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ふるさとを守りたい


「生まれ育った東京から出たい」

いつの頃からか、ずっと、そう思っていました。


だから出ていきました。

一度だけ・・・



私は、生まれてから20年近く、東京の墨田区で育ちました。

スカイツリーのおかげで、今では観光地として知名度の高まった墨田区。

「ものづくりのまち」として発展してきた背景から、今でも小さな町工場や商店が多く存在します。

観光地としての賑わいを見せるスカイツリー周辺から、一つ奥の通りへと足を進めれば、戸建ての家も多く残る住宅街へ。商店街が徐々にシャッターを下ろしていく現状があるとはいえ、まだまだ暮らしやすい地域だと思っています。

私は、墨田区が好きです。

ですが東京が好きかと聞かれると、素直に首を縦に振ることはできませんでした。

だから、一度離れてみたいと思いました。

20年過ごした墨田区を。そして東京を。



地域での挑戦


実家も離れたことのない私が向かった場所は、長野県の塩尻市。

大学の春休みを利用して、1か月の地域滞在型インターンに参加しました。

私は、現地の製造業の企業にお世話になり、「製造業の魅力を若者に発信するにはどうしたらよいか?」をテーマに取り組みました。


その話は後日するとして・・・


たった1か月でも東京を離れて、感じたことは二つでした。

①地域で生きることの素晴らしさ
②自分の故郷は東京だということ



心のふるさと


東京というコンクリートの箱の中で生きてきた私にとって、「地域」という場所への憧れは大きなものでした。

特に私がお世話になった塩尻は、東京と京都を結ぶ中山道の中継地点として江戸時代から栄えてきた宿場町があり、さらには太平洋側と日本海側から運ばれる塩の終着地といわれる場所。まさに南北東西のヒト・モノ・カネ・情報が交わる場所です。

以前から暮らしている地域の人もいれば、仕事や学びのために訪れる人もいる。多種多様な価値観や考え方、そして人生の背景をもつ人々と言葉を交わした1か月は、私にとってはそれまでの20年に匹敵する濃厚な日々でした。


「地域の未来を変えたい」という同じ想いを抱いて活動する人々とのふれ合いは、私の心にある想いの炎を灯しました。


私も、自分の故郷の未来を変えたい。



東京は私の故郷


ある人が、こんなことを言っていました。

「心のふるさとは、いくらでも作ることができる」

本当にその通りだと思います。

”心のふるさと”とは、出自に関係なく「帰りたい」と思える場所であり、そう思わせてくれる人との繋がりだと思っています。私にとって塩尻は、かけがえのない大切な”心のふるさと”です。


ですが同時に思いました。私が生まれ育った場所は東京であり、そのことは変えることが出来ないのだと。

都会の喧騒を嫌った時期もありますし、今でも得意にはなれません。それでも「東京」という枠で考えれば、その喧騒も含めて”故郷”なのだ、と。

20年以上も努力し成長してきた場所。ちょっと目を向ければ、東京にも素晴らしい景色や学びの場所がたくさんある。そして何よりも、家族や友人、恩師、先輩、私を支えてくれる人々がいる大切な場所。


都会は冷たい、と言われるけれど、他人であっても身内と同じように接する人間関係のあたたかさは、実は東京にも数えきれないほどあります。

ほかの地域と同じように、「地元を良くしたい」という想いで行動している人々の繋がりが東京にもたくさんあることを、私は地域での挑戦を終えてから知りました。


故郷の未来を変えるために


東京一極集中。

ニュースでも度々取り上げられる、東京の過密化の問題。人やモノが集中して都心部が繁栄する反面、そのしわ寄せで衰退していく周辺の下町。

知っていますか?

東京でも、過疎化や高齢化で衰退しつつある地域があることを。大型店が増えて人が集まらず、シャッター通りと化す下町の商店街があることを。スカイツリーも注目を集め、観光地として賑わいを増す一方で、見慣れた景色が失われていく寂しさを味わっている人が東京にもいることを。


変わっていくことは不安なことです。

それでも、変えていかなければならない。

故郷の未来を。そして自分自身を。


人が増えすぎたことで起こる課題。

特に、今のようなコロナウイルスの影響が心配される状況では、ますます東京への一極集中化に危機を感じます。

このままではいけない。

故郷・東京の未来を変えたいです。

そのために、今できることからやり続けたいと思います。どんなに小さなことでも、意味のないと思われることでも、たとえ少人数でも、諦めずにやり続けることで変えられるものがあると信じています。


とはいえ、東京の中にいては見えないものがあることも痛感しています。

わたげに乗せて種を飛ばす準備ができたとき、再び東京を離れる覚悟はできています。あとは飛び立つタイミング次第。

それが地域なのか、それとも海外なのか、それは分かりませんが。


東京を訪れた人に「東京が好き」と言ってもらえるような場所にしたい。

そして東京に生まれ育った人が「ここが故郷だ」と胸を張って言える場所にしたい。


故郷に貢献したい。

その想いを原動力に、これからも様々なことに挑戦したいです。


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