見出し画像

【《日記更新1000話記念》会ったことなくても共感したら友達かもしれない -- 書評『三角翠の備忘録』】

---------------
タイトル: #三角翠の備忘録
  著者: #三角翠
  書籍: #漫画
ジャンル: #コミックエッセイ
 初執筆: #2018年
   国: #日本
 サイト: #個人ブログ
 全巻数: #毎日更新
続刊予定: #継続中
 全頁数: #1000ページ
  評価:★による定量評価はおこがましいため、今回は割愛させていただきます。
---------------

【あらすじ】

 一時はうつ病を患った筆者の三角翠(みすみみどり)だったが、懸命な入院治療とカウンセリングが功を奏して、もうすぐ元の世界に復帰する。ただ、精神疾患には完治の基準や保証などなく、いつかまた再発する恐れだってある。そこで彼女はセルフメンタルケアと日々の備忘録として、入院中の2018年12月21日から1日1ページの絵日記をつけることにした。自宅療養に移っても描き続けた絵日記は本日(2021年7月29日)で1000日目。その1000日の間には、自身も気づかなった半径5メートルの喜怒哀楽に満ちていた……。

---------------

【感想的な雑文】

 ブログとか、エッセイとか、人の日記を読み始めて早20年になる。

 読み始めた発端も最初の日記も記憶から遥か遠くなったけど、それでもなお、今も変わらずに日記を読み続ける理由を訊かれたら、間違いなく「大切な友達の近況を聴くため」と答えると思う。

 友達と言っても、私は目の前の日記の持ち主の名前も顔も知らないし、向こうは私の存在すら知らない。この先も知ることないまま終わることも、もちろん知っている。だけども、私の中では確実に友達なのだ。これまで読んだ日記の数だけ、年齢も性別も人種も超えた友達が私にはたくさんいる(リアルな友達の数は訊かないで…)。

 今回紹介するのは、そんな友達のひとり、三角翠先生だ。

 柔らかな絵柄と綿密な描写と大胆な無音の時間。そして現代美術に対する惜しみない敬意と愛情。1000以上ある話の中でも、美術展覧会など訪れたレポ日記は個人的に「審美回」と呼んでいる。

 その中でも、スコットランド出身の現代絵画家ピーター・ドイグの全3話に渡るエピソードが最高に良い。彼女が特に尊敬しているピーター・ドイグの個展(東京国立近代美術館)が日本で初開催されるも、実際に開かれたのは2020年2月26日~6月14日の内のわずか初日3日間。以降は新型コロナウィルスの緊急事態宣言による無期限休館で日程未定。カイジ顔になるほど後悔のどん底に叩き落とされるが、6月12日の美術館再開と同時に当初6月14日までだった会期を10月25日まで延長すると発表された。まるで漫画みたいな怒涛の大逆転劇は何回読んでも面白い!

 3本目の日記をクリックすると、「ファンが書く解説文ほどディープで丁寧な物はない」、そう言わしめるほど圧倒的な情報量が読者の脳に襲い掛かってくる。ドリカムの『決戦は金曜日』『うれしい!たのしい!大好き!』『何度でも』を足して3に割らなかったぐらいのテンションでひたすら語ってくるのに一切くどさがないのは、彼女がドイグ作品の細部まで本当に愛しているのと、美大出身という経歴が彼女の望む方向へ開拓してくれるのかもしれない。

 NHK『日曜美術館』やテレビ東京『美の巨人たち』のような全体的に上品だけども中核に迸る情熱のこの解説文があまりに心地よすぎて、この日の日記を読み終わった後は「ピーター・ドイグ 作品」で思わず画像検索してしまった。

 リモートワークのご時世になって気づくようになったが、現地に行かないと観られなかった美術作品が今はスマホ一台で寝ながら観られるようになった。私も初めて知ったピーター・ドイグの作品を初心者なりに堪能するが、しばらく経つと満足できなくなる。やっぱり本物を観てみたい。色の鮮やかさ、筆の躍動感、一作に向き合った痕跡、キャンバスの端の垂れた絵の具の塊さえも私たちの生涯出会うことのない幻想の向こう側のあれこれを教えてくれる。

