見出し画像

<皇室のみやびー受け継ぐ美ー第4期:三の丸尚蔵館の名品>(皇居三の丸尚蔵館)若き花園天皇に対面、並河靖之の線七宝の吸い込まれる漆黒、唐獅子屏風に左隻があることに驚く

(長文になります)


はじめに

 皇居三の丸尚蔵館は平成5年に開館した比較的新しい美術館であることとと、所蔵品が日本美術中心ということもあり、昔は訪れたことはありませんでした。
 ところが今年になって、完成した新しい施設の開館記念として、昨年11月3日より今年の6月23日まで4期に分けて開館記念展が行われていることをポスターで知りました。

 私の記憶では皇室の所蔵品と云えば、伊藤若冲「動植綵絵」以外はあまり思い出すことが出来ません。

 しかし特別展のウェブサイトを見ると、国宝やそれに準じる展示物が目白押しなので、遅まきながら2月に第3期、5月末に第4期の開館記念展を見に行きました。
 ここでは、第4期について、気になった作品を中心に内容を紹介します。

気になった作品の紹介

(1)藤原為信・豪信《天子摂関御影 天皇巻 1巻》

図1-1 藤原為信・豪信《天子摂関御影 天皇巻 1巻》(部分)
出典 筆者撮影
図1-2 藤原為信・豪信《天子摂関御影 天皇巻 1巻》(部分)
出典 筆者撮影
図1-3 藤原為信・豪信《天子摂関御影 天皇巻 1巻》(部分)
出典 筆者撮影

 「日本美術」にどのように親しんでいくか、その過程は人によって異なるので一様には述べられないと思いますが、私の場合は「線スケッチ」を始めて、線によって輪郭を描写するという東洋美術に共通の視点から入りました。
 とはいえ、親しみやすく入りやすい(とそう思わせるだけですが)のは江戸中期以降の浮世絵版画が最初です。
 それ以前の日本の絵画は、人々の描写という観点で関心を惹いたのは絵巻物だけで、やまと絵、漢画、水墨画を問わず、宗教画、山水、花鳥図はもちろん、人物画や格式ばった肖像画や高僧の頂相などは敬遠していました。

 図1に示したのは「似絵」と呼ばれる鎌倉期における肖像画で、装束は一定の形に沿って描写していますが、顔は本人に似せて描いています。

 今回、私はこの絵巻物形式の肖像画の最後尾、一人の天皇に目が留まりました。それは、図1-3の下段、右の「花園院」のお顔です。
 なぜならそのお顔に見覚えがあったからです。

 それは、藤原豪信《花園天皇像》(国宝)の若きお姿だったのです。

図2 藤原豪信《花園天皇像》(国宝)
出典:wikimedia commons, public domain

 私は、そのお顔を見た途端、橋本治「日本美術史2」新潮社(1997)高畑勲「一枚の絵から 日本編」岩波書店(2009)の《花園天皇像》の一節と画像を思い出したのです。

 さて、最近投稿した以下の記事で私は渡邊崋山の肖像画を取り上げました。

 私は渡邊崋山の肖像画に賭ける画家の姿勢に驚き、記事を書き進める中で、これまで敬遠してきた日本の肖像画を、今後はその態度を改めて「日本美術史」の中できちんと理解し、評価しなければならないと思ったのです。

 ですから、いつもなら適当に見て通り過ぎてしまう、今回展示された各天皇の日本の肖像画についても、一人一人丁寧に眺めたというわけです。
 そのおかげで最後尾の若き花園天皇に気が付きました。

 この肖像画については、現在用意している高畑勲「一枚の絵から 日本編」岩波書店(2009)の感想文記事で詳しく紹介しますが、ここでは、次の指摘だけにとどめます。

 図242歳の花園天皇図1-3のおそらく20代の若き花園天皇の顔を比べてみてください。なお、作者は共に藤原豪信です。
 まゆ、目、鼻、口の形はもちろん、顔の形も同じです。しかも、単純な線だけで年齢の差まで表現しています。

