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東山早朝ぶらり:池大雅・玉瀾、芭蕉、西行、竹内栖鳳、竹久夢二、菊池契月、そして小村雪岱


はじめに

 サムネイルの画像の中の写真をご覧ください。場所は、京都東山高台寺の「ねねの道」の南端、一年坂に入り二年坂(二寧坂)方向を向いて撮影しました。
 日曜日にも関わらず、観光客はだれ一人もいません。たまに行きかうのは、犬を散歩させたりジョギングする近所に住む人ばかり。撮影時刻はもう日が昇った午前8時半過ぎなのにです。

 私は定番の観光ルートは通常避けるので、今回歩いた典型的な観光ルート、八坂神社から高台寺二年坂三年坂清水寺へ行く行路は、スケッチを目的にしない限り行くことはありません。

 それでも、この十年の間に、外国人観光客でにぎわうこの地域を何度も描いてきました(なお先週より、<私のスケッチポイント/作品紹介あれこれ>シリーズで京都・東山地区の作品を紹介中です)。ですから、日中のこの地域の混雑ぶりを知る者にとって、別の世界に紛れ込んだのではないのかという感覚に襲われました。

 今回の早朝歩きの結論を言うと、これまでは多くの観光客の姿に気を奪われて気が付かなかった、いくつもの意外な場所が見つかりました。

 なぜか、得した気持ちになったので記事で紹介いたします。

 歩いたルートは以下になります(往路のみ)。

八坂神社→円山公園→ねねの道→一年坂→二年坂(二寧坂)→清水坂

 なお、グーグルマップのストリートヴューを除き写真はすべて筆者撮影のものです。

大雅堂、芭蕉堂、西行庵

 出発は、八坂神社です。円山公園隣接のホテル長楽館を過ぎてねねの道に入ります。

 突き当り手前で、以前は目に入らなかった石碑に気がつきました。それは、池大雅・玉瀾夫婦の旧居跡、「大雅堂址」の石碑です。

 以前なら池大雅の旧宅跡と知っても「ああそうか」という程度だったはずです。しかし、今年の初から投稿を始めた、次に示す題名の記事の二つのシリーズ:

 (1)島尾新著「水墨画入門」岩波新書(2019):身体・五感で見る水墨。日本の独自性が分かった(気がする?)。その1その2その3その4

 (2)「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015):西洋の知は日本美術の独自性をトポロジカル空間にあると見た! その1その2その3その4その5

 の中で、水墨画とは何か、ドラッカーはなぜ日本の水墨画人文画を含む)を好んだのか、線スケッチの観点で池大雅与謝蕪村の文人画も取り上げた者にとって、池大雅の住居跡と知ると「あー、こんなところに住んでいたのか」と格別な眼でその碑を見てしまいました。

 次にその石碑のすぐ南、ねねの道が西に曲がる突き当りには、これも今までは目もくれなかった、茅葺の建物に目が留まりました。

 上に示したのは、芭蕉堂の入り口で現在レンタル着物屋さんになっているようです(グーグルマップによる)。実は、私が行った早朝にはレンタル着物屋さんの広告はなく、まったく観光色がない、単なる門しか見えませんでした。

 その芭蕉堂の隣にも同じく茅葺の家があり、そこは説明板を読むと「西行庵」とあります。

西行庵入口

 このような場所で、いきなり「芭蕉」と「西行」という日本の二大詩聖の名前が出てきたのには驚きました。

 実は、この一帯は雙林寺の一角で、雙林寺自身は、下に示すようにどこかさびしさを感じるお堂です。

雙林寺の本堂

 実は広大な円山公園もかつては雙林寺の寺領で、かなり栄えたお寺だったようです。応仁の乱後衰微し、さらに明治の中頃に円山公園を作るために寺地を失ったと説明にあり、何かこのお寺の周辺だけが、もの寂しげで、本来賑やかな観光王道ルートにあるだけにその対照的なもの寂しい雰囲気が際立ちます。

 さて、芭蕉堂ですが、芭蕉が直接立ち寄ったり、住んだ場所ではなく、没後、芭蕉を偲ぶため加賀の俳人・高桑(たかくわ)闌更(らんこう)が営んだことに始まるとのことです。開店前なので、中に入れませんでしたが、西行庵は中に入ることが出来ました。

西行庵の様子

 こちらも周りを見渡すと、茅葺の家と雑木林のような、けれど下草はちゃんと除草された庭で、竹で組んだ垣根があるだけで、まるで中世日本の杣屋といったたたずまいです。

 私としては、3週間前に見てきた東京博物館の「やまと絵」展の中世絵巻物の世界、例えば「一遍聖絵」の世界に迷い込んだ感じでした。

 おそらく線スケッチを始めていなければ、このような風景に情趣を感じることはなかったでしょう。

「ねねの道」から一年坂、二年坂、3年坂へ:竹内栖鳳、武久夢二、菊池契月

 「ねねの道」をさらに進み高台寺の西隣、圓徳院の入り口であるポスターに目が留まりました。

京・洛市「ねね」の案内ポスター
圓徳院の庭園案内の旗
左:全体図、右:上部の部分図

 実は、この2枚の絵もまた10月13日に「やまと絵」展を見ていなければやりすごしたことでしょう。やまと絵展では4時間近く滞在し、入念に観察してきたため、ついつい上に示した絵にも注意を向けてしまいました。

