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「村上春樹が好きじゃない」という話。

タイトルの時点で既に、全世界の読書家の過半数を敵に回してしまっているような気がするが、ひとまず最初に弁明させて欲しい。
私は村上春樹の作品が「好きじゃない」のだが、村上春樹が偉大な作家であることに異議を唱えるつもりはないし、いわゆるハルキスト達を否定したいわけでもない。私にとっての村上春樹は、例えば森鴎外とかドストエフスキーとかと同様に「私には合わないなと思った作家たち」の中に位置している、というだけの話であって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。ここだけはどうか、どうか分かって頂きたい。

ならばどうして「村上春樹が好きじゃない」ことについてわざわざ書こうと思ったのかというと、私にとって村上春樹が因縁の作家になってしまっているからである。
もちろん完全な逆恨みだし、八つ当たりと言ってもいいレベルであることは百も承知だ。だが、「村上春樹が好きじゃない」ことは、それ以外の「ある一人の作家を好きじゃない」こととは比較にならないほど、私には物凄く重い意味を持つことだった。そうなってしまった。
その、私と村上春樹の因縁について、今日は書かせて頂きたい。


初めての邂逅は、高校時代だった。
吹奏楽部の仲間で、当時リレー小説を回し書きしていた5人の内の一人であるイシダ君が、村上春樹にハマったのだ。彼が熱心に勧めるのだからと、私も2冊ほど読んでみた。

残念ながら、私はハマらなかった。

それだけだった。ただそれだけなのに、次の村上春樹の話になったタイミングで私がそう発言すると、いつも温厚で理知的だったイシダ君は、心底軽蔑した目で私を見下ろし、言った。

「えー、嘘でしょー。新原さんって、見る目ないね。この良さが分からないなんて」

は?????である。
自分の勧めた本が、相手にハマらなかったとき。社交辞令の「面白かったよ」すら貰えない時、それは確かにちょっと凹む。それは分かる。
だからといって、そんな目で、そんな声で、何故そこまで!?そこまで言う!?ちょっと待って私が悪いの!?何で???

そう胸ぐらをつかんで叫ぶには、イシダ君の目は冷たすぎた。そして30cm近い身長差のある男子にそれを強行できるほど、当時17歳の私の根性は座ってはいなかった。
私はモヤモヤしたものを抱えたまま、リレー小説を続けることになった。イシダ君の書くものは、徐々にではあるがどことなく村上春樹を彷彿とさせるものに文体が変わっていき、その内受験期に入って、誰からともなくリレー小説は止まった。私とハルキストの記念すべき初戦は、そうして終わった。

第二戦は、大学入学後すぐに訪れた。
文学部の一般教養、何の科目だったかは忘れたが、そこに登場した教授が自己紹介に続いて、村上春樹の本を紹介し始めたのだ。
教室は沸いた。そこそこ広いこの教室にいる、全員が村上春樹のファンなのか。そう思ってしまうほどの熱気だった。その授業が終わった次の瞬間、教授の周りには人だかりがあり、教室のそこかしこで村上春樹談義に盛り上がる学生たちのグループが出来上がっていた。

ここで、村上春樹が好きじゃないなんて言ったら殺される。間違いない。

私は空気を読み、沈黙を保ち、一年間、村上春樹が豊富に取り上げられて毎回盛り上がる「その授業」のクラスでは決して誰にも話しかけなかった。

幸か不幸か、私には音楽サークルという学部外の居場所があり、そこでは村上春樹を熱心に勧めて来る信者はいなかった。代わりに布教されていたのはガンズ・アンド・ローゼスやメタリカやレッド・ホット・チリ・ペッパーズなどで、別に「自分はLUNASEAが好きで」と言っても、その場の最大公約数として「X-JAPAN良いよね!」となる程度で済んだ。
みんな違ってみんないい。その当然が当然であることの有難味を、私はどういう訳か、村上春樹によって理解する羽目に陥ったのである。

