徒然雨~1~
アカウントを作ってから随分と時間が経ってしまった。多忙だと書く気力が湧かないどころか、ぼんやり考え事もできなくなる。頭が常に仕事のために回り続けていて、休日も「平日できない分やりたいことを目一杯=効率的にやろう」という観念に縛られて、「ぼんやり」することが難しくなった。
社会人になって1年半が経って、ようやく最近平日に本を読む気力が出てきた。本を読めるようになったことに影響されてか、「ぼんやり」とした、とりとめのない考えが頭に浮かぶこともまた、増えてきた。
SNSや日記では尺が足りない、なんとなく頭を駆け巡る考えや気持ち。
これを文の繋がりとか字数とか書く頻度とか、何も気にせず、気が向いたときに書き起こしてみたい。
駆け巡る考えや気持ちは、浮かんでは次に移ろいまた浮かんで、の繰り返しで、連想ゲームのように地続きではあるけれど、文章に書こうと思うと整合性に欠けている。水たまりにたまっていく雨粒みたいだなと思う。
「徒然雨」は、そう思って名付けてみた。
近頃はちょっとした繁忙期で、退勤は9時前後がスタンダードだ。疲れてはいると思うのだけど、私は繁忙期になると平日ハイになる性分なので、平日はそうそうぐったりしない(ただ低血圧なので朝はちょくちょくだるくなる。大体チョコレート食べてブーストかける)。
ただその反動が、土曜の朝に出ることがしばしばある。いつもどおりの時間に起きはする。ただ何もやる気が起きない。空腹にせっつかれて朝ごはんだけ食べて、寝転がる。読書なり料理なり、手を付ければやる気が起きるのはわかる。なのに「動きたくない」という抵抗感に全身ががんじがらめになる。他方で時間を無駄遣いしている罪悪感に心がひしひしと蝕まれる。なまじやりたいことが多い分困りものである。
こうなった時の回復ルートは大体決まっている。まず寝転がるかマンガを読む。そうすると6時7時に起きたはずが、10時くらいになる。このあたりで次第に「時間無駄遣いの罪悪感」が出てきて、のそりと起き上がる。洗濯機を回したり顔を洗ったり、最低限のことをする。この手の倦怠感は大体寝不足か空間的な閉塞感から来るので、打開策としてひとまず買い物にでる。外の空気とスーパーのわくわく感に心を洗ってもらって、帰って昼ご飯を食べる。午前が丸々灰になった気分になりつつ、このルートを辿ればひとまずの元気を得られる。ほとんどの場合は。
平日にのんびりする時間を十分に取りたいなあと考えていたら、共産党が「法定労働時間を7時間にする、残業規制を厳しくする」という考えを打ち出している、というSNSの投稿を見かけた。「え、全力で反対なんだが」規制を設けたところで仕事が減るわけじゃないので、サービス残業が増えるだけだ。現時点でいくばくかサビ残しているのに、これ以上無賃労働増やされちゃたまらん。労働時間短縮を謳うなら、雇用人数の増加支援とか「一人当たりの仕事量を減らす」政策も一緒に打ち出してほしい。そこまで行かずとも、「法律規制しただけじゃ変えられる現実に限りがある」「かえって不遇な思いをする人がいる」という認識を持って欲しい。
今日はもう日曜なのに、倦怠感が残っていた。昼に甘いものが食べたい気分になったので、どでかいアイスを買って堪能した。自己嫌悪に苛まれそうなのでカロリーは見ないのが鉄則。初めてスーパーで見た時にちらっと見たら、400kcalくらいだった気がする。あまりの大きさに普通に一食食べたくらいの満腹感がある。
こういうわがままを許せるようになったのはここ最近の変化。自分を甘やかすこと、もっと言えば「できることなのに疲労やめんどくささを理由にして、それをサボること」を、どうにも許すのが難しい。学生時代にひたすら節約することを課していたので、その癖が抜けきってないのだろうな、と思っている。他にも、「できること」をこなすことで自尊心を保っているんだろうな、とか思ったりする。
最近になって、自分に重責を課すと余裕がなくなって、他人のために心を砕くのが難しくなってしまうと、ようやく分かってきた。家族と友人、そして恋人を想えなくなるのが一番自分にとって忌避すべきことーというか、その人たちを大事にできる人間であることが、私の一番果たしたいことーなのに、その穴に陥る可能性をぐんと上げるような癖を、私はどうして持ち続けているんだろう。手放せたら、どんなに楽だろう。
気づいたら2000字に迫っていた。思いつきで書き始めたのに、意外と書けるものだ。書くこと、考えることが好きなままでいれてよかったと心底思う。ただ好きなこともやらないままだと、それを好きだったこと、好きだという感覚を忘れてしまう。自分への義務感を増やさないよう、ただ「やりたい」という気持ちが湧いたときに、またぽつりぽつりとこんな文章を書いていきたい。雨は気まぐれに降るんだから。
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