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2020年3月 前橋旅1

 朝6時前に起きる。
 もっと寝ていたいという気持ちと、現地での行動時間を増やしたいという思惑がせめぎ合うが、まぁ何とか起きる。旅先でいっぱい食べたいので、朝めしは納豆ご飯と味噌汁程度ですませ、いってきます。

 東京から前橋までは新幹線に乗れば早いのだが、利用したところで30分縮まる程度なのに代金が倍になるという感じだったので、快速に乗車。車内でうとうと。持って来た本もちょくちょく読む。一時間半ちょいで高崎駅に到着し、上越線に乗り換えて前橋へ。電車のドアはボタンで開け閉めします。というか思っていたよりも寒く、ジャケットを羽織る。そうして前橋着。

 普段だったら旅先には選ばないだろう前橋。だって都市部だ。だって群馬の県庁所在地だ。
 それでも前橋を訪れたのは、この日開催予定だった「文学フリマ前橋」がコロナの影響で中止になったから。休み取っちゃったし空いた日程どうしよ……、と考え、せっかくだから旅をしよう、どこ行こう、常磐線開通したし浜通りにもう一度行ってくる? 南相馬の「菓詩工房わたなべ」にご挨拶に伺う? いやでもコロナの影響で行きたい資料館が休みになってるなぁ、というわけでホテルも予約してたし、そのまま前橋旅が決行になったわけであります。

 さて、まずは駅構内の観光案内所に赴き、旅の必需品となる地図を手に入れます。レンタサイクルで巡る予定なので、やや広範囲のものを求めます。が、「自転車用の地図ですか……? ちょっとお待ち下さい」とカウンター内をがさこそ。そうして広範囲ながらも、小さく畳める地図を手渡され、「レンタサイクルの受付にもあると思うので、聞いてみて下さい」とのこと。
 というわけで駅近くの受付に向かうが、地図はないとのこと。む……地図の用意がないということは、もしや……前橋って、観光客少ない? と考え込みそうになるが、とりあえずそのまま一日300円で電動自転車を借りる(安い!)。そんでもって、前橋の街中へと繰り出します。観光客が少なかろうが、とりあえず楽しめるだけ楽しみます。

 まず向かったのは「前橋プラザ元気21」。ここは本来、文学フリマ前橋の会場でした。しかも折良く、Twitterで文学フリマ事務局から「開催中止だから会場には行くなよ」なんて流れてきたので、Twitterで茶番をやりました。えぇ、このためだけに立ち寄りました。
 というか二ヶ月前に、「文学フリマ前橋に参加したけど、商品であるコースター小説を全て家に置いてきた」という夢を見たのは、このときのことを予知していたのでは、なんて思ったり。

 かねてからの願望である茶番を無事やり終えたので、まずは道をまっすぐ群馬県庁へと向かいます。というか何だか、県庁も近いというのに、何だかガランとしていて、閉まっている店が多いような……(単に営業時間の問題かもしれんが)。
 県庁前では、石と化したぐんまちゃんに会い、そのまま市内を西へと進みます。というか、もらった地図よりもスマホの地図のほうが便利だな……現在地もすぐわかるし(地図と周囲の通りを見比べて「こっちか」とやるのが好きなので、ナビは使いません)。

 そんなこんなで群馬大橋を渡り、まずは総社神社に到着。神社好きというのもあるけれど、わざわざ向かったのは、字面がいいからとそれだけです。あとは岡山の総社と関係あるのかしらん、とも。由緒書きによれば平安時代あたりに、国内の(この場合は日本ではなく、広大な地域のこと、群馬は上野国)神々を一箇所に集めて合祀しよう、といって創建したのが総社神社とのこと。ご神体は、上野国の神の名を書き連ねた書物、とも。
 神名帳が、ご神体! つまり文字に神が宿っているということか。まぁ、浅はかな感想だけれど、面白いなぁ、と感嘆いたしました。