月日は流れ、大学を卒業した私は、IT業界に就職した。
9割5分を理系の男性たちが占めるタフな職場で、本の話などめったに出てくるものではない。プログラム言語や業界資格の教本ぐらいしか「本」という物体を見ないまま油断しきっていた私に、第三戦のゴングは唐突に打ち鳴らされた。

「新原ちゃんって文学部だったよね?村上春樹とか読む?」

まさか。
私は信じられない思いで、目の前の先輩を見た。マンツーマンで組んできたバディと言おうか、私に2年の歳月をかけてシステムエンジニアの仕事を教え込み、「これで一人前」と太鼓判を押してくれた先輩が。私が何に困っても直接手を出すのではなく、「解決法の調べ方」を徹底して教え続けてくれた尊敬する先輩が。ニコニコと邪気のない笑顔で、私の返事を待っている。

社会人になって3年目。システムエンジニアとして戦力になれてきたという自負とささやかなプライド、そして何よりもこの2年、苦楽を共にしてきた先輩への信頼をぐぐっと腹に溜めて、私は本音をぶちまける決意をした。

「え、先輩ってハルキストだったんですか?すみません、嫌いなんですよ村上春樹」

「え、マジで?嫌いなの?なんで??」

「まぁ嫌いって言うと語弊があるんですけど、好きじゃないです。2冊ぐらいは読みましたけど、なんていうか、オシャレ過ぎて合わないっていうか」

「そーなんだー!え、読んだのに嫌いって言う人初めて見たー、そっか新原ちゃん嫌いなのかー!あっはっは!何でだよめっちゃ良いじゃん!」

はたして、先輩は笑った。村上春樹のどこがどう嫌いなのかを根掘り葉掘り聞かれ、私は積年の恨みを晴らすかのように村上春樹を、ハルキスト達を、引いては先輩を、自分でも驚くほど熱を入れてディスった。ディスってディスって、ディスりまくった。

「ってかさー、○○さん来週モルディブ行くって言ってたじゃん?超羨ましー、良いよなーモルディブ、俺もモルディブのビーチでオシャレなワインとか飲みながら村上春樹読みたいんだよー」

「本読むなら日本で良いじゃないですか!なんではるばるモルディブまで行って、現地の本とかならまだしも、わざわざ村上春樹持って行ってまで読むんスか!そういうわざとらしくカッコつけた、上品でオサレっぽい感じがムカつくんですよ!海に行くなら海に入れ!そうじゃなきゃ砂掘って城を作れ!!モルディブに失礼ですよ!!」

「あはは、良いじゃんカッコつけさせてよー」

「私のいないところで勝手にやってください!見たら砂ぶっかけますよ!」

アルコールなど一滴も入っていない午後3時の職場で、無礼講の忘年会でもここまでやらないレベルの無意味なキレ芸を披露しながら、私は自分の「村上春樹が好きじゃない」恨みが浄化されていくのを感じた。

もしもあの時、17歳のイシダ君が、この程度の温度で私の「ハマらなかった」を受け止めてくれていたら。
もしもあの時あの教室で、アンチ村上春樹派が、あるいは私が、「好きじゃない人はどうすれば良いんですか!」と存在を主張できていたら。
私の「村上春樹が好きじゃない」は、もっとあっさりと腹に収められていたし、もしかしたらその後、村上春樹の作品の中で好きな一冊が出来ていたかもしれない。

私は村上春樹が好きじゃないけれど。
もし同じように好きじゃなくて、それ故にハルキスト達に恨みを持ってしまっている人がもしいたならば、「笑って許容してくれるハルキストも、ちゃんと存在しているのだ」ということを伝えたいと思う。

そして、もしもここまで読んで下さって、更に気分を害していない寛大なハルキストがいて、「村上春樹が好きじゃない」という人間を見かけたときは、「村上春樹の良さを分からない気の毒な人間」を見下したり、軽蔑したい気持ちをこらえて、どうか「フーン」とスルーして欲しい。
そして万が一、もしも時間やメンタルに余裕があって、更に気が向く瞬間があったならば。
「えーなんでー!?」と笑いながら突っ込んでみて頂けると、私のような「村上春樹が好きじゃない」オバケになってしまった人間が、成仏できるかもしれません。

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