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「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015):西洋の知は日本美術の独自性をトポロジカル空間にあると見た!(その4)

(その3)より続く(長文になります)

 前回の記事その3では、講演記録「ガイジンの見た日本美術」で、ドラッカーが考える日本美術の特徴を中心に紹介しました。ここでは、室町水墨画に焦点を当てた二つ目の講演記録に移ります。

(2)講演録「私と室町水墨画」(1986年11月29日、於 根津美術館)松尾知子訳

 この講演録は、前記事で紹介した講演に先立つこと4年、昭和61年(1986)11月29日に、同じ根津美術館にて行われた講演の記録で、タイトルにありますように、室町水墨画に焦点を当てたものになります。

 講演内容は、記事(その3)の中で室町水墨画、すなわち日本の水墨画の特徴についてドラッカーが述べた部分と重なりますが、より詳しい内容なので、重複をいとわず紹介します。

 冒頭で、ドラッカーは自分は日本美術研究者ではないと断り、「私にとって室町水墨画が意味したものは何か、私自身の人生にとって、そして個人的な経験として、私自身の成長にとって、どのような意味をもちつづけてきたか」について話したいと講演の狙いを話します。

 そして、「なぜよりによって室町水墨画なのですか」と聴衆の誰もが抱く疑問に答えるかのように、次のように続けます。

(前略)私は室町の山水画を見ると、その中に入り込んでしまいます。それは私の経験になり、私の人生になり、そして私自身のビジョンになっていくのです。私はその中で生き始めます。そしてこれこそが、室町の画家達の目的、そうありたかったことだと述べたいと思います。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 73頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

  前記事の講演では、自分が主宰する日本美術セミナーの中で一人の女子学生に「入り込んで出られない」と言わせたのですが、ここでは、ドラッカー本人の言葉で「絵の中に入り込む」と言っており、「自分の人生すべてに関わっている」とでも言いたい口ぶりです。
 ですから、ドラッカーにとって室町水墨画を購入し手元に置いて眺めることは、自分自身の研究人生、社会生態学者としての見方、生き方と不可分であり、一体となっていると見ていいのではないでしょうか。

 そのような状況を、コレクションの中から三つの山水画を選んで説明します。

■三つの山水画(如水宗淵、牧松、蛇足)と「世俗から離れ”絵に入り込む”」

「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015) 73頁より

  ドラッカーは、これら三つの山水画がそれぞれ与える印象はまるで異なるといいます。
 例えば如水の絵は、「清らかな精神性の高い風景画。完全なリアリスティックな風景画」、牧松の絵は、「強く、ダイナミックで、ほとんど煽情的な、心をかき立てるような作品」、蛇足の絵は「知恵と悟りへの進展を描いており、山水画はきわめてロマンティックで高度に理想化されている」と評します。

 しかし見かけは違っても共通する点があり、それは「見れば、見るほど、その絵の中に入り込んでしまう」ことであると述べます。
 ドラッカー自身が感じたその不思議な体験、感覚を、聴衆はすぐには理解し難いだろうと思ったのか、表現方法を手を変え品を変え、時間をかけてどうにかして伝えようとします。そして、

(前略)最後には自分自身が全く別の人間になったように感じた経験もあります

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 73頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 とまで言うのです。

 大げさな言葉のように聞こえますが、ドラッカーにとっては心底その通りの実感なのでしょう。

 さらに続けて、室町の絵師中国、特に元時代の偉大な画家たちを手本にしているにも関わらず、自分がこのように感じるのは日本の山水画だけだと言い、その理由は、日本の場合は禅僧が山水画を描いたからだと言います。

室町時代の禅僧の山水画は、別の目的にかなうものでした。テクニックは中国から取り入れましたが、精神は新しく、純粋に日本のそれなのです。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 73頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 すなわち、技術中国だが、精神はまったく別物だと。
 そして聴衆の理解を助けるために、室町時代の禅僧を取り巻く当時の状況を詳しく説明します。

