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歌舞伎初心者アナウンサーのひとりごと。~ジャパニーズホラーと笑いの融合?一番こわいのは人間です。歌舞伎座・八月花形歌舞伎『真景累ヶ淵・豊志賀の死』~


はじめまして、こんにちは、こんばんは。
歌舞伎が大好きなフリーアナウンサーの渡邉唯です。

まもなくお盆。この時期といえば、“怪談‘’ですよね。
歌舞伎座でも、こわ〜いお話が上演されました。
第二部
真景累ヶ淵~豊志賀の死~』(しんけいかさねがふちとよしがのし)です。



ジャパニーズホラーを愛した噺家が生んだ名作。

落語がお好きな方ならピンときたかと思いますが、このお話は、近代落語の祖と言われている三遊亭圓朝さんの口演をもとにした怪談噺です。
三遊亭圓朝さんは、天保10年(1839)に江戸で生まれたのち、なんと7歳で高座に上がり、20歳余りの若さで舞台装置や仕掛けを使った噺で人気を博しました。
(当時はまだ演出方法も限られていたでしょうし、異端児だったんでしょうね〜)

そんな圓朝さんが得意としたのが怪談噺
今回の真景累ヶ淵の他にも、“怪談牡丹燈篭‘’や“怪談乳房榎‘’、また最近、米津玄師さんのMVで話題になった“死神‘’も圓朝さんが作りました。
どの作品も、令和のいま、見聞きしても恐ろしいので、当時の人達には、更におぞましく感じられたのでしょうか。

圓朝さんが初めて真景累ヶ淵を口演したのは1859年、21歳の頃。
(当時の演目名は“累ヶ淵後日(ごにち)の怪談‘’。のち、現演目名へと変更されました)。
茨城県常総市の法蔵寺裏に位置する累ヶ淵を舞台にした、“累‘’(かさね)という女性の怨霊の物語をヒントに創作しました。
旗本の深見新左衛門が、貸し金の催促にきた鍼医宗悦を殺したことがきっかけとなり、両者の子孫が何代にもわたり非業の死を遂げていくという、止まらない呪いをテーマにした、なんと全97章にも及ぶ、長い長〜~い作品。
明治31年(1898)に歌舞伎化されましたが、全てを通して上演することはなかなか難しいので、今月上演された『豊志賀の死』のくだりを中心に公演されることが多いです。

現タイトル『真景累ヶ淵』の”真景”。じつは”神経”にかけて付けられたんだとか。
圓朝さんは「罪を犯した者が、その怯えから神経を病み、怪談を生むのだ」と語っていたそうです。
”神経”のさわりによって霊が見える。という意味がこのタイトルには込められているのです。

病は気から。霊が見えるのも、気から・・・?。

“罪を犯した者が、その怯えから神経を病み、怪談を生む“。
この、圓朝さんのことば通りに『豊志賀の死』は描かれています。
↓↓以下、あらすじです。↓↓

富本節の師匠・豊志賀は、今で言う美魔女。独身なので男性からもモテモテで、更に、弟子も多く充実した日々を送っています。
そんななか彼女は、20歳も離れた弟子の新吉と男女の仲に。この手の噂はあっという間に広まり、弟子は減ってしまいます。

更に、豊志賀は顔に腫れ物ができる病にかかってしまい、美しかった顔は日に日に醜くなっていきます。
精神的に滅入っているから故のネガティブ思考でしょうか。豊志賀は、新吉と若い娘・お久の仲を勘ぐり嫉妬に狂い、病は重くなるばかり。新吉にも、つい、強く当たってしまいます。

これまで健気に看病してきた新吉ですが、疲れ果ててしまい、豊志賀への想いも薄れていってしまいます。
そんな時、ふと見かけたお久と、気晴らしがてらお寿司屋さんへ出かけます。看病に疲れ果てた新吉と継母から逃れたいお久。2人の思いは重なり、駆け落ちしよう!と決意するのですが、何と、その時、家で寝ているはずの豊志賀が現れるのです!

