デッサンと境界と"あいまい"について②

何かと何かの間にあるものを、

完全に解き明かすことはできない、と思う。

もし完全な答えのために旅に出るのだとしたら、

究極は自死にも至るのではと思えてくる。

まるで暗闇の中を、あるかわからない終着点のために、
懐中電灯で彷徨っていくようなものだ。


この世の妙を、完全に解明されるものとして捉えるのではなく
妙を妙として[発見]するために
世界と対峙したい。


世の中を定義するために利便上、
人は線を引くことを覚えたのであって、それが全てではないことを知る。
見えているよりもずっと、線のあちらとこちらというのは
曖昧なのだということを知る。


人間がいなくとも、

海の満ち引きも、星の数も、虫の声も、

変わらなかったかもしれない。

むしろ、知られない所でこそ、

その輝きは恐ろしいくらい荘厳だったかもしれない。

ただ、人間でなければ、
何がそれを美しいと定義するのか? 

"誰か 見つけて"  というくらいやむにやまれぬ
地球の生命・エネルギーがある。

...とするなら、

境界線をものすごく曖昧にして

地球のエネルギーに答える、[発見]を、

人間として生まれ落ち、同じ生きるならば、

その宝とすることではないか?



デッサンによる思索。

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