●室町時代の五山の傑出した禅僧は孤独の中で瞑想の日々を過ごす宗教者であった。
●しかし同時に、時代の知の中心でもあった。五山の禅寺は、単なる学校や大学ではなく、芸術家のアトリエでもあった。
●五山の高僧は、将軍の指導者であり、禅寺で瞑想生活を送るかわりに、社会の中心で忙しく生きていた。だから、寺に戻った時に内なる世界、精神世界に導かれる何かが必要だった。それがであり、後に山水画に置きかわっていった。
●これら山水画の目的は、忙しく追い立てられるせわしない世界から抜け出し、清明な精神の世界創造と創世の世界に入っていく場所を与えることである。

 以上が室町時代の高僧を取り巻く状況ですが、この高僧ドラッカーに置き換えると、ドラッカー自身の気持ちが想像できます。

 ドラッカーはもちろん宗教者ではありません。しかし大学の研究者として「清明な精神の世界創造と創世の世界」は必要でした。一方、彼はアカデミアに閉じこもる学者、研究者ではありません。「経営学」という実学の分野を自ら創設した人物であり、全世界の企業の指導者層の要請を受け、彼らを指導するために禅寺ならぬ大学からリアルの世界にも飛び出します。
 まさに五山の高僧同様「忙しく追い立てられるせわしない世界、社会の中心で生きていた」のです。

 だからこそ、五山の高僧の精神世界を導いた室町時代の山水画が、現代においてもドラッカー自身の精神世界を導くために必要だったと言えるでしょう。

■三つの山水画(玉畹梵芳、鑑貞、知有)とトポロジストとしての空間表現

 次に、ドラッカーは自分を惹きつける室町山水画の空間表現に話題を進めます。

「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015) 74頁より

 まず上に示す時代が異なる三つの水墨画を示して、共通している部分を指摘します。

これらの絵画は空間にある物を表しているのではない、ということです。そうではなく、物を構成し形作って空間を表しているのです。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 74頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 記事(その2)で、尾形光琳の絵を例に紹介したように、空間に関するこの共通点は室町水墨画、いや日本の絵画の特徴だと言います。
 そして、空間を西洋画は遠近法中国は代数的(比率と関係)で表すのに対し、日本の画家は、「空間を、物の持つ形やフォルムを超えた実在として見ている」とし、現代の数学用語でいえば「トポロジー(位相幾何学)」だと持論を展開します。そして彼らは「真に”モダン”であり、400年も前にトポロジストであった」と。

 前回紹介した講演(その3)では、その具体的な根拠を示していませんでしたが、この講演では、上に挙げた三つの水墨画を使って根拠を示します。以下にまとめます。

●梵芳《蘭石図》では、植物を描く優美な曲線が整った舞のような書と統合されている。さらに基本的に空間が筆の動きを作っている、言い換えれば線と形を使った完全に抽象的な空間表現である。
●鑑貞
《春景山水図》も同様に、渦を巻く霧の部分に見られるように形を組み合わせ構成して創り出した空間である。
●知有
《翡翠図》も、リアリスティックな鳥の描写としてみることが出来るが同時に視覚的経験を構成し創り出す空間でもある。

  以上から、ドラッカー室町の画家達が、「絵の対象として空間を表した最初の人々」とし、”ディスクリプション叙述、説明的な描写)”に対して、今日の絵画で顕著な特徴になっている”デザイン”というものだ、そして日本の絵画が現代にいたるまでこの特質を持ち続けていると主張します。

 さらにドラッカーは、「一番この特質を素晴らしく発揮したのは室町の画家達だったと信じます」という言葉の後、その理由を説明して終えます(下記)。

 彼らの空間表現は、外面的な経験というより内面的な内なる経験であり、媒介としてのものです。それ自体では意味をなさないのですが、その中に対象物が実在して置かれています。物に物性と構造を与える空間、これこそが意味深くリアルな空間です。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 74頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 以上の空間表現についてのドラッカーの見方は、日本美術における「余白」の問題とリンクしており、すでに記事(その2)で私見を述べました。

■四つの水墨画(雲渓永怡、雪村周継、筆者不詳、海北友松)とcontrolled spontaineity(抑制された自発性、自然さ)

「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015) 75頁より
「ドラッカー・コレクション 珠玉の水墨画」千葉市美術館 美術出版(2015) 75頁より

 最後に、記事(その3)の水墨山水では言及していなかった新しい概念を提出します。それは、本節の題名にある通り、controlled spontaineity(抑制された自発性、自然さ)という概念です。

