障害と表現のこと ーまなざしラジオー

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■はじめに

出自が音楽、かつ物書きとして言葉を扱ってきた立場から、「ラジオ」という表現形式に大きな可能性を感じてきた。これまで、復興現場や福祉現場などで、ともすれば孤立しやすいご高齢の方や、「普通」と言われる生活を送ることが難しいとされる知的障害のある方、またその支援に携わる方などと協働しながら、「ラジオ」をモチーフにした集いの場を立ち上げてきた。ラジオといっても届かせ方、届く範囲は様々で、時に広い範囲で電波に乗せ、時に施設や住宅内限定で放送し、時に展覧会場で放送し、時にインターネットでも配信してきた。

今回から数回にわたってこのnoteでは、僕が関わってきた全国各地の「ラジオプロジェクト」の紹介を通じて、時に被災当事者、時に障害当事者など、多様な背景を持つ人たちのかけがえのない「生き様」に触れてもらいたい。音声アーカイブ(mp3)も、またプロジェクトのドキュメントブック(PDF)もしっかり公開されているので、ぜひ聴いて、ぜひ読んで、知ってほしい。

緊急事態宣言下で気持ちが沈んだり、大切な人と会えない時間を過ごしてきたなかで、自分がこれまでやってきた「仕事」の蓄積を見つめ直す機会を経て、まだ全然こういった共闘してきた人たちの「声」が世間に「1mmも届いていない!」と痛感した。新しいことを始める前に、過去に埋もれてゆくアーカイブをしっかり届ける必要性を強く感じる。おそらくいま、「あまり動けない」という経験をしている人たちの多くが、「やってきたことをこそを改めて発信しなおす」という可能性をもっと試していくだろう。それをnoteを通じて、個人的にもやっていこうと思う。まず今回は、2020年1月に東京芸術劇場にてディレクションしたラジオスタイルの展覧会「まなざしラジオ!! in 芸劇」について、ドキュメントブックに掲載された写真(撮影:たかはしじゅんいち氏)も交えながら紹介する。

平成から令和に時代が変わった2019年度、かねてより障害のある人の表現活動を国内外で発信し続けてきた社会福祉法人愛成会(東京都中野)が運営する東京アール・ブリュットサ ポートセンターRights(ライツ)は、厚生労働省障害者芸術文化活動普及支援事業において南関東・甲信ブロックの広域センターとして活動してきた。本事業3年目となる2019年度は、アサダがディレクターとして着任し、これまでの事業で大切にしてきた「日常のなかに存在する、形にとどまることに限らない表現」を見つけ出す支援者やご家族にも光を当てて、「まなざし」をキーワードに活動した。

南関東・甲信ブロックは、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、長野 県の1都5県からなり、東京芸術劇場で行った企画で取り上げる表現者のリサーチには、まずこのブロック内 でどのような表現が存在するのかを知る必要があった。支援センターと都県の事業担当者からご紹介いただいた表現とそれを生み出す障害のある方が展示へと結びつく「まなざしラジオ!! in 芸劇」は、表現者のリサーチや準備 において、そして企画そのものにおいても多くの方にご協力をいただいたおかげで実現した。

まなざしラジオ概要

改めて、これらの活動の全容はまず以下のドキュメントブックのウェブ公開版(PDF)をご覧いただきたい。

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厚生労働省 令和元年度 障害者芸術文化活動普及支援活動 南関東・甲信ブロック 広域センター 東京アール・ブリュットサポートセンターRights 報告書
『まなざしラジオ!!』
https://rights-tokyo.com/wordpress/wp-content/uploads/2020/04/efaf3dbe79216f621dc112cc51983de6-2.pdf
編集:米津いつか デザイン:依田正樹
制作・発行:社会福祉法人愛成会
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■「まなざし」というコンセプト