 京・洛市「ねね」の案内ポスターでは、やまと絵に典型的な、なだらかなりんかくの山々、洛中洛外図と同じ鳥瞰構図で描かれた寺社や街中の家々、そして街を行きかう人々など、洛中洛外図をうまく応用しています。

 中でも、すやり霞洛中洛外図には欠かせませんが、このポスターでは、金色の霞(雲)、金雲を基調にして、さらにその上に青色のすやり霞を重ね、そこにお店の名前を書き込んでいる工夫がされており、なるほどうまく利用したなと思いました。

 一方、もう一つの圓徳院の庭園案内の絵ですが、これまた典型的なやまと絵です。実はやまと絵展とは別に、9月のスケッチ教室のテーマ練習として「ススキ」を取り上げたのです。古くから「秋草図」として琳派などで描かれた題材ですが、もちろんやまと絵展でも鑑賞してきました。

 ですから、この絵の上部にある月とススキの部分に自然に目が向いたのです。

 描かれたのはまさに四季図で、金地に月、ススキ、桜、篝火、ツツジ、鵜と渓流の波、梅、竹、若竹、タンポポや草花ですが、速水御舟の《炎舞》を思わせる篝火や若竹、タンポポなどは「やまと絵」というよりは明治以降の日本画に近いかもしれません。
 それにしても、プロの日本画家が描いた本格的な日本画だと思いました。

竹内栖鳳、竹久夢二、菊池契月

 さて、その後ねねの道を過ぎ、一年坂二寧坂(二年坂)産寧坂(三年坂)を巡りました。日中観光客でごったがえすこのルートも依然数人の人びとが通りかかるだけです。

1年坂、二寧坂(二年坂)、産寧坂(三年坂)の通りの様子

 ここで思いがけない画家たちに出会いました。

1)竹内栖鳳旧宅跡

竹内栖鳳邸跡

 何回この前を通ったか記憶がないほど多いのですが、今に至るまでこの石碑に気が付きませんでした。
 別のnote記事も書いていますが、以前は「日本画」にはまったく興味がなく、日本画の展覧会を見に行き始めたのは「線スケッチ」を始めてからです。

 2013年、京都市美術館で開催された「近代日本画の巨人 竹内栖鳳展」を見て、竹内栖鳳の画業全体を見ることが出来たのが思い出されます。

現在、その昭和初期の旧邸宅をリノベーションしてレストランになっているようです。

2)竹久夢二寓居跡(二年坂)

竹久夢二の寓居跡

 京都に竹久夢二の寓居跡があることは以前から知っていましたが、現場がここだということは今回はじめて説明文を見て知りました。このあたりは、日中観光客でごった返していますから気が付かなかったのだと思います。

3)菊池契月の墓(興正寺)

興正寺の参道と菊池契月の墓所を示す石碑

 産寧坂興正寺の参道の左には、当時イノダコーヒー店を含む著名なお土産店が集まってていてかなりの人が集まる場所ですが、この参道にはほとんど人が歩いている姿はありません。

 興正寺が観光的には特別なお寺ではないからですが、以前私が上の写真の灯篭の礎石に座ってイノダコーヒーの入り口を描いたその場所に「菊池契月の墓所」を示す石塔があることに今回気が付きました。

 さっそく、その墓を探しに参道を上がり興正寺を訪ねたのですが、残念ながら見つけることが出来ませんでした。

小村雪岱展(清水三年坂美術館)

  以上のように著名な画家達の名前と出会えた一年坂二寧坂(二年坂)産寧坂(三年坂)周辺で、さらにラッキーなことに、清水三年坂美術館の前で、小村雪岱展のポスターを見つけました。

清水三年坂美術館入り口と小村雪岱展ポスター

 小村雪岱も、線スケッチを始めてから知った画家です。近年再評価が進んで展覧会が増えてきたのでうれしい状況です。しかし、この展覧会の情報はまったく知りませんでした。

 当然開館の午前10時まで待って入館したのは言うまでもありません。いずれ、記事にしたいと思います。


最後に

 早朝の東山散策をしたところ、観光客に気を取られてこれまで気づかなかった著名人の名前に出会いました。
 中でも、著名な画家の名前に出会えたのは予想外でした。昨今は観光客が多すぎて、昔の京都の情緒を味わえませんが、もし味わいたいと思う人がおられれば是非早朝を狙って行かれることをお勧めいたします。

(おしまい)


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