恐ろしくなった新吉は、伯父の家へ逃げ込むのですが、何故か、そこにも豊志賀の姿が・・・。
追い打ちをかけるように噺家の蝶さんがやってきて言うには、
豊志賀さんが家で死んでいる』。
この世の終わりだ…と青ざめる新吉。
新吉が見たのは、豊志賀を裏切った背徳感からの幻覚なのか、それとも…。

今作は怪談ですが、いわゆる“ヒュ〜ドロドロドロ“といった怪談あるある演出はありません。
また、お寿司屋さんに突然現れた豊志賀の姿はお久には見えていなく、新吉にしか見えていません。
こういった演出からも、病は気から。ではありませんが、新吉の背徳感が豊志賀の霊を生み出しているように描かれていると感じました。

海外ホラーのように、いきなりウワアっと怪物が出てきたり、血みどろになるような視覚による派手さはありません。ですが、ジメーっとした、人間の心の奥底にある陰の部分がジワジワと迫ってくるジャパニーズホラー特有の恐ろしさに、背筋がスーッと凍ります。。。。

中村屋が作り出す、笑える怪談。

今回の主な出演者は、中村屋の皆さん。
▼豊志賀・・・中村七之助さん
▼新吉・・・中村鶴松さん
▼噺家の蝶さん・・・中村勘九郎さん、の配役で上演されました。
(お久役の中村児太郎さんと、伯父役の中村扇雀さんは成駒屋です)。

中村屋と八月の歌舞伎座というと、「納涼歌舞伎」。
もともと亡き中村勘三郎さんと坂東三津五郎さんが軸となり、1990年8月に「納涼花形歌舞伎」としてスタート、それから毎年8月は、怪談話など比較的わかりやすい作品が上演されてきました。
コロナの影響で、去年に続き「八月花形歌舞伎」と題されていますが、若手役者の皆さんを中心に、暑さに負けぬアツい舞台が繰り広げられています。

納涼歌舞伎の雰囲気あふれる舞台を、その納涼歌舞伎の礎を作った勘三郎さんの御子息である、勘九郎さん七之助さん御兄弟の共演で見られることが、も~~う、アツいのですが、今回は、ほぼ主役と言っていいであろう新吉のお役を、勘三郎さんの部屋子である鶴松さんが演じていることが、更にアツいんです!!!!!(興奮して変になっています。すみません・・・笑)

それに、鶴松さんに新吉のお役を抜擢したのは、勘九郎さんと七之助さんというのだから、もう、歌舞伎ファンにはたまりません。。。笑
(しかも提案したのは、勘三郎さんの誕生日だったそう)
ちょっと興奮しすぎてしまいましたが、落語生まれのジャパニーズホラーを、中村屋の皆さんがおもしろおかしく魅せてくれています。

七之助さんは、見た目はまるでお岩さんのようでおぞましいですが、嫉妬するようすや恨み節を吐くようす、更に新吉にすがりつくようすや掛け合いが絶妙で、つい笑ってしまいます。

新吉役の鶴松さんも、行く先々で急に現れる豊志賀の霊に驚くようすが何とも滑稽で、本来なら「キャー」という声が響くであろうに、会場は笑いに包まれていました。

そして、噺家役の勘九郎さんの話芸は、まるで寄席に来たかのような気分になり、鶴松さんとのテンポのいい掛け合いにも大爆笑。
幕が閉じると、中村屋の皆さんをはじめとするチームワーク溢れる舞台に拍手喝采でした。

まだまだ暑い日が続きますが、ジャパニーズホラー特有のじめっとした恐怖で涼をとり、中村屋さんのコミカルな演技で暑さを笑い飛ばしに行かれてみては如何でしょうか?

渡邉唯でした~。
Instagram:https://www.instagram.com/watanabeyui.0108/?hl=ja

*追伸*
いまのところ私には霊感はありませんが、この先もお目にかかることのないように、日ごろの行いには気を付けます。(笑)


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