 さて、参拝をいたします。手水舎の柄杓は木枠に溝が設けられていて、これいいなぁ、と唸りました。大体、柄杓は思うままに戻されていることが多いから、他の神社も真似したらいいんじゃないかと。そうして重厚な彫刻が施された拝殿で頭を垂れ、鈴を鳴らして合掌。初めまして、どうぞ宜しくお願いいたします。
 その後、境内をぐるりとします。それぞれの干支ごとに絵馬をかける場所が用意されているのはアイディアだなぁ、と。神社の裏手には、双道祖神がいっぱい(大体、道祖神といえば神が一柱彫られているが、これは二柱。多分夫婦。長野あたりにはよくあったと記憶してるから、群馬にあっても不自然ではない?)。小さな祠もいっぱい。というかお腹減ってきました。

 というわけで、群馬県名物焼きまんじゅうの店へと自転車を駆り立てます。また川を越えます。途中、臨江閣と呼ばれる昔の巨大旅館を思わせる重要文化財的な建造物の脇を通り、その端整な佇まいに、はーっと嘆息を漏らすが、明日立ち寄る予定なので今は腹の願望に従います。

 そうしてたどり着いた原嶋屋。こちらも古くからの商家をそのまま残す建築。暖簾をくぐり、戸を引くと、ふっと甘ダレの焦げる香りが。わぁ、たまりません。ガラス一枚隔てた向こうで、見せつけるように焼き台の上に串に連なった饅頭を並べては、極太の筆でタレを塗りつつ、焼いております。何だか、ぱちぱちと炭の爆ぜる音が聞こえてくるようで。購買意欲をそそる巧みな動線ですわ。
 しかしコロナの影響か、今は店内での飲食は御法度とのこと。というか結構混んでいて、次から次へと注文が。八本とかマジか。観光客っぽい感じもあまりしないし、地元民だろうか。そんなみんな好きなのか。ともあれ鄙びた店内でしばし待ち、串から抜かれパックに入った饅頭4つを手に外に出ます。

 どこで食べよう。さっきの臨江閣を眺めながらなんて、風流だなぁ、でも座れるとこあったか、と考え、OKグーグルてなもんで、近場の公園を探して、さっさと移動。こういうときにスマホは超便利。
 たどりついたのは住宅街の中の公園。カラフルなブランコに滑り台。それらを目に映しながら、出来たての焼きまんじゅうを短い串で刺して一口。うま。焦げたタレの味が一気に広がります。が、何だか食感が軽い。饅頭という名からお餅のような弾力を想像していたが、かじりついた断面を見ると、パンのようにふわふわしてる。なるほどこういう感じか。やや喉に渇きを覚えつつ完食し、次へと向かいます。
(コンビニに2店立ち寄って、群馬の名水なるものを探すが、東京と変わらないラインナップだったので、そのまま自転車をこぎ続けました。旅にきたら、その土地の水を飲みたいのです……)

 何だかいきなり強くなった風に煽られつつも、単調な国道17号を北上して、着いたのは田中屋。同じく焼きまんじゅう。せっかくだから食べ比べ。ここでお茶もいただきます。こちらではあん入りと、あんなしを選べるとのこと。さっきはあんなしだったから、今度は入りで。店内で食します(ここも混雑してて、行ったときは満席だった)。うん。こっちのほうがタレはまろやかで、個人的には先程の香ばしさのが好み。饅頭の食感は、田中屋のほうが好きかな(といっても、ここも餅よりパン感)。肝心のあんも、まぁ美味しい。
 が、流石に一人で饅頭八個はやり過ぎじゃなかろうか。馬鹿じゃなかろうか。と、食傷気味になりつつ、店をあとにし、再び自転車に跨がります。

 風強すぎ。歩道デコボコしすぎ。まるで苦行のような国道17号をまだまだ北上します。通りはもう本当に国道中の国道といった様相で、大型チェーン店の看板が目白押し。車で通り過ぎるならまだしも、自転車だと結構つまらない道行きでした。一つ脇に入った道を選ぶも、いずれは国道に戻されてげんなり。おまけに腹の中はまんじゅうで膨れていて、もう当分いいやという状況。リアルで「まんじゅうこわい」。これから昼飯も食べるというのに、大丈夫だろうか。

