と信仰の象徴とされている)、豊かなあごひげにクルクル巻きの長いもみあげなど、かなり正統派のユダヤ教徒であることがわかります。イスラエルジャズにもいろいろなミュージシャンがいますが、彼ほど明確に自らの民族的・宗教的スタンスを打ち出しているミュージシャンは、動画や画像などを調べたところあまり見当たりませんでした。音楽もオメル・アヴィタルよりもより哀愁色が強いというか、ユダヤ的な音楽性を強く意識されているだろうと思います。

(ソプラノサックス奏者 Daniel Zamir / ダニエル・ザミール)

ちなみに、彼は歌も歌うのですが、イスラエルの公用語のひとつであるヘブライ語で歌っています。

ちなみに誤解を避けるようにお伝えしますが、だからといって「10月7日」以降の戦争に対する政治的なスタンスがどんなものかはわからないですし、直接的な発言も特に見ていません。先回りして言えば、イスラエルジャズミュージシャンかれら一人ひとりの政治的スタンスを問うことが研究会の趣旨ではなく、あくまでイスラエルジャズ(という音楽文化)をひとつの手がかりにしながら、音楽と社会の関係性を垣間見る機会とし、私たちなりのガザで起きている悲惨な状況に対する運動のあり方を見出すための勉強、ということです。

(Daniel Zamir氏は歌も歌う)

イスラエルジャズを紹介する記事などでよく使われるのが「中(近)東風の」といった表現です。たとえば先ほどのオメル・アヴィタルの音楽性を紹介する際も「中近東のエキゾチックな雰囲気」(参考:「活況極めるイスラエルジャズ 最初に聴くべきおすすめ名盤10選」)といった表現や、「中東地域の伝統音楽の要素を融合して」(参考:「定着するイスラエル・ジャズ」)といった紹介のされ方をします。もちろんイスラエルという国が地理的に中東地域に位置するので、こう表現されるのはまったくもって自然なことなのでしょう。つまり、イスラエルジャズのなかには、(敢えて大雑把な言い方をしますが)アラブ人の音楽(≒パレスチナ人による音楽)の要素が多分に含まれているということになります。

イスラエル大使館 文化部・科学技術部のサイトによれば、イスラエルジャズの特徴として、以下の5つが挙げれています。

1. 中東音楽の影響
2. 伝統的なユダヤ音楽の影響(東ヨーロッパなど)
3. オリジナル楽曲が多い
4. 世代が若い
5. インプロが得意
6. NYに太いパイプがある

ここで注目したいのは1と2の項目ですが、もちろん注釈※1でも書いたように、そもそもこの土地は大変複雑な歴史があるため、方やパレスチナ(人)の〇〇性、方やイスラエル人の〇〇性といったように単純化して切り分けて考えること自体が難しいことは繰り返し書かないといけない。ポイントは、イスラエルジャズはユダヤ(人)という背景だけでは到底語れないような多様な音楽性と歴史性(その歴史から必然的に生まれる政治性)を孕んだ音楽だと言うことです(※2)。

やや余談(余談なのかどうかも判断が難しいですが)になりますが、「ユダヤ風」(Jewish / ジューイッシュ)といった表現もあり、話は実験的な音楽に取り組んでいる人なら一度は聴いたことがあるだろうJohn Zorn / ジョン・ゾーン(ユダヤ系の血をひいたアメリカのアルトサックス奏者・コンポーザー)の活動にまで及びました。彼は、自身のレーベルであるTzadikより「Great Jewish Music」(ユダヤ人の有名な音楽家のカバー集/セルジュ・ゲンスブールやバート・バカラックなど)というシリーズまでリリースしています。

お次は、イスラエルジャズ最大のスターと言っても過言ではない、ベーシスト Avishai Cohen / アヴィシャイ・コーエンです。日本でも度々ライブをしていることもあり、イスラエルジャズを最初に知るきっかけになる人物。このトリオでドラマーとして参加している24歳の新生ドラマー Roni Kaspi / ロニ・カスピ のプレイも話題に。

(ベーシスト Avishai CohenのトリオによるBlue Note Tokyoでの2024年の公演)

次は、Avishai Cohenトリオのメンバーとしても活躍したピアニスト Shai Maestro / シャイ・マエストロ。

(Shai Maestro / シャイ・マエストロ トリオの演奏)