 ドラッカーによれば、上に示した四つの水墨画はどれも共通に"controlled spontaineity"を持つと言います。

 聴衆には、この英語の言葉の意味が分かりにくいと思ったのか、ドラッカーは「」のシテの突然の激しい舞や野球のピッチャーの完璧にコントロールされた速球を例に出します。すなわち、四つの水墨画は、一見すると一時の興に駆られて手軽にほとんど一気に書き上げたようにみえるが、シテの動きや投手の速球同様にそうではないと。

狙い鋭く、意図をもつものなのです。それぞれが、鉄壁の練習と修業を積み重ねてきた年月のたまものであり、それが個々の筆の最後の瞬間の動きを完璧に自由に行うことを可能にしているのです。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 75頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 ドラッカーは、"controlled spontaineity"が世の偉大な芸術に共通な要諦で、その証であると分かっているけれど、室町水墨画ほど、著しく強い印象を与え、それが中心的要素と思えるものは他にないと言い切ります。

 ここまで言われると、室町水墨画をひいきにするのもほどがあると言いたくもなりますが、彼の主張を聞いてみましょう。

それはもちろん、禅僧たちが行う自己修練に基づく、長年の厳しい訓練の結果です座禅し、呼吸し、集中すること、そして書。海北友松の場合は武士の剣術もですが、それが彼らの訓練です。禅僧はそのような修練を重ね、これらの絵画が表しているような、直感性を得ました瞬間的なもの自然さ、存在経験に対する反応は、自己訓練の積み重ねが求められると同時に、報いもするものです。

ピーター・F・ドラッカー 講演録「私と室町水墨画」 75頁
松尾知子訳、太字部分は筆者

 「厳しい自己修練」、それにより得られる「直観性」、「瞬間的なもの」「自然さ」「存在経験に対する反応」は、室町水墨画の説明をしているようで、実はドラッカー自身の仕事に対する姿勢を表す言葉ではないでしょうか。
 この辺の事情も含め、次章で私見を述べたいと思います。

 講演の紹介は以上で終わります。

私見と感想

 前節まで四回に亘って、ドラッカーコレクションの分析根津美術館で行われた二つの講演の内容を紹介してきました。

 このままでは、第一回の記事中のコレクションの作品分布の分析を除いて、講演記録の単なる内容紹介に終わってしまいます。もともとこの記事を書いた発端は、私の以下の二つの問題意識でした。

水墨画はどこをどのように見て鑑賞したらよいのか?
日本の水墨画は独自性はあるのか?

 そこで以下、ドラッカーが指摘した概念日本美術についての見方について、二つの疑問に対応する私の意見と感想を述べることにします。

(1)「水墨画」を私はどのように鑑賞したらよいか

 講演の中で、「ガイジンがなぜ日本の絵画を集めているのか、またそれもなぜ、水墨画(特に室町時代の)なのか」と誰もが抱く疑問に対してドラッカーは繰り返し答えています。
 それは、自分のそばに置き、眺め、自分の人生のための精神的な何かを得るためであり、日本美術、特に室町の水墨画以外にそれをみたすものはないと。
 実際、ドラッカーが集めている作品は、室町、桃山の水墨画、江戸期では禅画、人文画で大半を占めています。
 そしてどの作品も大作ではなく、自宅の壁に掛けてみることが出来る大きさです。作品をガラス越しではなく、直接手に取って、目の前1m以内で見て味わう。鑑賞者にとって、これほど贅沢なことはないでしょう。

 まさに個人コレクターのみが味わえる醍醐味です。
そして、ドラッカーはその立場を十分に活かして、室町水墨画の中に「入り込み」、徹頭徹尾自分と絵画との間で「精神性」をやり取りしています。いわば自分の人生のための鑑賞です。

 ここで、一つの疑問が湧きます。「精神性」は、本当に「室町水墨画」「禅画」「南画」だけなのかと。

 確かに、講演の論旨を見る限り、ドラッカーの言う通りに思えます。しかし、精神性というけれども、西洋の近代人が理解する「精神性」ではないか。中国は中国人が理解する「精神性」があるはずです。

 この辺については、次節で改めて考えることにします。

さて室町水墨画に対するドラッカー鑑賞態度は理解しました。それでは私はどうしたらよいのか?