さて、「まなざしラジオ!! in 芸劇」は、2020年1月11日から1月15日まで、東京芸術劇場ギャラリー2をメインスタジオに、障害のある人たち一人ひとりの日常からうまれる「表現」を、支援スタッフや作者のインタビューとともにお届けする「展覧会」であり「ラジオ番組」だ。十数年、障害のある人たちと共に表現活動をする機会や、その表現を言葉にする機会をいただいてきたアサダは、今回、東京アール・ブリュットサポートセンターRightsのディレクターに着任するに際して、埼玉、東京、山梨、長野で暮らす6組の障害のある作者のリサーチを行なった。また、神奈川で活動する1組のグループ「カプカプーズ」とのコラボレーションの機会を検討した。彼ら彼女らが持っている日常に対する独創的な視点。その視点は、本人のなかにとどまるだけではもったいない程に、この世界の出来事をまったく新しい価値観で捉え直す「まなざし」がある。しかし、それらのまなざしとセットで繰り広げる行為が、時として問題行動とされるものも含めて「個性」としても認められる状況が生まれるためには、普段寄り添っているご家族や支援スタッフの「まなざし」こそが必要であることに気づいたのだ。

この「まなざし」という考え方は、表現を取り上げることよりも、障害のある人とその支援者の「関係性」をどう「表現」するか、という問いを生む。そのひとつの答えとして、今回は、 写真家のたかはしじゅんいち氏によるリサーチ現場の記録写真を通じて、作者の表現(形を伴う作品)から、それらが生み出されるために営まれる、より日常的な行為へと焦点をあわせた。さらに、その行為を温かく見守り、時にそれとなく手を差し伸べながら自身も変化を遂げていく支援者のまなざしも。たかはし氏には、この点から線、線から面へとなり、やがて関係性として立ち現れる現象を撮影いただいた。そして、もうひとつの答えとして、「声」を扱った。それは作者自身が語る声でもあり、また、支援者が語る声だ。

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■「声」という力 「ラジオ」という表現方法

作者や支援者が語るまなざしは、テキストとして公開し、会場で配布することも可能だ。 しかし、今回、肉声にこだわったのには明確に理由がある。とりわけ支援者においては、作者の「表現」に出会ったときの感動や戸惑い、戸惑いを受容するプロセスなどを、テキストという「意味(内容)」を超えて、「感情」や「空気感」も含めて伝えて欲しかったのである。もしかしたら、そもそも言葉のみに還元できない(あるいは作者にとってはそもそも言葉を主なコミュニケーション手段として使わない)「表現」にあえて「言葉」を与える際の態度として、「声」という身体性を添えることは、「カタチを伴うことを前提にしない表現」を紹介する場づくりにおける一つの答えになりえるのではないか、そう考えたのだ。(行為の痕跡としての) 作品の展示とともに、それらが生まれる関係性を捉えたたかはし氏の記録写真が眼前にある空間において、観覧者の「耳」に訴えることで、そもそも視覚優位の「展覧会」という形式に対する別の回答を導き出したかったという理由もある。この「まなざし」というコンセプトと、 それを表すための「ラジオ」という表現方法。それらを総合的に空間として立ち上げてくれるパートナーとして、今回は、福祉事業所の設計・リノベーションなどで知られる建築家の牧野宏一氏に参画いただいた。作者一人ひとりの展示空間を「ラジオスタジオ」という体裁で設計してくれた牧野氏の尽力は大きく、また、そのスタジオの施工においては牧野氏コーディネ ートのもとで 、神奈川県横 浜市 にて丁寧な家具づくりに取り組む地域活動支援セ ンターHIKARIさんにご協力いただけたことも、「まなざしラジオ!! in 芸劇」という場づくりのプロセスにおいて、非常に重要なことだったと思う。

これら展示会場で放送したラジオはすべてmp3にして公開をしているので、ぜひ以下のアーカイブで聴いてほしい。

・AIKAさん(長野県上田市・特定非営利活動法人リベルテ)のラジオ
 https://rights-tokyo.com/aikaradio/
・勝山直斗さんのラジオ(埼玉県さいたま市 久美学園)
 https://rights-tokyo.com/katsuyamaradio/
・ぎんがさんのラジオ(東京都小平市・ 生活介護事業所 ひまわりばたけ)
 https://rights-tokyo.com/gingaradio/
・関根悠一郎さんのラジオ(山梨県)
 https://rights-tokyo.com/sekineradio/
・西野克さんのラジオ(埼玉県川口市 社会福祉法人みぬま福祉会 工房集 川口太陽の家)
 https://rights-tokyo.com/nishinoradio/
・森田博康さんのラジオ(長野県佐久市 緑の牧場学園)】
 https://rights-tokyo.com/moritaradio/