 近代西洋絵画の技法を知らない鎌倉時代の絵師だからと言って、決して馬鹿にはできないと思われませんか。

 そのように見ると、似たように見えた図1-1、図1-2の各天皇像のお顔も、それぞれ個性あるお顔に見えてきました。

(2)並河靖之《七宝四季花鳥図花瓶》

図3 並河靖之《七宝四季花鳥図花瓶》
出典:筆者撮影

 東京国立博物館の日本美術を見る場合、通常日本絵画を優先し、工芸品の場合は時間の節約のため見る時間が少なくなるよう主要な作品以外は小走りに通り過ぎています。

 さて、今回の七宝です。実はいつもと違い、いの一番にその展示場所に駆け付けました。その理由は、尚蔵館の部屋に入るなり、巨大な垂れ幕が目に入ったからです(図4)。

図4 並河靖之《七宝四季花鳥図花瓶》の模様を印刷した垂れ幕
出典:筆者撮影

 横幅3m、天井から床まで5m近くの大きさで、漆黒の地に、鮮やかなピンク、緑、黄色、青、茶色の花鳥図が浮かび上がっているのです。まさに、私が長年こだわっている「日本の黒ベタの美」そのものではありませんか!

 さっそく背後の展示台にある作品を見て息をのみました(図3)。大変残念なことに、天井のオレンジのライトのせいで、写真全体が赤みがかって、実物の凄みを表現しきれていませんがお許しください。

 その吸い込まれそうな黒は、漆器の黒にも似ていますが、漆器の黒の輝きはあくまで樹脂の反射であり、印象はかなり違います。むしろ国宝の「曜変天目」茶碗の黒地を覗き込んだ時に似ています。
 一見陶器や磁器にも似ていますが、この黒地はこれまで見たことがないものです。写真では分かりませんが、この七宝はそれぞれの動植物の輪郭を金属(通常は銅)の線で象り、内部を釉薬で焼き固める「線七宝」という技法で制作されています。しかし、線は細く見えないので、まるで焼き物のように筆で描かれたように見えます。

 工芸品に巨大な垂れ幕まで作って宣伝するということは、この漆黒の美を主催者が特別高く評価しているからに違いありません。事実、解説文には高い評価がされています。

 漆黒の七宝釉を背景に四季折々の花々と樹木、その中を自由に飛び交う野鳥が極めて繊細な有線七宝により表されています。図様のみを際立たせるように、花瓶全体を絵画的空間とした画期的作品で、1900年のパリ万国博覧会に出品された並河靖之の最高傑作です。

皇居三の丸尚蔵館、解説文より引用
文字の強調は筆者

 その後、「線七宝」を習っている教室の生徒さんに聞いてみると、この並河靖之が創り出した漆黒は有名で、いったい釉薬はどのような配合で成し遂げたのか分からないのだそうです。

 私としては、つい最近も鈴木春信の漆黒の闇とその専門家の評価について記事にしたばかりですし、なぜか江戸中期18世紀黒ベタの闇夜が出現することを指摘しました(伊藤若冲与謝蕪村鈴木春信)。

 しかも、「黒ベタ、漆黒の美」は、圧倒的に欧米の評価が高く、西洋絵画にも影響を及ぼしているにも関わらず、日本の専門家からは近年になるまでそこまで評価されて来なかったように見えます。

 今回見た《七宝四季花鳥図花瓶》も解説文にあるように、1900年のパリ万国博覧会向けに制作されたものだというではありませんか。おそらく、欧米が「漆黒の美」を高く評価することを見越して制作されたに違いないでしょう。

以上、私が関心を持った作品について優先的に紹介しましたが、以下からは作品を示しながら短いコメントを付け加えるだけにいたします。

(3)高階隆兼《春日権現験記絵 巻一》(国宝)

図5 高階隆兼《春日権現験記絵 巻一》(国宝)(部分)
出典:筆者撮影

短評:「中世絵巻の傑作」として、今回の第4期の目玉の一つになっていますが、これまで、この絵巻の事はまったく知りませんでした。図5にあるように、絵巻を見る時は、中世の人々の暮らしぶりを描いた姿を見るのが楽しみです。

(4)狩野永徳《唐獅子屏風》(国宝)