最後に紹介するのは、Avishai Cohenトリオのドラマーとして脚光を浴びたRoni Kaspi / ロニ・カスピ。実は彼女はジャズドラマーとしての活動にとどまらず、シンガーソングライター(しかもドラムを叩きながらのボーカル担当)として、ジャンルを軽々飛び越える幅広い楽曲をリリースしています。2000年生まれのロニは、音楽通の両親の教育もあり幼い頃からアヴィシャイ・コーエンの音楽に触れて、7歳でドラムを始めたそう。Musica-Terraの記事によれば、彼女はバークリー在学中の2020年9月からアヴィシャイ・コーエン、エルチン・シリノフとのツアーに参加するようになり、また、ドラマーとしての活動にとどまらないソングライティングもスタートさせました。音楽的にはジャズ、フュージョン、R&B、プログレッシブロック、エレクトロ、フューチャーソウルなどが混ざり合ったもので、アメリカのサンダーキャットやオーストラリアのハイエイタス・カイヨーテなどにも通じる音楽性があります。

ちなみに彼女が若い世代(Z世代)ということもあり(研究会では、ビリー・アイリッシュや、少し上世代だがテイラー・スウェフトの政治的スタンスなどと比べるという意味で)、SNSなどを通じて10月7日以降のパレスチナの状況に対して何か政治的な発言をしていないか調べてみましたが、見つけることはできませんでした。

(Roni Kaspi / ロニ・カスピのソロ楽曲 - S Song)

(Roni Kaspi / Why Doesではドラムを叩きながら歌う様子が観られる)


ここから、“音楽×社会(政治)”を語ってみる。

今回の研究会では、冒頭に引用した趣旨文からもおわかりのように、ガザで起きている状況をいきなり「政治」という入り口から入るのではなく、あえて「音楽」をがっつり聴くという入り口から入っていこうとしています。

一方で、音楽にはイデオロギー(政治信条)を楽曲の「歌詞の内容」で表すことや、メディアやSNSで「発言」して表すことに限らず、“それら以外の方法”で音楽活動が明確に地域社会におけるアクティビティになり得るという経験を、研究会主催の一人でありこのレポートを書いているアサダ自身はしてきています。この会ではそのアサダの考え方のイントロダクションとして、福島県いわき市の復興公営団地「下神白(しもかじろ)団地」に暮らす住民たち(そのほとんどが2011年3月12日の福島第一原発事故のために故郷を追われた方々)と音楽を通じたコミュニティづくり・復興支援に携わった経験を紹介しました。そのプロジェクトは「ラジオ下神白」というアートプロジェクトで、アサダにとっては明確に「政治的な音楽活動」としてやってきたものです。住民同士は「被災者」という属性のもとではときに分断されることがあります。どの町で被災したかで行政サービス、東電の補償が違う。あるいは、津波で被災したか、原発で被災したかで、被災者同士で時に敬遠しあう。現場では、そういった様子も目の当たりにしてきました。「音楽は分断を超えられる」「みんなで歌を歌えば乗り越えられる」・・・なんてそんなロマンを掲げているわけでは決してありません。「音楽は世界共通」といった言説もよく聞かれますが、アサダはまったくそう思ってませんし、むしろその考えは暴力的だとすら思います。超えるのではなく、そもそも音楽をはじめとした文化実践は「個人」に光を当てるということに着目します。「被災者」であったり「〇〇町出身者」であったり、「東電の人」であったりする以前に、そもそも「〇◇〇◇さん」といった具体的な固有名を持つかけがえのない一人であるということに立ち戻らせる力。それは音楽のやりようによっては強調できる、とアサダは思っています。カテゴライズに加担するための活動ではなく、ましてやイデオロギーとしての政治性や党派性のことではなく、音楽で人々の具体的な「生」に関わり、生き延びるための道を探り合うという「生活≒政治」という考えで活動を続けることの意義をアサダ自身が知りたいと常々思っています。そしてこの話は、確実にガザと通じているとも思っています。ちなみに、本プロジェクトは、映像作家の小森はるかさんによって同名のタイトルで映画化され、全国で上映中です。

映画「ラジオ下神白」チラシデータより

(映画『ラジオ下神白 ―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』予告編)

このような経験をしてきた立場から、この研究会において「音楽×社会(政治)活動のバリエーションが、まだまだ発明されていないのではないか?」という問題提起をしました。音楽が政治に関わる、そのアプローチ自体を多様に発明することは、極めてクリエイティブな行為だと、この研究会をするうえで考えてきました。それをガザで起きている状況をひとつの契機として、小さいながらも密度のある集いの場で語り合いたいと思い、まずは初回をやってみたわけです。