 現代詩作家の荒川洋治は稀代の日記マニアで、日記の在り方について余すことなく語った書籍『日記をつける(岩波現代文庫)』にて、日記を以下のように定義している。

日記は、字の現場でもある。

 芸術家はなぜ作品を残し、観客はなぜ作品を観るのか。

 人類の永い歴史で多くの人を彷徨わせたであろう芸術最大の問いの答えが、もしかしたら「日記」から導き出せるのかもしれない。それぐらい日記というのは不可思議な存在なのだ。

(また『日記をつける』について書評した記事を個別で書いてますので、もしよろしかったら、お願い致します…!(スライディング土下座マン))

 ここまで読んで、あなたは「何でこの人(私)はこんなに日記と芸術について熱心に書いてんだ…?」と思うかもしれないけど、まあ、日記については序盤に少し語ったが、実を言うと私の片方の祖父は日系ハワイ人の西洋画家で、私の中にも少なからず芸術家の血が混ざっているのだが、今まで芸術に興味なかったせいで祖父のことを知ろうとしなかった。

 それが27歳を過ぎた辺りから絵画・彫刻・写真・建築・音楽・文芸・演劇・古典芸能……つまり「芸術」という輪郭のない漠然とした思想(?)に妙な関心を抱き始めた。その思想に向き合った一人で肉親の祖父はキャンバスに何を見たのか。祖父は私が生まれる20年も前に亡くなっていて、私自身が分かるのはフルネームと昔から家の廊下に飾られている一枚の小さな油絵。それ以外はよく知らない。写真も残っていないから顔も見たことがない。両親もあまり祖父の話をしない。祖父も私の存在を知らない。この先も知ることないまま終わるのかもしれないけど、私は会えない祖父と友達になりたい。そのためにも私は芸術そのものを共感したい…。

 な ん の は な し だ 。

 今の話のどこに今回の書評と関係があるのか書いている現段階でもよく分かっていないが、もしかしたら友達の三角先生に三角先生の思う芸術を訊ねてみたいのかもしれない(突然の厚かましい展開)。

 ほんわかとした可愛い絵柄からは想像しにくいけれど、読んでいるこちらが心配になるほど過去には繊細な期間が続いていた。ただ、それゆえに感覚描写が研ぎ澄まされていて、そのセンスが甚く素晴らしい。その受け取る感覚力と引き出す描写力に自分が想像しているよりも憧れているんだと思う。

 もちろん彼女自身も日々エッセイの魅せ方を思案している。配色の名称から素敵な意味合いを想像してスケッチを描いてみたりする。素敵な名称の素敵な瞬間に思わずクスッと微笑んでしまう。過去に訪れたコミティアや講座でのプロ編集者によるハウツーレポ記事は私たちライターや漫画家の卵にも役に立つ。記事を読んで初めて気がついたけど、日記とエッセイは双生児のように似ていて全く違う物らしい(その理由は下のリンク「コミティア」にて)。

 また、三角先生は本・漫画・映画・ゲームもこよなく愛していて、よく「読んだ」「遊んだ」「面白かった」の感想を述べている。特に印象的だった感想が、彼女の愛読書のひとつ『十二国記』に対する特別な思い。

 タイトルと評判は至る所で聞くけど何となく読むことはなかった。だけど、まだ神経が不安定だった頃の彼女が読んで「すんなりと心に入った」という言葉が曖昧だった私のイメージを大きく変えた。

「裏切られてもいいんだ、裏切った相手が卑怯になるだけで、私の何が傷つくわけでもない。裏切って卑怯になるよりずっといい。」
(中略)
 絶対の善意でなければ、信じる事はできないのか。人からこれ以上ないほど優しくされるのでなければ、人に優しくすることができないのか。

『十二国記 1 月の雫・影の海(下)』小野不由美:新潮文庫

 主人公の一人で異界に連れられて王にさせられる女子高生、中嶋陽子の台詞である。率直に言ってカッコいい台詞だが、ただ単に「カッコいいなあ~」で終わる話ではない。

 キャラクターの台詞ひとつひとつは、そのキャラクターが現在に至るまでの苦楽や決断の繰り返しで生成される。それは思想と言ってもいい。特に主人公は生まれ持って目的を背負わされており、その目的が主人公の持つ独自の価値観を前提に形成されているとしたら、いかなる場面に見舞われても主人公は抱えた価値観を絶対に捨ててはいけない。背景に様々な不遇が見える陽子の台詞。とても刺さりました…! これは絶対面白い絶対読もう…!!