 もしかしてこの旅、つまらないんじゃ? というおよそ初めての疑念を抱きながら、ようやく国道らしい国道を終え、一気にぐわっと上り坂へと突き進んでいきます。つまりは山の中に入ったわけです。交通量も一気に減るが、その分、気合入れてペダルを漕ぎます。自転車を借りるとき「あまり大きなバッテリーじゃない」と教わっていたため、ずっとエコモードで運用していたが、流石に強に切り換える。そしたら、電池の目盛りがすかさず一つ減って。む、目的地までたどり着けるか。が、この坂道さえ越えちまえば、戻りは下りなので、問題なしと突き進む。ていうか、やっぱり、こういう無茶してると楽しい。強風も気にならなくなってました。

 右手の畑向こうにときおり見える頂は、赤城山か。はるか左手の峯々は、榛名山か。まぁ実際は、大して景色を愛でる余裕なんかなく、ぜえぜえはあはあ喘ぎながら(しかも花粉&コロナでマスクしてるっていう)、目的の神社まで一気に駆けていきます。というか、ときたま露出した手や顔にぽつりと水気を感じる。見上げれば、濁った色の雲。
 駐車場に自転車を停め、前橋からレンタサイクルでここまで来た馬鹿は俺が初めてだろうと誇らしげに思いながら、道の向こうに立つ鳥居へと向かいます。

 木曽三社神社。
 こいついつも神社ばっかり行ってんな、という、自身へのツッコミを軽く吹っ飛ばすほどの衝撃でした。
 下り参道(その字の通り参道が下り階段)、というのは全国的に珍しいようで、今自分が立っている場所よりも下方に社が位置しているのは、何とも新鮮でした。
 丁度、すり鉢のような谷地の中腹に社が鎮座していて、だから参拝客は一度底まで下ってから、少し上ってから詣でるといった具合になっています。周囲もぐるりと木々に囲まれています。加えてここまで、ひたすらえっちらおっちら坂道を上ってきたことを思えば、秘境感すら漂って。

 そうして先程からぱらついていた雨が、やや強まり、ぽつぽつと肌を打ちます。まず思ったのは、また雨だ、ということ。風雨の東国三社巡り以来、旅先で神社に立ち寄れば、不思議と雨が降るようになりました。雨って様々解釈はあるだろうけれど、個人的には神社での雨は穢れを払う吉兆です。禊ぎの雨です。

 一段一段、下っていきます。正面にはずっと神社が。視座が一つ下がるたびに、当然神社の見え方も移ろいます。社殿の表情が変じていきます。屋根に覆われていた部分に次第に視線が及ぶようになり、やがては同じ目線になり、そして底では見上げるかたちになり。
 神社に対する形容ではないとわかってはいるけれど、高さで様相に変化が起きるのって、これまた面白いなぁと一歩一歩嘆じてました。アートでも活かせないかな、と。

 そうして今度は階段を上っていき、ようやく社殿の前に到着です。
 木曽三社神社。
 造り自体はやや古めかしい感があるものの、よく手入れがさているようで、木訥な佇まい。左端の鈴を鳴らし、手を鳴らす。合掌。雨は依然降り続けている。誰もいない。ただ雨音だけを聞く。

 少しの間、軒下で雨宿りをさせてもらう。何だかよくあるシチュエーションだなぁ、と思ったり。そうして雨脚がやや弱まった頃に、お邪魔しましたと近くに見えた祠のほうへ。ここでも一礼。生い茂った草の中、かすれた道は奥へと続いている。木々の向こうに見えてきたのは、石造りの柵に囲われた小さな池。中心に、神社の屋根のようなものが。どうやら湧水池のよう。湧き水といえば大体はパイプが引かれ、ちょろちょろと音を響かせているものだが、そういったものは見当たらず。大丈夫かなと、池から続く川に掌を沈めひと口。うん、水だ。

 さて、谷の中腹をぐるっと巡って社殿と向き合う高さに戻ってくる。やや名残惜しかったが、踵を返してお次は昼食です。雨もそのうちにやむだろうか。(続→

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