この問題提起の裏には、「政治的なスタンス」というついつい二項対立(お前はどっち派だ!?)に陥ってしまう状況とは“異なる回路”を持つ政治的音楽活動の可能性を探りたいということです。会主催者であるアサダー杉本は共に、基本的にはリベラル左派寄りな考えを持っており、ガザで起きていることに関しては明確に親パレスチナであると言えます。しかし、だからといってそもそも、一人の人間の立場・アイデンティティとは、その土地の歴史や民族性、宗教性などが複雑に絡み合った極めて重層的なものであることは言うまでもありません。だからこそ、「社会」という大きな括りで考えたときにすぐさまカテゴライズ化されてしまう中で、その網目からこぼれ落ちる景色こそを拾い上げるための想像力を「音楽」を通じて養いたい。そういう思いがありました。

ミュージシャンが“語る”こと ー10月7日をめぐってー

この話の延長線上で、とても大切だと思えるインタビュー記事を紹介します。研究会当日もみなでこの記事を読みながら語り合いました。こちらです。

このnoteは、イスラエルジャズのファンとしてそのシーンの魅力を紹介されているよこひこ(樋口義彦・陽子)ご夫婦によるものです。大変興味深いのはイスラエルジャズミュージシャンと関係性を築き、とても丁寧なインタビューを実践されていることです。そのなかで、先ほどリンクを貼ったのはドラマーであるダニエル・ドールのインタビューで、「10月7日」について直接的な質問を投げかけけていることです。(インタビューは戦争開始から1ヶ月半後とのこと)以下、その箇所を引用します。

ーー10月7日はどこにいた?

ギバタイム(テルアビブの隣町)のアパート。最初のミサイルのサイレンは、よくわからなかった。朝早くて寝ぼけていたし。その後何度も鳴ったのでサイレンだと気づいた。

その頃はニタイ(ピアニストのニタイ・ハーシュコビッチ)と始めたプロジェクトのため、毎日ふたりで会っていた。曲を作って、録音して、食事をして、ピアノに腰掛けて話をするという日々を繰り返していた。ニタイはクラシックの話、自分は自分の取り組んでいる話をよくしていた。その最中に10月7日の惨事が起こった。記憶が正しければ、その日だけはニタイと会わなかった。

ーーその後に会ったときは何を話した?

ふたりともショックを受けていて、事態がどうなっているかはよくわからなかったけど、前代未聞のことが起こっているということだけは明白だった。ニタイと会って、僕らにとって何より大切なことは、このプロジェクトを続けることだと最初に確認し合った。

ーー大変だった?

録音の途中でサイレンが急になって、その度に避難して、そしてまた録音に戻るということを続けていた。
思い出すのは、隣人がどのような気持ちでいるのか、音を出していいものなのかが分からなくて、音の漏れないスタジオでこっそりやっていたこと。
でも、音楽をやっていることは安らぎだった。自分たちにとって演奏しないということは、風邪なのに薬を飲まないようなもの。だから、この嵐によって音楽を奪われないように守ることが大事だった。

https://note.com/yokohiko/n/n4442179d9666

これはとてもとても貴重なインタビューだと思いました。「政治的スタンス」には触れずとも、明確に「戸惑い」を表明するというだけでもとても大切なことだと思いましたし(インタビューを受ける側だけでなく、インタビュアーにもリスクのある質問だと思います)、この状況のなかで音楽を続けることへの逡巡と切実さを、日本にいる私たちが受け取れたことは大きなことだなと。そもそも、多くのマスメディアが、アメリカを含む親イスラエル寄りな報道へと偏っている中(日本のマスメディアも明確にアメリカを否定はできないため)、イスラエルのなかの「個人の声」(イスラエル人のなかにも一枚岩ではない多様な意見や感覚があること)が浮かび上がること自体が極めて少ないと思うのです。

その後、話は岡真里さんの著書『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』を参考(具体定には本書の「パレスチナ問題 関連年表」とガザ地区とパレスチナ全図の地図資料)にしながら、シオニズムという思想の基本的な確認、またコロンビア大学をはじめ、全米各地の大学で起きているデモなど「社会運動」の現状についても確認しました(この研究会が行われている会場<とか>は、近畿大学へと通じる「近大通り」にあること、主催者であるアサダ自身が大学教員であること、参加者に学生も数名いることを自覚したうえで)。