 このように感想の日記もまた読みごたえがあるのでオススメです。

 ちなみにセレクトした上5つはどれも私自身が読んだ&観た作品で、どれも素晴らしかった物なので、ぜひ見てみてください。

 個人的には原田マハ『モダン』は、同作者の『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』を先に読むと本作の深みがグッと上がります!

『テネット』はIMAXで観たし再度観に行ったしネトフリでも5回観た。『インセプション』『インターステラー』に次いで語彙力が壊死するほど大好き。観た人たち集まって再鑑賞会やりながら考察を語り合いたい!

『エクストリーム・ジョブ』が好きな人には、同じ韓国映画で『EXIT』も面白いと思います。あーだこーだ書くより予告編見た方が内容が伝わるので下に貼りますが、世間的に肩身の狭い主人公が危機的状況で大活躍する姿はみんな大好きだよね!

 無事に1000日を迎えたからといって、それはせいぜい通過点に過ぎず、別にピリオドを迎えるわけでもない。また明日から新しい1000日の日記が始まる。仮にどこかで中断したとしても1000日は変わらずに続く。マラソンのように続く。誰もがこのように何十におよぶ1000日の繰り返しで一生を終える。

 100日。年月で言うと3ヶ月と10日。

 1,000日。年月で言うと2年と9ヶ月。

 では、10,000日はどれぐらいか知っていますか。

 実は結構飛んで、27年と5ヶ月。

 そして100,000日となると、一気に飛んで約274年。

 当たり前ですが10万日も生きる人なんていません。だから、人が生きている間にキリの良い節目に出会えるのは1万日が最後であり、ここから1万毎で数えても、2万日(約54年)・3万日(約82年)・4万日(約109年)。現在の日本人の平均寿命は約84.21歳(2020年時点)と言われているので、おおよそ人の一生は3万日と言っていいでしょう。

 私は彼女の人生の30分の1を見てきた。別に家族でも恋人でもなく、顔も名前も知らない。なのに1000日間の出来事を知っているという何とも可笑しな関係です。ただ、大切な友達がマラソンランナーとして頑張り続ける限り、私は毎日いいねを押す観客であり、今回のような記事を書く解説者でもある。人間は明日どころか1秒先すら予測することができないから世界は何も保証しないけど、でも、この関係は明日以降もずっと変わらないと保証できるぐらい私は応援しています。

 なんだか段々と自分の書いていることが抽象絵画のようにまとまりがなくなってきたので、ここらへんで筆を終わらせようと思います。

 最後に、ノートの余白に書くメッセージ風に一言だけ。

 三角翠先生。この度は日記更新1000話、おめでとうございます!!!

(そしてnoteフォロワー1000名突破、おめでとうございます…!!!)

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

【本日の参考文献】

《三角翠の備忘録》

---------------

【三角翠さんのSNS】

《note》

《Twitter》

《YouTube》

---------------

【ライブドアブログ版】

※記事2話分ほど先行公開しています。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

【あとがき】

 あっちこっち色んな美術館行ってきたレポを読んでいると、何個か「ああっその展覧会気になってたやつー!」が出てきて、嬉しい!!と羨ましぃぃぃ…!!!が同時にせめぎ合います。

 ここ最近だと石岡瑛子回顧展(東京都現代美術館)・吉田博展(東京都美術館)行きたかったなあ…!!!

 現在開催中のイサム・ノグチ展(東京都美術館)はレポ日記で初めて知ったけど、音声ガイドの音楽監修が超超大好きなサカナクションの山口一郎さんだと聞いて、イスからドンガラガッシャーン!と崩れそうな勢いになりました。どうしよマジかよ行こうかなオイ。でも観覧料が大人1900円。駆られた衝動をシラフにさせる絶妙な値段。ちょっと財務大臣(通帳)と審議します…。

 あと、少しだけ関係ない話ですけど、2021年8月22日をもって『HUNTER×HUNTER』も休載1000日を迎える予定です。

本日も最後までお読み頂きありがとうございます。この記事は無料です。この記事をスキ以上に応援したい方は、下にあるサポートをご利用ください。サポートして頂いた売上は、今後の記事を書く為の活動資金にあてさせて頂きます。不審な誤字や表現にお気づきの場合は、コメント欄までお知らせください。