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■「表現」とは、「生活」とは何かを問うために

改めて確認するが、そもそも「表現」という言葉は、思いや考えを「表(おもて)」に「現す」と書く。「まなざしラジオ!! in 芸劇」は、その「表現」がたった一人のものから、身近にいる誰かとの関係によって、より一層「表」へ、そしてそれがさらなる別の誰かによって「社会」という得体の知れない三人称の「表」へと放たれる、そのプロセスを記録し発信したものだ。しかし一方で、これまで「表現」という言葉が持つ狭義の意味・イメージだけではどうにも現すことができなかった 、つ まり「 裏(うら)」と見做されているものをまさに裏返すその先に、「表現」の担い手である一人ひとりの「その人自身」に出会ってもらうということ を考えた。

「表」と先に言ってしまったので敢えて「裏」という言い方をしたが、しかし、それは本来 「裏」ではなく、「表」と思われている面にのみこれまで光があたりがちだった際に「影」になってしまっていた大切なその人の尊厳そのものなのだ。その人の日常を、パチパチと影送りをするかのような、ある意味では回りくどいプロセスを経て、はじめて「その人の輪郭をはっきりと知る」ことにようやく一歩近づけるのではないか。つまり目の前のその人が仮に「障害者」 だとしたら、そのことを踏まえた出会い方が時としてその人の持つ輪郭をぼやかしてしまうことがあり得るという実感に基づき、その人が生み出す「表現のような何か」の「影」を辿ってこそ、「その人と正しい出会い方をする」ことになる。いや、なるとは言い切れないが、少なくとも、「そういう出会い方もあり得るのだ」と思えるようになるのではなかろうか。そう、それが 「まなざし」を獲得するということであり、筆者が取材をした支援スタッフ、家族の方々は少なからずその「まなざし」を内化している人たちである。そして、それを再び外化し、多くの人と分かち合うためにこの企画に取り組んだ。

「表現」の手前に、あるいは一体的に、その人の「生活」というものがある。この「生活」 という言葉は、「生きるという活動」なのだと、実感する。もう少し言うならば「たった一人の自分にとって、より善く生きる、という活動」ということか。これは自分勝手ということではない。しかし、その人にとっての「より善く生きる」が場合によっては誰かを傷つけることも、やはりあるかもしれない。それは「問題(行動)」ではないか、と福祉現場から声があがることはしばしばある。そこで、もう一歩深く踏み込んで立ち止まってみるのだ。もし「それ」を「問題 (行動)」だと言うのであれば、形は違うかもしれないが、「私」だって誰かを傷つけているのではないか、あるいは「私」だって周囲を困らせているのではないか、と。そう、この「当事者性」は実は広いのだ。そしてこのことを考えることは、「より善く生きる」の「善」を根っこから掘り下げることにもなる。これはけっこう過酷な作業だ。意識しないとすぐに隠されてしまう。しかし、そこを隠さずに生き切る人たちだっている。自分の感性に従って生きざるを得ないことと、生きてゆきたいと希求することとの違いを見定めるのは難しいが、いずれにせよ生き切る人たちは存在する。「まなざしラジオ!! in 芸劇」はつまるところ、「生活」を扱う。アートであるかどうか、 それよりも大切なことがあるはずだから。

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■おわりに
先ほど紹介したラジオアーカイブでは音声を直接聴けることはもちろんのこと、ドキュメントブックにおいても、できるかぎり全文掲載することを心がけた。なぜなら、作者やその家族、支援スタッフの「声」が持つ表情やニュアンスを、少しでも感じても らえることが、報告書という媒体においても大切だと感じたからだ。ぜひこのnoteをお読みの皆さんと、このプロジェクトが伝えたいと願った「まなざし」を分かち合えることを、心から期待しています。


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