 そもそも水墨画を目の前にしてどのような鑑賞態度があるのでしょうか?以下、思い付くままに並べてみます。

1)東西の美術の知識なしで「直観」「感性」で観る。
2)西洋美術、西洋美術史の知識の上に、「直感」、「感性」で観る
  ア) ガイジンとして
  イ)日本人として
  ウ) 実作者として
3)西洋はもちろん、水墨画(筆墨)の技術、東洋美術史(「社会」、「宗教」背景含む)の知識を持ちつつ、「直感」、「感性」で観る。
  ア)ガイジンとして
  イ)日本人として
  ウ)実作者として
4)研究者として、あるいは研究者の気持ちで、学術的、美術史学的に観る(資料分析、東西絵画比較論、絵画構成論など)
5)水墨画が描かれた当時の鑑賞者と同じように、画家が本来想定した鑑賞方法で観る。

 すでに見てきたように、ドラッカーは、3)ーア)に相当します。すなわち、自身は経営学、社会生態学研究者・学者ですが、あきらかに4)の研究者としての鑑賞態度ではありません。水墨画の造詣は深いですが、あくまで自身の人生のために鑑賞しているのはこれまで見てきたとおりです。特に重要なのは「ガイジン」としての立場から室町水墨画の精神性自分の人生に求めていることです。

 一方、私の場合は「ガイジン」の立場ではなく、また完全に水墨画の知識ゼロからの出発ですから、おのずと決まります。まずは、2)ーイ)または2)ーウ)として、可能な限り実作品を見ていきます。徐々に水墨画の知識を蓄えれば、自然と3)ーイ)および3)ーウ)に移行できると思います。

 なお「実作者」の立場を加えているのは、絵を描いた経験があるかないかで、鑑賞内容に質的な違いが出ると思うからです。特に水墨画の場合は「筆墨」の文化、すなわち筆づかいの経験の有無です。
 私の場合は、水墨画ではなく筆に近いサインペンを使う「ペン画」ですが、筆づかいは似ているので水墨画の鑑賞にも対応可能と思います。いつかは本当の水墨画を描くところまで踏み込む必要があるかもしれませんが。

 この読書感想文シリーズの記事をお読みの方は、前回紹介した島尾新著「水墨画入門」で、著者が水墨画を見る上で「身体性」、すなわち筆を動かす重要性をコメントしていたのを覚えておられるでしょう。実際に動かさなくても、小さい頃学校で習ったことを思い出して頭でイメージするだけでも違うと思います。

 さて水墨画を鑑賞する上で、もっと根本的な問題が横たわっています。
 それは、私たちが無意識に欧米の「芸術」、「美術」の概念の上に作品を見てしまうことです。
 もともと「芸術」「美術」という言葉そのものも、西洋の学術思想によるものです。雪舟も、光琳芦雪若冲大雅、白隠も、まったくあずかり知らないことです。
 それならば、かつての時代に戻って、同時代の人間と同様に彼らの絵を見ることができるかといえば、できるはずがないと思うのです。

 ですから、当時の作者、および見る人がどのような背景のもとに見たかを研究しても、私たちはしょせん身に着いた西洋美術の基準で見るしかない、言い換えれば、それでいいのだと言うしかありません。
 振り返れば、「入り込む」というドラッカーの言葉も、彼がそう”感じる”からであり、私たちは、現代の私たちの生活、知識、思想をバックボーンとして観るしかないのではと思います。開き直りだと言わるかもしれませんが・・・。

さて、当初の予定では今回の記事を最終回にする予定でした。しかし、思いがけず長文になったので、今回はここで打ち切ります。

 次回の最終回は、私見および感想を続けます。テーマは以下の三つの項目を予定しています。

(2)日本の絵画の精神性とは何か? なぜ日本美術の先進性なのか? 
・なぜ欧米人は日本の文化なのか? ドラッカーの言葉から考える
(3)日本の水墨画の独自性について(中国、西洋絵画との違い)
・なぜ、日本の専門家は部外者(西洋美術専門家、小説家・・)の日本美術の新らしいコンセプトを引用しないのか?
・なぜ、日本の専門家は、自然科学、数学の概念を無視するのか?
(4)ドラッカーの「動植物画」コレクションに共感を覚える

記事(その5)に続く

前回の記事は、下記をご覧ください。


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