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酒飲み女のバラッド

大阪のど真ん中に位置する街のある一角に、通称「スペイン横丁」と呼ばれる通りがある。100メートルくらいあるその通りにはスペイン料理を出すバーや屋台がズラーっと並んでいる。そこが私の日々の酒場だ。そこにはだいたいひとりで行く。そしてよほど寒くない限りはの表の席に座り通りを眺めながら飲むのが好きだ。数人でワイワイと飲んでいる人たちもいるが、ひとりで飲んでる客も少なくない。ひとりを好む客のその理由は様々だと思うが、私の場合は誰のために飲むわけではなく、自分のために飲むからという理由だ。通りを歩く人々を眺めたり、行き交う人たちが時々「それ美味しそうですね」と話しかけてくるのにちょっと冗談を言いながら返したり、それだけのことで楽しい。中には難しそうな本を読みながらお酒を飲んでる人もいたりして、なかなかの強者だと思いながら眺めている。

夫はお酒は一切飲まない。一滴も飲まない。飲むと数秒でぶっ倒れる。そんな夫は「あまり飲むと体に悪いよ」とお決まりのセリフを言う。その夫と同じようにお酒の飲まない友人は「そんなに飲むとアル中になるよ」と言う。どいつもこいつもわかってないなぁと思う。だからといって彼らに私の思いを説明することはしない「あぁそうだね、でも好きなお酒で死ねたら本望よ」と言っておく。そしたら彼らは決まって「そんな人生寂しいじゃん」と言う。わかってない人はどこまでもわからないのだなぁとうんざりする。お酒を我慢してたとえ健康な体を保持したとしても人生の楽しみをひとつ失ったことになる。それはどうなんだろう...

お酒を飲み始めたきっかけは、劇団に入った頃からだったと思う。稽古終わりに必ず居酒屋にみんなで行って演劇論を語るのが常になっていた。ある日、劇団の女マネージャーとふたりで仕事に出かけた帰りにふたりで飲みに行った。その帰りに「楽しかった。あなたと飲むと楽しいわ」と言われた。それが彼女の本心かお世辞かはわからないが彼女のその言葉が私をお酒に走らせたのだと思っている。

それからはワインスクールに通ったり、カクテルスクールに通ったり、日本酒利き酒教室に通ったりとお酒に関する勉強をしたが、知識は増えたが私にとっては無駄だった。私は銘柄とか品種とかそういうものにこだわることより、自分が楽しくなるお酒、相手が楽しくなるお酒、ちょっと夢見させてくれるお酒、そういうものを欲している。そういうことは学校では教えてくれないことに気がついた。

今日も今日とて酒を飲む。

オヤジのブログかと思うような文章だが、私はきっとどこかでオヤジ化してしまったのかもしれない。

それで、上等だ。

『嗚呼  唄うことは難しいことじゃない  ただ声に身を任せ頭の中をからっぽにするだけ』という歌詞で始まる斉藤和義の「歌うたいのバラッド」という曲がある。この曲を聞いていたらふと思ったのが、私の場合は相手を酔わせる歌はうまく歌えない。でもお酒なら美味しく飲める。『嗚呼  酒を飲むことは難しいことじゃない ただ気分に身を任せ頭の中をからっぽにするだけ』ってことになるのかなぁ。

さぁ、鼻歌でも歌いながら酒場に行こう。


読んでいただきありがとうございます。 書くこと、読むこと、考えること... これからも精進します。