図6-1 狩野永徳《唐獅子屏風》左隻(国宝)
出典:筆者撮影
図6-2 狩野永徳《唐獅子屏風》右隻(国宝)
出典:筆者撮影

短評:4期の目玉作品の一つ。狩野永徳の作品を意識して見たのは初めて。通常、教科書では右隻しか載せていないので、左隻をきちんと見たのは初めてで新鮮に感じました。しかし、この屏風だけでは、狩野永徳の凄さは伝わってきません。欧米や中国の絵画に比べて、背景の金地の雲の部分が大きいのと、獅子もざっくりと描かれているので、長谷川等伯の絵と比べても大雑把な印象です。今後、もう少し永徳の作品を見なければならないと思います。

(5)酒井抱一《花鳥十二ヶ月図》

図7 酒井抱一《花鳥十二ヶ月図》
出典:筆者撮影

短評:個人的には、酒井抱一よりも鈴木基一のきりっとした絵の方が好みです。この絵に限り大名的なおおらかさは感じますが、パンチは効いていない感じです。

(6)萬国絵図屏風(重要文化財)

図8ー1 《萬国絵図屏風 右隻》(重要文化財)
出典:筆者撮影
図8ー2 《萬国絵図屏風 左隻》(重要文化財)
出典:筆者撮影
図8ー3 《萬国絵図屏風》(重要文化財) 右隻、左隻の都市鳥瞰図部分を切り取り
出典:筆者撮影

短評:なぜか、中高年の観客に人気で、観客がいない写真を撮ることが出来ませんでした。桃山時代の日本人が西洋人から絵を習って描いたにしては、上手すぎる絵です。私自身は、ヨーロッパの各都市の発展を年代順に描いた鳥瞰図を見るのが好きなので、この屏風の都市の図の出来の良さには驚きました。ちなみに、描かれた都市の名前は以下の通りです:

プラハ、ゴア、コークフリード、パリ、ベネツィア、メキシコシティー、アムステルダム、アデン、ケルン、フランクフルト、クスコ、ソハール

 メキシコやクスコまで入っているところが大航海時代を偲ばせます。

(7)伊藤若冲《動植綵絵 老松孔雀図、諸魚図、蓮池遊魚図、芙蓉双鶏図》(国宝)

図9 伊藤若冲《動植綵絵 老松孔雀図、諸魚図、蓮池遊魚図、芙蓉双鶏図》(国宝)
出典:筆者撮影

短評:あまりにも、印刷本で何度も見ているので、実物をかつて見たかどうか記憶が曖昧になっています。今回あらためて実物を見て感じたのは、やはりその大きさと色彩の鮮やかさです。しかし、印刷物では、その強烈な色彩で厚塗りされた絵のように見えるのですが、実際は絹地に薄塗りなのです。
 その辺をよく近づいて確かめました。
一般に、着彩画とモノトーンの水墨画と比べると、色のついている方が飽きやすいと云われますが、若冲のこの《動植綵絵》は、そのテクニックも含めて飽きることがありません。しかし、それにも関わらず、若冲の水墨画の方が私は絵としては好きです。

最後に

 今回の記事も、定番の若冲や永徳の国宝は置いてけぼりで、当面私が気にしている、日本絵画の人物描写と、七宝という新たな工芸素材による黒地についての内容がメインになりました。

 なお、日本絵画における漆黒、黒地の出現について、一応漆器以外は、桃山時代以前には例がないと鈴木春信の記事で述べましたが、実は今年の春、東京国立博物館の常設展で見た《紺紙金泥経》がずーと気になっているのです。「紺紙」とありますが、実際は漆黒にしか見えません。その黒い紙に金字でお経が書かれているものです。
 字は筆で書かれているので、字の替わりに絵を描けば、黒(紺)ベタ背景の絵が出来あがります。事実、その後若冲か同時代の画家が紺紙金泥の絵を描いている画集を見たことがありますし、明治期のある日本画家も応用した絵を描いています。
 ですから、よく調べると桃山以前にも遡ることが出来るかもしれないのです。

 紺=藍染めが類推できますが、果たして深い紺なのか、漆黒なのかも含めて調査を続行していくつもりです。

(おしまい)

前回の記事は下記をご覧ください。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?