参考文献とした岡真里『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)

最後に、参加者何名からか意見をもらしました。その一部(とりわけ学生の)を紹介します(意見は要約してます)。

音楽などさまざまなポップカルチャーを追っていく中で、どうやら今の音楽っていうのはかつての歴史と地続きにあることがわかり、その歴史と政治はすごく密接につながっていて、じゃあどうやら文化というものも政治と遠い距離にあるように見えて実は表裏一体なのかなとぼんやり思ってきたなかで、最近は「文脈として文化を楽しむ」ということをやろうと試みてる途中。文化と政治を同じ文脈で考えるのは正直難しいなって思ってるが、まずは純粋に音楽聴いていて「これかっこいい!」ってのを味わってから、自分のペースで試行錯誤したい。(大学生Aさん)

ミュージシャンによる政治的な発言とか、音楽から政治を考えるってことをどうやって(自分の音楽活動などと)結びつけて考えるのかってことは自分もよくわらないなって思っていたし、自分がこういう問題(パレスチ・イスラエル問題)に対してもすごく遠いとか政治に対しても大きなものすぎて自分一人の力では変えられないって壁を感じる部分があるけど、少しずつ自分のなかで考え続けることで、その世界にアクセスする術を考える一歩になるのかなって。(ミュージシャン・団体職員Bさん)

自分もバンドをやっていて、幅広い音楽を聴いていくなかでジャズっていうジャンルに絞って聴くこともなかったので、内側からじっくり紐解いていけてまずすごく楽しかったというのが率直な感想。その上で、音楽も好きだけど国内の政治には興味はあってマヒトゥ・ザ・ピーポーだったりあまり人が触れないことにがっつり触れていくという態度や行動は興味深いと思ってきたし、自分も言っていけたらいいなぁと思った。でも若いからこそ知識がないって思われるのも怖くて………(大学生Cさん)

イスラエルジャズの文脈はわかりやすく、メロディの感触とかも含めて好きなジャンルだと思っていっぱい聴いてみたい。ロニ・カスピがカッコ良すぎた。政治については自分は疎くて、疎いけど、GEZANや踊ってばかりの国とかも好きで。自分も二十歳を超えた大人ではあるけど、政治は「大人の世界の出来事」というか、それについて何か発言するってことが、「(政治や社会問題を)めっちゃ知ってないと、(そういうメッセージ性のある)曲を書いてはいけない」っていう気持ちがあって。それともちょっとでも感じたことをロックンロールの精神やパンクの精神だと言って発言して賛否両論あるのも恐れずにやるのがいいのか………(大学生Dさん)

とてもとても正直な意見が聞けたことは良かったと思いました。特に最後にまとめるということもなく、当初の2時間の予定を30分超えて閉会しました。参加者のみなさんにはこの場を借りてお礼を申し上げつつ、コーヒーを提供してくれたモリトラコーヒーさんもありがとうございました。


次回予告

次回は7月26日(金)19時ー21時に、「パレスチナ音楽からガザを知り、できることを考える(仮称)」というテーマで、前回同様、<とか>でやります。詳細は追って<とか>のInstagramで出しますので、ご興味ある方はご参加ください。


※1  「イスラエル人」とは、イスラエルのパスポートを持っている人のことを一般に言うようですが、一般的にはイスラエルに居住するユダヤ人のことでありつつ、もちろん、そのなかにはイスラエルの国籍を持つパレスチナ人(アラブ人)も含まれることに留意が必要。また、「パレスチナ人」とは、パレスチナに居住している、あるいはしていた人たちを意味し、一般的にはパレスチナに居住するアラブ人とみなされるが、土地に根ざしたという点においてパレスチナに居住するユダヤ人も当てはまるという見方もあるそうです。このような複雑な状況をある程度シンプルに捉えるように勉強会では“便宜上このように話す”というスタンスを取りましたが、もちろん複雑な状況を複雑なまま捉えるというスタンスがとても重要なことは言うまでもありません。参考:トイビト/ユダヤ人アラブ人パレスチナ人イスラエル人

※2 イスラエル(ジャズ)における音楽文化の交雑性・重層性をソ連(ロシア、ウクライナ他)との関係において紹介している記事も参考までに記しておきます。とても読み応えのある内容です。参考:イスラエル・ジャズ界と旧ソ連/ロシアとの関係に関する素描


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